静岡で考えたこと ―3.1ビキニデー(第5福竜丸事件) 参加記 

2004年2月29日〜3月1日

 

ようやく平和関連の取り組みに参加できました。
 商品を担当していると、取引先の訪問が多く、事業分野のことばかりで、、環境や平和や福祉の分野のことが自分のなかで疎かになって、偏りを感じていました。
 平和の活動は、夏の「ヒロシマ・ナガサキ」、12月の「沖縄」と、募集要項がでるたびに手帳に日程を落として、参加できないものか思案するのですが、日程的に無理ということがずっと続いていました。

 「3.1ビキニデー」の参加者募集の要項をみると、今年はうるう年のせいか29日と1日で日、月という日程です。日程的には参加可能ですが、2月21日の大イベントは控えているし、今年はその前の週の土日に鳥取へ行かなければなりませんでした。「鳥取−大交流会−静岡」という日程をこなせるのかどうか、とっても不安だったけど、でも、ようやく参加できる日程(曜日まわり)になったのだから、行かなかったら後悔するでしょう。幸いにも伏見北行政区はビキニデーに参加者を派遣できるだけの平和募金の残があっので、このチャンスを逃してはいけないと思い、思い切って申し込みました。
 
 静岡で、いろんなことを感じて帰ってきました。
 京都にいてはとても感じられないこともたくさんありました。
 思い切って行ってよかった、頭で考えるより、行動することの大切さをあらためて感じました。
 2月29日と3月1日の2日間、どんなことを考えながら過ごしたのかを少し書き記してみることにしました。

3.1ビキニデー(第五福竜丸事件)に参加して

 わたしは、「第五福竜丸事件」のことをほとんど知りませんでした。

 第五福竜丸事件というのは、1954年中部太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で行われた水爆実験で、放射能を含んだサンゴ礁の白い灰がマグロ漁操業中の第五福竜丸に降下し、乗組員23人が被爆をしたという事件です。当時は、アメリカとソ連との冷戦状態から、大国による核兵器の開発が激化し、この事件は「核兵器廃絶」の運動を作り上げるきっかけになったそうです。

 1日目の生協主催の「虹のひろば」では、50人の「ピーストーク」のビデオで「平和だと思えるとき」「今、日本や世界は平和ですか」を問いかけていました。「平和と幸せの違い」「自分のことか社会のことか」など、50人のトークのなかに、自分では気づかない発想がたくさんありました。

 2日目には、地元のコープ静岡の組合員さんに焼津のご案内をしていただきました。第五福竜丸の乗組員のおひとりで「原爆被害者は私を最後にしてほしい」という言葉を遺して亡くなられた久保山愛吉さんのお墓にお参りをし、焼津という漁港として栄えている町を歩き、地元の組合員さんとお話するなかで、地元の方の第五福竜丸事件への思いを感じることができました。

 今年は、第五福竜丸が被爆をして50年、そして来年は被爆・敗戦から60年です。わたしたちの核廃絶の思いを、世界に発信していく節目の年になります。

 みなさまの募金の力で、たくさんのことを学ぶことができました。学んだことをこれからの平和の活動のなかでいかしていきたいと思います。ありがとうございました。

以下は、伏見北行政区が発行している「あんてならんど」に掲載してもらったものです。

花子のノート
焼津レポート その1
3.1ビキニデー(報告文書)
その2
ビキニデー報告会用資料

(2004年7月の報告会用の資料です。)

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