歴史街道 京丹後100キロウルトラマラソン 2006年9月17日 参加記

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 プログラムをみたら、「歴史街道 京丹後100キロウルトラマラソン」という名称でした。通称「丹後100」なんですが、市町村合併で「京丹後市」になったからでしょうか。

 この大会は第1回目からエントリーしています。
 かつては9月に野辺山100キロに出ていましたが、野辺山が5月になったのと、大好きな丹後の町を走ってみたいということで、ずっとエントリーしています。
 第3回は故障のためスタートできず、第4回は73.3キロの関門アウト。
 第1回、2回、5回と完走はしていますが、毎回、関門時間に追われながらの、ラッキーな完走ばかりでした。

 「もうちょっと真面目に取り組んだほうがいいのでは」と思いだしたのは、昨年の11月頃から。
 きっかけは故障明けのある陸上選手を応援するようになったことです。
 人にがんばれ〜と言いながら、自分はどうなの?という思い。
 それから今年の3月にハンドボールのプレイオフの大崎対湧永の試合をみたときです。
 なぜそれが、きっかけになったのか、自分でもよくわからないのですが、なんかたいした練習もせずに、「完走できてよかった」と繰り返しているのは、怠慢ではないかと思ったことでしょうか。

 そういうことで、昨年のマラソン参加記は、「13時間15分をめざす」と書いたので、それを目指して頑張ることにしていました。
 だから何をしたかというと、いつもより練習する日は多かったです。
 こんな日にはこれまでは走らなかったという日も、スキマをみつけて走りました。
 実力がつくというより、気持ちの問題で。
 練習コースも、これまでより起伏の激しいコースを「いつものコース」として走るようにしました。
 「丹後の坂を走りたい」と思って、24号線の高架の上りを走り、御陵の階段を上り、桃山城の坂を走っていました。
 
 「丹後は暑い」というのが、これまでの傾向だったので、ときには暑い時間にも走りました。
 それで暑さになれるとは思えないけど、暑い中を走ったということだけで、気持ちが前向きになると思ったからです。


 交通機関
 丹後に参加するには、移動手段のないわたしは、ツアーのバス、宿泊を使うしかないのです。
 網野発の18時9分に乗れたらいいのですが、わたしがゴールするのは18時30分ですから、それは無理。
 今、調べてわかったのですが、20時28分網野の宮津線で京都駅に12時頃に着く列車がありました。
 バスよりこっちのほうがいいかも。来年は考えてみようと思います。
 
 そのツアー会社の対応が今ひとつなのですが、今年は、なぜか対応が普通でした。
 というか添乗員のおねぇさんの対応がよかったということだと思います。
 去年は、時間がこないと受付しない、3台あるバスのうち、2台に適当に乗ってくださいでしたから。
 だいたいツアーにくる人は、早め早めに来る人が多いのだから、着た人から受付したらいいのに、そういうことができていないし、3台のうちの2台のバスがどのバスなのか指示はなかったし、それに「適当に乗ってください」で、きっちり半々に乗れるものではないですから。
 今年は、集合場所に行ったら、すぐに受付してもらえたし、バスも1号車と2号車の指示もありました。
 出発前のトイレの案内も、「道が混んでますから、遠慮なく行っておいてください」という感じでした。
 それと、全体的に乗っている人の質もよかったように思います。
 添乗員のおねえさんも「みなさん、協力的でありがとうございます」と言われていました。
 わたしも何度もバスツアーの添乗員まがいのことをしましたが、「必ず遅れてくる人」いるんです。
 そういう人って、言ってもムダなんですよね、なぜか。

 そして出発、受付、宿へ
 バスは京都駅を11時30分に出発しました。
 わたしの隣の人は、座るときに「お隣いいですか」とちゃんと言ってくれたし、それよりびっくりしたのは、お弁当を食べるときに「いいですか?」と聞かれたことです。
 聞かれて、「ダメ」ってことはないんですが、そこまで気遣う人に最近、あんまり出合ってなかったので、驚きました。
 ちょっとだけお話したのですが、6月の「しまなみ」に参加されて、丹後ははじめてということでした。
 「しまなみは橋ごとに大変でしょう」などと、少しお話しました。

 バスは途中のやまがた屋さんと由良のパーキングに停車、ほぼ予定通り、受付会場のアミティ丹後に着きました。
 受付は雨を予想して体育館の中でした。
 宿までのバスは4時20分なので、それまでの時間、体育館のなかで過ごしました。
 といってもとくにすることもなく、開会式をみて、静御前の舞をみて、コース説明をちょっと聞いてとしていました。そのときは、雨ということを前提に、「寒さ対策」を言われていました。
 雨は考えていたけど、寒さまで考えていなかったので、ちょっと不安になりました。

 宿までは大会のオフィシャルバスで移動ですが、これが結構、早くに満員になってしまうので、早めに行きました。
 わたしが泊まる宿は、一番最後なので、それも気楽だったし、今年の乗務員さん(といってもボランティアの方)は、宿をひとつひとつ説明してくださったので、親切でした。
 宿は、グレードでいうと真ん中で、ひとり部屋をとってもらいました。
 ひとり部屋だと2000円高ですが、マイペースで過ごすのには、わたしには必要な料金です。
 ウルトラの前日に気を使いたくないですから。
 今年はトイレもついているお部屋で、これはなかなかよかったです。
 さっきバスの中で、この宿(レイクサイド琴引)を指名したと言ってた方がいらっしゃったので、わたしもできたらそうしたいと思いました。

