弥栄町から碇高原へ
コースは網野の町中から弥栄町へと移ります。
いくつか信号待ちはあって、待ったり、待たなかったり、そのときの運にまかせながら走っていきました。
スタートから6時間近くになっていますが、朝が4時半なので、まだ午前中です。
それでも、陽射しがとても強く、雨や寒さを想定していた身には、予想外の好天気に戸惑うことになります。
腕の日焼けもきつくなってきました。
一番、ひどかったのは、スパッツのところで、この日にはいていたのは、いつものより2センチくらい短いので、その日焼けをしていない部分が真っ赤になり始めていました。
結構ねぇ、色は白いほうなんで、日焼けはほんとうに困ります。
足の痛みも、もうどうしようもなく、これは共存するしかないと覚悟をしたのもこのくらいの距離のときだと思います。
それでも、右足をかばって左足に影響してはいけないので、痛いけど普通に足を前に出すようにしました。
ゆっくり走っているぶんには、大丈夫ですが、これは下れないかもしれないと、思いはじめました。
80キロからの下りは、いわばタイムの稼ぎどきなのですが、そこで思うように走れないかもしれない、そんな予感もしてきました。
でも、とにかくこの足で走る以外にありませんから。
あじわいの郷
何キロ地点くらいかよくわかっていないのですが、弥栄の関門の前に、あじわいの郷に入って1周します。
それが入り口が坂になっていて辛いけど、でも、ランナーとすれ違える場でもあるので、それはそれで貴重な時間でもあります。
わたしが、あじわいの郷にはいるときに、出ようとしているランナーは、とっても元気だから。
先行するほうが余裕があるんですよね。
こういうとき、切実に感じます。
そういえば、去年は戦隊モノをやっていて、「正義の味方やったら、わたしを助けてくれ」と思ったのを思い出しました。
今年は、そういうアトラクションはなく、少々、退屈しながら園内を走っていました。
途中、ニューバランスのエイドがあるのでしょうか。
そこが結構、賑やかで、名前を呼んでお見送りしてくれます。
これもまた元気になるのですが、そろそろ元気さと身体が一致しなくなってきて辛くなってきます。
園を出るときのくだりの坂道は結構、快感で、これから園内に入る人たちをお見送りすることになります。
今年は、去年よりすこし早めなので、入ってくるランナーたちも元気でした。
去年は、そろそろ関門がヤバイような時間だったので、とっても疲れてられたのを覚えています。
あじわいの郷を出て、あとは55.9キロの弥栄町のエイドにたどりつくことだけを考えていました。
55キロは37分55秒17、6時間34分06
55キロを過ぎたらエイドまでは900メートル。
10分走れば、エイドです。でも、その10分が意外に長く感じます。
コースはよく覚えていて、酒屋さんの角を曲がって、まっすぐ行ったところです。
見えているようで遠くて、一度、信号待ちがあって、それからスーパーがあって、そのあとトランジェットの番号を呼んでもらって、ようやく55.9キロの弥栄庁舎に着きました。
関門時間が7時間45分なので、約1時間の余裕です。
こんなに余裕をもってここのエイドにきたのは初めてでした。
それだけ前半に突っ込んでしまったということですが、でも、ここで1時間あれば、次の碇高原までの余裕度が少し違います。
弥栄庁舎では、トイレに行って、ウエストポーチの中のドライフルーツと氷砂糖、ブドウ糖の入れ替えをしました。
足の裏にマメができているかと思いましたが、まだ、マメにはなってませんでした。
ここでおにぎりを食べて、オレンジジュースを飲んで、スープを飲んでと、少しゆっくりしました。
といっても、わたしにはエイドでゆっくりする余裕はありませんから、早々にそこをあとにすることにしました。
それにしても暑かったです。
弥栄庁舎を出るのが12時前後ですから、これからまだ暑くなっていったのでしょう。
自販機からの水分補給もしっかり考えておかないと。
弥栄からしばらくは普通の道で、60キロ手前で少し上って、そのあとは急激に上っていきます。
平坦な道はわりと普通に走っていて、自販機でアクエリアスを買っていたら、同じく自販機仲間が。
赤いアフロのカープの55番です。
このランナーとは、たびたびすれ違っていて、少ししゃべりながら走っていました。
「エイドにアミノバリューしかなくて、わたしアクエリアスが好きなんです」など。
この人も、エイドの飲み物に不満ありということで、自販機仲間になっていました。
平坦なコースは、それなりに走れていましたが、上りになると全然でした。
暑さが影響したのか、足の痛みが影響したのか、前半の突っ込みすぎが影響したのか、何が原因かわかりませんが、歩きながらどんどん後退していくのがわかりました。
関門は73.3キロで10時間10分。
わたしは、55キロを6時間34分で通過しているので、キロ9分で行ければなんとかなりそうな感じだったので、あまり悲観せずに歩くことにしました。
