まず最初に、陸上競技の応援についてです。
わたしは、陸上競技が大好きですし、陸上をしている人はみんな好きです。だから陸上に取り組んでいる人はみんな頑張って欲しいと思っています。でも、ちょっとご贔屓の選手やチームがあれば、陸上観戦にも力が入り、楽しくなるものです。そんな気持ちで、わたしは小嶋大輔選手の応援をし、本田技研狭山の応援をしています。
きっかけは、ごく単純です。わたしはC大OB(OG?)ということで、お正月は箱根駅伝三昧で過ごします。関西にいて、C大出身ということをほとんど忘れるような日々のなか、お正月に箱根を走る選手たちを応援することで、C大を感じています。
C大といえばいつも必ず上位に入るという、ほんとに年に1度、狂喜乱舞のときをすごすのですが、やはり96年の総合優勝は印象的でした。榎木選手、松田選手はとくに印象に残っています。その翌年97年から小嶋大輔選手は箱根を走られていて、お名前は自然と覚えていました。
小嶋大輔選手が卒業後、本田技研で競技を続けてられるというのは知ってしましたが、あえてお一人だけ応援するというのではなく、C大とC大OBの方はすべて応援していました。とくに旭化成の佐藤選手、榎木選手は要チェックしていました。
2001年、兵庫リレーカーニバル。わたしのトラック競技初観戦の日です。
その日は、1500の小嶋大輔選手、1万の板山学選手(日清食品)、藤原正和選手(3年)を応援するために、神戸ユニバ記念競技場へ足を運びました。初めて観るトラック競技は感激の連続で、身を乗り出して応援していて、家に帰って気づいたのですが、Gパンの膝のところを破っていました。それくらい興奮して観戦していました。兵庫リレカが終わって帰りの地下鉄には、観客にまじって実業団の選手や関係者がたくさん乗車していました。宗監督、旭化成の選手、そして本田技研の選手、、、、。三宮の駅で降りて、エスカレーターでわたしの少し後ろに小嶋大輔選手がいらっしゃいました。あっ、と思いつつもなかなか声をかける勇気もないけど、今を逃したら、2度とお話するような機会はないと、一大決心をして声をかけることにしました。
改札口の手前で、「あのぉ、小嶋大輔さんですよね。わたし中央の卒業生で、箱根を走ってられた頃から応援していました」と声をかけると、もちろん小嶋大輔選手は驚かれていました。わたしも舞い上がっていたので、はっきり覚えていませんが、「びっくりした」「地元の方ですか」「来年も(兵庫リレカに)来れるように頑張ります」というようなことを言ってくださいました。わたしがさらに舞い上がったのはいうまでもありません。
帰って、C大OBで小嶋大輔選手の後輩のfujiさんにそのことを伝えると、「小嶋さんはさわやかでとってもいい人」ということで、もうファンになるしかないと思いました。後輩にそんなふうに思ってもらえる方なら間違いないと思ったからです。