 宿に着いたら、会場でもらったから揚げと焼きそばを食べました。
 お昼が少なかったので、お腹が減ってたのです。
 そのあと、テレビで相撲中継を見ながら、56キロと73キロ地点での荷物を作ったり、ナンバーカードをつけたりして、明日の用意をしました。
 夜はできるだけ早く寝たかったので、早めにしておくことにしました。
 寒くなるということなので、73キロで長袖のウエアに予備のナンバーカードをつけて、携帯するのは氷砂糖とブドウ糖とパイナップルのドライフルーツ。その予備をトランジェット袋に入れて、使わないだろうけど、一応スパッツ、靴下など入れて準備しました。
 今年は、ナンバーカードの袋にシールも入っていて、それをはればよくて、それもまたよかったです。
 いつもは、サインペンで記入していましたから。
 そうそう、RCチップもつけて下駄箱に入れに行ったりもしました。

 夕食は6時半なので、それまでにお風呂に入ることにしました。
 結構、大きなお風呂で、くつろぐことができました。

 6時半から夕食。
 宿泊は、ランナーばかりです。
 わたしの隣の部屋は女性4人。あとでわかったことですが、東農大の人たちでした。同じグループと思われる男性たちも4人くらいいました。
 他に男性2人、相部屋の人3人、男女2人。
 そしてわたしのような「おひとりさま」は3人。3人揃って、中年女性でした。
 中年女が、ひとりでウルトラ走るのに泊まってるって、自分のこととはいえ、なんかヘンよね、と思いました。

 夕食は、これまで泊まった宿、全部はずれなしです。
 ごはんは美味しいし、お味噌汁も美味しいし。
 こんな美味しい食事をとらせてもらえることにも感謝です。
 わたしを含め「おひとりさま」は、早々に食べて、部屋に帰ってしまいました。
 
 ひとりで宿に泊まった場合、食事はどんな感じなのか、ちょっとドキドキです。
 たいていの場合は、ひとりのテーブルを作ってもらうので、それでいいのですが、知らない人と一緒にということもあります。
 それはそれで、わたしは別に平気なんですが、旅先でまで気を使うのもねぇ、というのはあります。

 食事を終えて、部屋に帰ったら、お布団が敷いてありました。
 わぁ、ありがたい!
 いえ、自分でしきますけどね。
 部屋に戻って、ゆかたに着替えて、ようやくほっこりした感じです。
 明日の準備はできているので、あとは寝るだけ。
 缶ビールを飲みつつ、シンクロのテレビをみつつ、もってきていた本を読みつつしていました。
 そして8時には就寝。
 翌朝は2時前に起きなければなりませんから。
 
 ビールがきいたのか、意外にすんなりと眠れました。
 眠れなくても、横になっているだけもいいという感じでしたから。
 一度、暑くて目が覚めたので、窓を開けて、もう1度、眠りに。
 1時45分まできっちり眠ることができました。

 翌朝、朝食も美味しくて、ごはんもおかわりをして、バナナも食べて。
 部屋に帰って、歯磨きをして、日焼け止めを塗ってと思ったら、日焼け止めをもってくるの忘れていました。
 まぁ、あっても汗ですぐ流れるのですが、もっているのといないのとは全然、違います。
 あぁ、ミスってしまったと、ちょっと焦りました。

さて、出発
 
 宿の出発時間は、近いわりに早くて、集合時間と出発時間も15分もとってあって、どういうことかと思ったけど、結構、人が多かったので、それくらいでちょうど良かったようです。集団行動は時間がかかるものなのです。
 ウルトラなのに珍しく若い子たちも一緒でした。どうやら、東京農大の方たちのようでした。
 ウルトラといえば、おっさん、おばさんのスポーツかと思えばそうでもないんでしょうか。
 でもねぇ、若いのにねぇ、わざわざこんなことしなくてもねぇ、なんて思ってしまいます。

 会場にはすぐに着きました。
 昨日のうちに準備をした着替え袋を2個預けて、体育館へ。
 まだ早いせいかとってもすいてしました。
 長いすに座って、ぼーっと時間を過ごしました。
 何もすることがないですから。
 トイレに行ったり、馬油を塗ったりはしていましたが。
 しばらくしたら、見た顔のご夫妻が前に座られて、ご挨拶。NAMIさんでした。
 NAMIさんとは、1回目のときに少し、一緒に走らせてもらいました。
 でも、ゴールしたのはわたしがずっとあとでしたが。
 NAMIさんに去年、完走したことを言われて、「暑さに強い」と言ってもらってちょっと嬉しかったのですが、わたしは暑さに強いのではなく、去年の完走はまぐれというか、運がよかっただけですから。

 荷物を預けて、30分前に外に出ようとしたら、「雨、降ってきた」とこのこと。
 なのでギリギリまで、体育館にいて15分前に外にでました。
 外では、飲み物やようかんなどのサービスがあって、これはなかなかいいです。
 わたしは、コーヒーをもらって、気持ちを落ち着かせていました。
 去年は、走る前、怖くて怖くて泣き出しそうになりましたが、今年は、あまrそういう感じではなく、だたひたすら待つという感じで、何も考えていませんでした。
 雨は激しく降るわけではなく、でも、それなりに降っていたので、雨用のビニールを着用して待っていました。
 そこで困ったことが。
 時計が、公式のものより1〜2分遅いので直そうとしたら、なんかとんでもない時間になってしまったのです。
 ストップウォッチが作動していたら、関門までの時間は、時刻と時間の両方を書いた紙をもっているので、大丈夫とはいえ、やっぱり時刻が不正確というのは、よくない。ということで、必死で正しくしようとするのですが、何せ使い方をちゃんと把握していないし、時間を正しくするなど、ほとんどする機会がないので、ますますおかしな時間になっていきます。あぁ、どうしよう、どうしようと思って、これ以上、ひどくならないようにと、だいたい1時間進んだところで断念。
 それにしても焦った、、、。こういうときに普段、やらないことをするのはよくないです。

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