例年、ここの坂は歩いていますから、歩いてもたぶん大丈夫と思いましたが、ランナーに次々と抜かれていくこと、右足の痛さがさらにひどくなって、マメもできている感じだったので、かなり不安になりました。
60キロは46分58秒77、7時間21分04秒
エイドの休憩時間はあるし、前半は走っていたので、46分という時間にはそれほど驚きませんでした。
歩いていいから、前へ前へと、碇高原を目指して歩きます。
それにしても暑い、痛い、、、と精神的にガタガタと崩れているのがわかりました。
62キロ地点で、後ろから、知った声が。
なんとスポックさんではありませんか。
えっ、わたしがスポックさんの前を走っていたの?と、半信半疑です。
でも、たぶん、弥栄のエイドで抜いたんだと思います。
わたしのレベルでは突っ込みすぎですが、一般のペースでいえば、かなり遅いほうですから。
スポックさんは、「暑〜、やば〜」と。
なので、去年よりはまだマシだと。
実際のところどうかわかりませんが、わたしは、去年の暑さのほうがきつかったです。
去年に比べたら、まだマシだったように感じます。
62キロからは一瞬、少し下るのですが、元気な人は颯爽と下っていきますが、わたしは、下りももうダメになっていました。
足の裏にマメができているのと、甲と足首が痛いのとで、ほんとうにどうなるのか不安でした。
でも、一応、走れたので、このまま頑張れば完走できるような気はしていました。
65キロは48分46秒47、8時間9分51秒
関門まではあと2時間。8キロを2時間かけても大丈夫なのですから、次の関門まではなんとかなりそうな気がしてきました。
でも、そのあとの下りを速く走れないと思うので、どことなく様子見という感じでした。
いちばん辛かったのはこのあたりかなぁ。
碇高原までの坂はきついし、暑いし、足は痛いし。
少しは走らなきゃと思っても、足が動かないし。
それから、やっぱり下りがこの足でもってくれるのかとっても心配でした。
どうして痛くなったんだろう。
10キロすぎという短い距離で痛くなってしまったことも、なんだかとっても不可解だったし。
エイドは山のなかでもそれなりにあって、エイドごとに頭から水をかぶって冷やしました。
こんなお天気になるなんて想像もしていなかったのに、臨機応変に対応してくださった大会関係者の方に感謝です。
それにしても長い5キロでした。
70キロは55分40秒98秒、9時間5分32秒
ついにキロ11分まで落ちてしまいました。
しっかり歩いているつもりなのに、キロ11分って。
でも、あと3.3キロ先の関門には1時間あるので、次の関門はクリアできそうなので、それを頼りに前に進みました。
碇高原のエイドには、上りきったあと少し下ることはわかっていたので、ひたすらその下りになるときを待ちました。
73.3キロのエイドでは、靴下を履き替えて、ワセリンを塗ったら、マメはなんとかなりそうな気がしたからです。
とにかく、エイドまで、そればかりを考えて、前に進みました。
そしてようやく上りきって、下りです。
足の状態が気になりましたが、痛かったけど、走ることはできたので、少し安心しました。
下りでタイムを少しは稼がないと、完走がみえてきませんから。
碇高原のエイドで
エイドでは、まずトイレへ。
そのあと靴下をみたら、右足のほうに穴があいていました。
まぁ、これはたいして影響はないけれど。
着替え袋に入れていた靴下を履き替えて、ワセリンをしっかり塗っておきました。
マメができていると思っていましたが、それほどひどくはなく、まだ水ぶくれにはなっていませんでした。
そして、足の甲にスプレーをしてもらって、少しは回復した気分になりました。
エイドでは、スープとオレンジジュースがやっぱり美味しかったです。
それから塩も。
ウエストポーチの中も入れ替えて、氷砂糖、ブドウ糖、ドライフルーツ。
ドライフルーツは、甘すぎるけど、水さえあれば大丈夫です。
これはやっぱり疲れているときには効きます。
あと26.7キロ
100キロマラソンですから、あと約4分の1ということになりますが、この20数キロがまた長いんですよね。
最初の20キロと全然、感覚が違います。
当たり前といえば当たり前で、これがウルトラの楽しいところであり、苦しいところなのです。
エイドを出て、このあと一気に下ります。
碇高原で、今年は牛はみれませんでした。
牛がいたら、それはまた気分転換になるのですが。
心配していた足は、やっぱり痛いけど、でも、痛くても走れたので安心しました。
極端に遅れない限り大丈夫だろうと、そろそろ完走を意識しはじめました。
75キロは51分55秒95、9時間57分28秒
エイドの時間もあるので、この時間はなんともいえませんが、とにかく走ってればなんとかなりそうな気がしました。
下りは頑張りすぎてもいけないし、頑張らなさすぎてもいけないし。
