碇(いかり)高原へ 73.3キロ (9分45秒)

 55.9キロのレストステーションをあとにして、約20分あるので、7時間になるまで歩くことにしました。もう結構、走るのがイヤになってるのかなと思いつつ、平坦な道だったので、「どうせあとで歩くのだから」と、わりとすぐに走りだしました。高低差の地図を見れば、200メートルあがって、少し下がり、また250メートルほどあがるというコース。ほんとうにこんなところ走れるのかと、地図を見ながら思ってました。だからここは、完全に歩くつもりで9分45秒という設定にしました。実は最初はキロ10分のつもりだったのですが、そうすると87.9キロの関門で数分オーバーになることが判明して、9分45秒にしたのです。でも机の上で計算するように、そんなにすんなり15秒も速く走れるのだろうかというのはあったけれども、完走できない設定タイムでは意味がないので、9分45秒にしました。
 また、あとでわかったことですが、NAMI隊はわたしより先にレストステーションをあとにされていたので、このあとは1度も会うことはありませんでした。
  「約13キロのうねった上り勾配」とプログラムには書いてありました。どんなのかなと思いましたが、勾配そのものは七竜峠のほうがきついくらいでした。歩くつもりで設定していたけれど、少し走って、長く歩いてという繰り返しでした。ここでまた、わたしには幸運が訪れます。走っていたときか、歩いていたときか忘れましたが、後ろから「こんにちはー」という、あきらかに知り合いにかける声が聞こえました。えっ、誰だろうと思うと走快ねっとRCの「あなたの気象台さん」(あなきしょさん)でした。エントリーされていることも知らなかったし、あなきしょさんといえば確かサロマをサブ10する人なのに、どうしてわたしの後ろからこられるの?と、とにかく頭のなかに????がいっぱいつきました。
 「古傷がでてきましてねぇ」という言葉のとおり、左大腿部あたりが痛々しいです。聞けば、街中で鎮痛剤を買いに薬局に入ったところ、タダにしてもらったけど、頭痛薬ではそんなに効かなくて辛いということでした。あなきしょさんも歩いたり、走ったり、わたしも歩いたり、走ったりで、結局、73.3キロまで抜きつ抜かれつということを再びやることになりました。もちろん、わたしのほうが遅いから、わたしがエイドの間に抜くというパターンは踏襲していました。
 碇高原といえば、ステーキハウスがあって、スイス村リゾートマラソンの帰りに寄って、そのあと弥栄町のあしぎぬ温泉へ行ったことがあります。10キロ走って、スイカを思いっきり食べたことも思い出しました。よりによって、その道を走る(歩く)ことになろうとは、思ってもみませんでした。
距離表示は2.5キロごとにあるのですが、このあたりから、2.5キロの看板をやたら探すようになりました。70キロ、72.5キロときて、やっと73.3キロです。70キロから、2.5キロと800メートル。とにかく前になかなか進まない急勾配でした。足が疲れているだけでなくて、少し気持ちがもたなくなっている気がしました。また、弥栄町で地元の方が予言(断言)されたように、雨は激しく降っていました。でも、不思議と全然、気になりませんでした。

碇高原総合牧場(レストステ―ション)

 関門は30キロ、55.9キロ、73.3キロとありましたが、73.3キロの関門までがきつかったように思います。ここを越えればしばらく下りで、そのあとはキロ10分の計算をしているので、ここまでくればなんとかなるだろうという思いがあったからかもしれません。逆にいえば、ここまでくればなんとかなるから、後半、歩いてしまったというのもあります。でも後半、歩くことも考慮してタイム設定をしていたので、それは予定通りということで、あまり自分を責めないでおこうと思います。
 碇高原のレストステーションについて、荷物をもらったけれど、着替える必要もなかったし、飴などもさっき補給していたので、袋をそのまま返しました。エイドで中華スープ(ラーメンの汁だけみたいなの)をもらって、これまた水を半分足して、ごくごくと飲みました。なんか塩味がとってもおいしくて元気になりました。そういえば、関西周遊のエイドで、「カップラーメンの汁だけ頂戴」と言ってた方がいらっしゃって、そういうこと思い出しました。甘いものより、辛いものを欲していたのかもしれません。
 ここで髪の毛をくくりなおそうとしたら、髪の毛が絞れるくらい水分を吸っていました。視界を邪魔しないように髪の毛を直して、さて、出発。今度、碇高原に来る時は、ぜったいステーキ食べようと思いました。
 相変わらず、エイドでは長居せず、出発。ここからは下りです。少しいくと、あなきしょさんが、軽快に走っていかれました。最初にあったときと足の状態が全然ちがいました。あなきしょさんとは15キロほど、ご一緒できたことになりますが、ここもあなきしょさんがいらっしゃったからこそ、適度に緊張しながら、走ることができたのだと思います。

丹後歴史街道100キロ
花子のノート

笑顔

 スタートするときに、寛平ちゃんから「その笑顔忘れんなよ」と言って送り出されました。どこまで笑顔でいれるか、自分でも楽しみでした。70キロを過ぎて「次のエイドまであと○キロ」と考えると笑顔ではいられない感じでしたが、わたしのなかでは「まだ走れる」という気持ちはあったので、笑顔でいることができました。でもそれよりも何よりも、もしかしたら完走できるかもしれないと思うと、自ずと笑顔になれます。
 笑顔、笑顔、笑顔。応援してくれる人に笑顔、一緒に走っている人に笑顔、エイドの人に笑顔。走れることを感謝して、次の87.9キロ地点を目指しました。

丹後町 海岸線へ