7月16日、今日は市尼(いちあま)の緒戦です。シード校なので2回戦からなのですが、トーナメント表を確認していないので、対戦相手もわからず、とにかく尼崎記念球場の第3試合という情報のみを頼りにでかけていきました。
あとでわかったことですが、朝日新聞のサイトには、翌日の試合予定もトーナメント表もちゃんとでていたんですね。確認してませんでした。
尼崎記念球場というのは、JR尼崎駅から徒歩数分というたいへん便利なところにあります。新快速も止まるので、京都からでも1時間ほどで着いてしまいます。それに、ディスカウントチケットで「昼間切符」というのを買えば、正規運賃890円のところ490円で済みます。京都駅までのアクセスが140円なので、これはかなりお得です。
でも、そういう切符がなくても応援に行きます。
でもやっぱり近いのは有り難いです。それに市尼の選手、関係者にとってもいいはずです。
ただ、難点といえば、観客席が狭いことでしょうか。
死角になる席もあって、日陰でよく見える場所を確保するのは大変です。
でも、それが市尼の人気だと思えば、嬉しいことです。
京都では、西京極、太陽が丘、福知山の3つの球場で行なわれるのですが、京都府の南部の高校同士が福知山球場で対戦ということも珍しくなく、気の毒としかいいようのない対戦がいくつかありました。
兵庫でもそういうことがあるんでしょうね。南北、東西に広い県ですから、仕方のないことかもしれないです。
試合開始予定は14時ですが、14時に行っては遅いのです。観るなら守備練習からみたいのと、それからコールド試合というのもあるので、前の2試合が早く終わる可能性もあります。だから余裕をもって出かけないといけないのです。これを考えずに去年は、痛い目にあいました。
まず試合開始に間に合わなかった。(最悪)
席がない。(かなり最悪)
だから今年は、先手必勝。12時には球場に着くように家を出ました。
三連休の初日とあって、結構な混み具合でしたが、補助席をゲットできて座っていくことができました。ラッキーです。
JR尼崎駅から球場までは、通い慣れた道。信号をどこで渡っていこうかなど、ちょっとした余裕です。
でも、わたしの気持ちは、野球を観にいくという昂揚感とは別に、別のいたたまれないものがありました。
球場一帯は尼崎記念公園といって、陸上競技場や体育館があります。
その体育館は、JRの事故で死亡された方が搬送されたところでした。
多くの遺族の方が、この道をどんな気持ちで歩かれたのだろうか。
安否のわからない家族の居場所として、「ここかもしれない」と思いながら、でも間違いであってほしいと祈るような気持ちで歩かれた方もいらっしゃるでしょう。
この道が悲しみの記憶として、残っている人はまだまだ多いはずです。
JR尼崎駅から記念体育館へ続く道は、いつもきれいであって欲しいです。
できれば花を植えて、美しく整備しておいてもらいたいです。
この道は悲しみの道だから、少しでも癒されるものがあってほしいと思いました。
この道は涙なしに歩けませんでした。
でも、そうしているうちに、球場からの歓声が聞えます。
なんて対照的なんでしょう。
事故で犠牲になった方のなかには、北摂三田高校で野球をされていた方もいらっしゃるそうです。
野球場の喧騒が、今、ここに生きている者の生の証とすれば、今、生を受けている者として、精一杯生きていかなければならないと思いました。
球場の近くで、第一試合を戦った(らしい)加古川西高校の選手たちが、球場をあとにするところでした。
制服を着て、整列とまではいきませんが、統率されて歩く様子が好印象です。
加古川西といえば、山脇くん(中大の陸上部の1年生)の母校です!
加古川西は勝ったのか、負けたのか、その様子からは判断できませんでしたが、なんとなく勝ったのかなと思っていました。(あとで確認しましたが、勝っていました。)
入場券700円を買って、市尼が一塁側であることを確認して、球場に入りました。
球場に入ると、一塁側で空いているのは、死角になっている席のみで、仕方なく上段の通路にしばらく座ってました。今は第2試合なので、次の試合には動きがあるだろうと思ったからです。
でも、よく見てみると、席は全部、埋まっているわけではなく、座っている人もまわりに余裕をもっているので、ちゃんと探せば席はあるのです。これは6年前の甲子園の決勝、横浜対京都成章の試合のときの教訓です。
わたしが球場に入ったときは、第2試合の播磨南と福崎の試合の2回の表、播磨南の攻撃のときでした。
いくら先手必勝といっても、早すぎかもしれません。
球場の外で聞えていたのは、どうやら播磨南の1回の攻撃のときだったようです。得点は入っていませんが、ヒットがでていました。
播磨南って、どこにあるのか知りませんが、播磨にあるんでしょうから、遠いはず。なのに、応援団のすごいこと。ブラスバンドも入っています。500mlのペットボトルにBB弾を入れたものを、応援席のみんながもっています。それが結構、部外者のわたしにはうるさく聞えてしまうのは、いたしかたのないことでしょう。
それに対して、福崎はブラバンは入っていないけど、太鼓と野球部員たちの応援が力強いです。
2回表もランナーが3塁までいきましたが、福崎の投手はここ一番のところきっちり抑えます。これはどうも福崎に分があるのかもと、素人ながらも考えてしまいます。
2回裏に福崎が2点、4回に2点入ったところで、投手交代。犠飛で1点を加えて5−0とします。
福崎の投手はだんだんとよくなってきているので、5点差はきついかもと思いますが、わたしのまわりは播磨南の大応援団、応援団はもちろんあきらめていません、必死の応援です。
播磨南にとってはもどかしい試合展開ですが、ようやく6回にヒットが続いて1,2塁にしたあと四球で満塁に。
ノーアウト満塁で次の打者は三振。そして次の打者の打った球は2塁ベースの横あたりに強く飛んで、内野手がお手玉してしまって、ようやく播磨南に点数が入ります。記録はヒットですが、当たりとしては完全に打ちとっていますから、やはりこの投手はここ一番の勝負どころがおさえられる選手なのでしょう。後続の打者は三振、内野ゴロで、この回を1点で抑えます。
播磨南にとっては、ノーアウト満塁のチャンスをものにできなかったのは、精神的にも痛手でしょう。
7回裏には、福崎が連打でまた追加点。播磨南の敗色が強くなってきます。
8回に入ってから、スタンドの下のほうが今の試合とは別の動きが始まりだしました。
播磨南−福崎の試合を見ながらも、わたしが気になっているのは、市尼の選手たちです。
ときおり前を通る選手をみながら、「あっ、いくまくんだ。さんちゃんだ」と、数少ない顔と名前が一致する選手の様子をうかがっていました。
次の試合の準備のために、市尼の保護者の方が、ベンチの後ろで死角になって誰も座らない席に飲み物や鳴り物やメガホンなどを運び込んで準備を始められました。
野球は点差があれば9回で終わります。
なんとなく、播磨南の負けてしまうのではという空気のなか、一方で次の試合の準備が着々とされている現実と、これもまたあまりにも対照的でした。
試合は、6−1で福崎の勝利だったと思います。
試合後の挨拶では、大応援団から大きな拍手です。
こんなにもたくさんの人たちに応援された球児たち。こうやって応援されて、晴れの舞台に立ったこと、素晴らしいことだと思います。今日のこの応援のなかで試合ができたこと、一生の宝物ですね。