そのへんの加減が難しいです。
そうこうしていると、コース上に2ひきのサルが。
これが、可愛いって。
なんかおサルさんに応援してもらっているような気がして、ちょっと嬉しかったです。
牛はいなかったけど、サルに会えた。そんなことが、気分転換になります。
80キロは33分53秒75、10時間31分22秒
丹後町の山のなかを一気に下っていきますが、この山のなかもわたしの好きな景色のひとつです。
こういうところを走っていることの幸せを実感できるところです。
この5キロは33分ということで、やっとキロ7分を切ったくらいでした。
自分としてはもう少し、速く走っているつもりだったので、少しショックでした。
この下りで34分かかってしまうのだから、平地だとキロ8分も難しいのではないか、そんな気がしていました。
80キロを過ぎてから、コースは丹後の海沿いになるのでしょうか。
正確なところはわかりませんが、山から海へとコースが変わり、ここでもまた気分転換になります。
スタートしてから11時間ですから、日も少しは翳ってきて、というか、今度は寒くなるのではと、そんな心配もし始めます。
次の関門は、87.9キロで12時間8分。ここも極端に遅れなければ大丈夫そうです。
85キロは47分47秒36、11時間19分09秒
コースは地図上では平坦ですが、細かなアップダウンがあります。
5キロ48分ということは、まもなくキロ10分です。
このままキロ10分でいっても、完走は大丈夫そうですが、それでももうすでに悲鳴をあげている足が、今後どうなるかわかりません。
歩くのではなく、できるだけ走ろうと思いながら、前に進みました。
85キロくらいからでしょうか、60キロコースの人たちと合流します。
100キロ、60キロにかかわりなく、疲れている人(わたし)、元気な人、いろいろです。
わたしは、たぶん、相当、疲れているように見えたらしく、多くの人に声をかけてもらうことになりました。
「もう少しですね、頑張りましょうね」
「もう、キロ10分で行っても大丈夫ですよ」
「頑張って、最後まで行きましょうね」
こういう言葉かけは、最後まで続きました。
わたし、そんなに疲れていたのでしょうか。
88.9キロの丹後庁舎が、最後の関門です。
12時間8分のところ、おそらく20分くらい前には入れていたように思います。
ここも大きなエイドで、ここでは、おしるこを食べました。
このお汁粉の美味しいって、ほんとに。
ウルトラマラソンでは、あまりモノが食べらずに寂しい思いをするのですが、ここのお汁粉はほんとうに美味しく食べることができました。
ここのエイドを出るときも、浅茂川で見送ってくれた高校生?中学生?クンたちが、名前を呼んで見送ってくれます。
好きで走っているだけの人たちを、応援してくれる姿には、感動でした。
ありがとう、ほんとうにありがとう。
あなたたちの応援のおかげで、元気にエイドをあとにすることができました。
コース変更
昨年の台風か大雨の影響でしょうか、後半で少しコースが変わっていました。
旧の国道は、とっても坂がきつくてたいへんだったので、コース変更はよかったのかもしれないけど、今年はさらにトンネルを通るところが2箇所、増えていました。
これが結構、たいへんだったのです。
まず、トンネルなので閉鎖されていて、気分が辛い。
排気ガスをいっぱい吸っているようで、これまた気分が悪い。
90キロ近く走ってきて、感覚がマヒしているせいか、どう説明していいのかわかりませんが、とにかく苦痛でした。
2本あるうちの1本は、かなり長かったし。
でも、やむを得ないコース変更だから仕方ありません。
走らせてもらっているというだけでも感謝しなければ。
90キロは45分29秒10、12時間04分38秒
あと10キロのところで、12時間を過ぎました。
わたしの目標として、13時間15分というのがあったので、だいたいこの時点でダメだなと思いました。
自分なりに走っているつもりでも、キロ9分に落ちていましたから。
途中のエイドで、地元のおばあさんが、「がんばって〜」と少し、一緒に走ってくれました。
それなりに年齢はいっているようでしたが、彼女は陸上競技が大好きで、西京極で3種をした、というようなことを言われました。
きっと、わたしの陸上好きを感じて、声をかけてくださったのだと思う。
もう長いこと走ってきて、気持ちが単調になっているので、こういう目新しい状況は、気分転換になります。
93.8キロに三津小学校のエイドがあります。
ここは、味噌汁やらスープがあって、ここでもわたしはスープをもらいました。
疲れていると、こういう塩っけが嬉しいのです。
それを裏付けるように、わたしの短スパッツは、塩を吹いていました。暑かったですから。
何キロ地点か忘れたのですが、もう1度、ふき子さんがエイドをされているところに遭遇しました。
