焼津めぐり〜墓前行進
焼津文化センターで、開催。主催は、原水爆禁止世界大会実行委員会と被災50年2004年3・1ビキニデー静岡県実行委員会となっています。
ざっとどういうプログラムだったのかを、紹介します。
1部
主催者挨拶:静岡県原水爆被害者の会会長、3.1ビキニデー実行委員会代表委員
来賓挨拶:焼津市長
見崎隆雄(元漁労長)
メッセージ紹介:静岡大教授
海外代表の紹介(代表はマーシャル在住の方2人、韓国の参与連帯の方2人、アメリカの平和の活 動家と思われる人。)
主催者報告:世界大会運営会代表
2部
平和のうたごえ
海外代表の発言
「いま、核兵器の廃絶の共同を」:日本被団協、日本青年団体協議会、宗教者、日本生協連、
日本原水協
「ビキニ水爆実験被害を告発する」:神奈川、高知、静岡、大石又七(元乗組員)
リレートーク:静岡、各地の青年
集会アピール
全員合唱:ウィシャル・オーバーカム
ということで、ぎっりしのプログラムで、一人の発言がだいたい5分くらい。その5分にいろいろな話が詰まっていることはわかるのですが、次々と話を聞かされても、聞いて理解してということをする余裕がなくて、未消化のまままた次の人の話を聞くということの繰り返しで、頭が痛くなってきました。
また、参加者の多くは午前中の墓前行進に出ているので、それなりに疲れていて、熟睡する人もまわりにはたくさんいました。わたしも、頭が痛くなってときどき睡魔も襲ってきていました。
それにもまして、まず気に入らないことは、司会者の1人が「普段着」ということです。プログラムによれば大阪の原水協の男性で、あとの2部の「各地の青年」のところでも出ていた方なので、お若いかたなのでしょう。その「各地の青年」の人たちも普段着っぽかったのですが、でも、こんな大きな大会の司会をするのに、なんでGパンで普通の服なんだろう?
わたしだって普段はとっても汚い格好をしているけど、何かの司会をするときは、普段はかないスカートだってはくし、最低、ブレザーは着ている。それが人前に立つときの礼儀ではないかだろうか。逆に「普段着の活動」を強調するために、わざとそういう服装を選んでいるのかもしれない。でも、わたしは、そういう普段着をよしというする体質は好きではありません。
プログラムのように何人もの人から中身のある話をきいたはずなんですが、あまり記憶にありません。大石さんのお話は、昨日に続いてで、また、資料も読んでいたので、すっと入ってきましたが。
それからマーシャルのロンゲラップ島からの代表は、その島の住民も被爆されていて、島への帰還ができなくて、被爆者として辛い生活を余儀なくされている人がたくさんいるからです。
まぁ、それにしても次から次へといろんな団体があるものです。わたしが所属している団体がさらに所属している大きな団体も取り組み発表があったけれども、まぁそこはよくわかりましたが。日本青年団体協議会? そういえば、ここの人ってうちでやっているピースリレーのときに必ず挨拶をされるけど、でも、そもそも何をしている人たちなんだろう?
そしてリレートークは「各地の青年」? 人を紹介するときに「青年」なんて、紹介の仕方ないだろう?
この「青年」たちは、報告のなかで、自分たちのことを「若者です」と言っていたけど、「若者です」と自分を紹介するなんてありえるんでしょうか。わたしだったら「中年おばさんです」と自己紹介しているようなものです。でも、個人で参加しているのならそういうあいまいな自己紹介の仕方もあるでしょうけど、こういう主義・主張のはっきりした集会に参加しているのだから、なんらかの「団体名」があってもいいものの、なんで「若者」なんて自称するんだろう。ほんとうによくわかりません。
そして最後の「集会アピール」を読む人の所属が「民青同盟」となっていて、ようやくどういう人たちの集まりなのかがわかってきました。ここまでこないとわからないのか、と言われそうですが、あまりそういうことを考えずに、「勉強させてもらいますぅ」という感じの参加ですから、別にそういうことを積極的に知ろうとも思っていませんでした。
わたしもよく知らなかったので、調べてみました。「民青同盟」というのは、民主青年同盟の略で、その活動をHPではこんなふうに説明しています。
「民青同盟は、今年で創立80周年(1923年4月5日創立)。全国で2万人以上の仲間が、大学や高校、会社や地域に班をつくって活動をしています。
平和、環境、自分の夢や進路、学びがい、働きがい、学校の勉強や校則、人間関係など、身近な問題から大きな問題まで多彩にとりあげ、みんなの願いを実現し、政治や社会をかえるためにがんばっています。日本共産党を相談相手に、いまどんな問題がおきているのか、どうすればかえられるのかを学び、成長することをめざしています。」
ふーん、そうなんだ。こんなこと常識と言われそうだし、自分でもなんとなくわかっていたつもりだったけど、ちゃんと書いてあるものを見たのは初めてだったので、自分なりに感動している。
でも、やっぱりこういうふうに政党の名前がしっかり書いてあると、違和感がある。それには、わたしなりの理由もあって、この間、「食の安全」や「鳥インフルエンザ」問題で、自民、民主、共産と、政党を越えて議員さんと懇談しているなかで、この政党の体質はイヤだと感じざるを得ないということが何度かあった。とくに最近の鳥インフルエンザの件では、「わたしたちが話しをするより、今日はみなさんの話がききたい」と参加者の発言を優先した政党がある一方で、参加者が3分話せば、議員さんが10分しゃべるという政党もあったから。「懇談」といっても、結局、相手の実績を聞かせているだけじゃないかと思えたから。
それですべてを判断してはいけないけど、でも、この「被災50年2004年3・1ビキニデー集会」に出ていてもたいして感動することがなかったのは、こういう閉鎖性ゆえではと思っています。
内弁慶はいけないし、こういう平和の活動こそ外に向って発信していかなければならないのだろうけど、わたしは、申し訳ないけど、「生協」の内輪の活動にしておくほうが、わたしの精神のレベルではいいようです。
こんなふうにあまり感動もせず、集会は終わって帰路につくことになりました。
このあと、わたしは、短い時間ですが同行の3人をおいて「先にいきます」と「焼津お買い物ツアー」を敢行してしまうのです。同行の方には失礼なことをしてしまったのですが、でも、どうしても買いたいものがあったから、強引に先に言ってしまいました。
このあとのお買い物記もいずれ書きたいところですが、とりあえずここで終了とします。