遠目だったのですが、大きく手を振るとわたしだと気づいてくださって、「寒くないですか〜」と。
たしかに気温は下がっていましたが、わたしは、半袖シャツのそでをあげたままにしていたので、まだまだ寒いって感じではありませんでした。
「大丈夫、ありがとう〜」と、感謝をして、また先に進みました。
早朝から夕方までのサポートに感謝です。
95キロは50分55秒96、12時間55分34秒
そろそろ完走の時間も見えてくる距離になりました。
あと5キロなので、キロ10分での制限時間には余裕がありそうでした。
このままいけば完走はできるだろうと思っていたけれど、でも、わたしの目標はクリアできないことが確実になって、ちょっと残念な気がしました。
今の自分の力を出し切ったとはいえ、目標を実現するためにどれくらい努力したかと問われると、自信がありません。
まだまだできることはいっぱいあったのに、していませんでした。
反省するのは簡単だけど、本気で次につなげないと。
でもあと5キロといえば、カウントダウンのようなもの。
足はとっても痛かったけど、でも、あぁ、もう5キロで終わりなんだと思いました。
もう5キロ走ったら、走れないんだ、そんな感じです。
途中、宿泊した宿の前を通って、「えっ、こんなに近くだったの?」と思いました。
そこは、離湖という湖の横で、そこを通るのがまた、幻想的でした。
なんかぼんやりと異次元いるような感じでした。
あと、4キロ、あと3キロ、あと2キロ、、、、と距離表示が少なくなって、わたしの頭の中は、あと30分、あと20分というふうに、走れる残り時間をカウントし始めました。
あと1キロくらいになってから、応援の声が増えてきて、それもまた元気のもとになりました。
ゴールする少し前に、62キロで颯爽と抜かしていったスポックさんに遭遇。
62キロといえばもっとも疲れていたときで、そこを見られているので、まさか完走するとは思われていなかったのか、「あっ」と驚かれたような感じでした。
それとも「結局、辻褄合わせてゴールするなぁ」みたいな感じでしょうか。
ほんと、その通りなんですけど。
ゴールのアミティ丹後には、MCのわかちゃんの声が響いていました。
「走快ねっとランニングクラブの○○さん、ゴールです〜、おめでとうございま〜す」の声。
そう、この声が聞きたかったのです。
わかちゃん、ありがとう。
わかちゃんがどこにいらっしゃるのかわからなくて、キョロキョロしたけど、ようやくみつけて、手を振って応えることができました。
やっぱり完走はいいねぇ。嬉しいよ。
ゴールをしたら、メダルをかけてもらうのですが、メダルがもうないということで、後日郵送してもらえるということでした。
ゴールで所属と名前を呼んでもらったので、それでわたしがいることに気づいて声をかけてくれたのが、ニューバランスのスタッフで参加しているハマちゃんでした。
ゴールをする人のシューズのメーカーをチェックしていました。
なるほど、そういう地道なことをするんですね。
でも、なかなかいいデータになりそうです。
で、ウルトラランナーはどのメーカーのシューズが多かったのでしょうか。
それから、ランナーズの通信員でお世話になっている方にも声をかけていただきました。
たしかさぁ、あじあいの郷で、わたしが入るときに出ていかれたので、あの時点では10分くらいしか離れていなかったのに、ゴール時間はこんなに違っていました。
後半、ボロボロだったので仕方ないか。
100キロは44分44秒14、13時間40分18秒。
4回の参加で、2番目の記録ということです。
目標には程遠かったけれど、痛い足と共存しながら、よく走ったと思います。
内容は悪いけど、でも、完走はできてよかったです。
ありがとう
走る前にたくさんの方からメールをもらっていました。
ウルトラなので単純に「ガンバレ」という声はかけにくく、その微妙な心遣いに感謝です。
メールをいただいた方に、帰りのバスのなかで、返信をしながら、完走の返信ができたことが嬉しかったです。
完走だけがすべてではないけど、でも、完走できたら嬉しい。
目標を決めて、それに向って頑張る、それを今度はもうちょっとストイックに追及したいと思います。
ゴールしたのが6時過ぎ、バスが出るのが7時。
それはそれは慌しいですが、慌てて着替えて、荷物を準備をしてバスに乗り込みました。
その日のうちに帰れるというのは有り難いです。
18日は休日なので、のんびり過ごしました。
痛めた足は、2週間ほど安静にすることになりました。
いまだに原因もわかりませんが、多少の違和感はあるものの、10月はオクトーバーランを頑張っています。
目標は達成できずに宿題になりました。
だから来年、もう1度、頑張ります。
応援してくださったみなさんありがとう。
大好きな丹後を1日、走らせてもらえたことに感謝します。
来年もまたスタートラインに立てるようにがんばります。
そして、最後まで読んでくださってありがとうございます。(はなこ)