花子のノート コラムindex
映画 「実録 連合赤軍 あさま山荘への道程」
1971年末〜1972年2月の連合赤軍リンチ事件、それにつづくあさま山荘事件を追った作品だ。
「実録」とあるので、事実に基づいているのだろうが、映画の最初に「フィクションもある」という注釈がついていた。
「異議なし」
何度となく発せられたこの言葉に寒気を感じた。
リーダー、あるいは発言者に対して、「異議なし」とみんなで言うことで、物事を決めていく。
「賛成」ではなく「異議がない」という。
「異議」つまり、違った意見がないということだ。
いろいろな意見があるけど、その意見に「賛成」ではない。
他に意見はない、ということだ。
わたしは「異議なし」という言葉を使ったことがある。
その場面は、思い出したくないが、いまでも強烈に覚えている。
中学2年だったので、13歳、1975年のことだ。
まさに、その言葉は、「いじめ」の場面で使おうとしていた。
当時、所属していた運動部に、「おかしな2人」が入ってきて、部内がめちゃくちゃになったとので、その2人を退部させる状況を作ろうとしたのだ。
そのような場面は作れず、「異議なし」という言葉は準備するにとどまった。
でも、結局、その2人はどういう形なのか忘れたが、部を辞めた。
そして、わたしものちに辞めた。
当時はいじめという言葉はなかったが、これがいじめだったのだと思う。
いじめられる側になりたくないから、いじめる。
自分は標的にはなりなくない。でも、なってもおかしくない。
これを思春期におこる「はしか」のようなものと考えていいのかどうか。
わたしは、自分の人生のなかで、唯一、いじめの加害者になった体験は、できれば消し去りたい記憶だ。
映画は、1960年から始まる学生運動を時系列に追っていき、組織が対立しながら、最終的に「革命左派」と「赤軍」が一緒になって「連合赤軍」となっていくところを描く。
そして、最初は革命左派と赤軍の対立から始まり、複雑な対立関係を繰り返しながら、結局は、「標的」になった人物を、「異議なし」という言葉の繰り返しによって、順に凄惨なリンチを行い、死亡させていく。
29人中12人が亡くなることになる。
人間はいくらでも残酷になれる。
繰り返し移される集団暴力の場面。
「殴れ」と指示されて殴る者。
殴ることを拒否すれば、今度はそれが原因で自分が殴られる側になる。
集団で暴行を受けたあと、寒いところに放置され衰弱していく。
次は自分かもしれない、、、、その恐怖心がさらに人間を残酷にする。
山岳ベース事件(集団リンチ事件)
1971年から1972年にかけて、山岳ベースに潜伏していたメンバーが、「仲間」を次々と総括と称して死亡させている。
この事件の前に、「革命左派」では、脱走した2人を殺害しているのが伏線となっている。
でも、それ以前もいわゆる「内ゲバ」事件は頻発していて、暴力で異質な相手をねじ伏せるという構造は、社会を変えるという「革命」を謳っていたとしても何ら変わりない。
結局、異質なものを暴力で排除する。
その理由が、「革命」なだけなのだ。
繰り返し語られる「革命」についても、わたしはよくわからなかった。
彼らが目指した「革命」に、共感するところがあるのなら、事件の背景に近づけたかもしれないが、それがどういうことなのか、よくわからなかった。
彼らの言葉は、つねに演説っぽい。
「アジ論」というのだろうか。
その論から伝わってくるものはないのに、さもわかったようなふりをして聞いていなければならない。
その言葉がわからないということは、「意識が低い」ということになってします。
「意識の高さ」によって、人を排除するということ。
こういうことを、結構、やっている。
いまでこそ、意識の高い・低いではなく、意識の幅と捉えられているが、30年も前ではまだまだだっただろう。
戦後の新しい教育が、まだどの方向へむいているのかわからない時期だったのではないだろうか。
自己批判
「革命」という思想で集まっている「同士」。
学生運動の勢いを完全に失って、苦しいなかで連合した革命左派と赤軍の「連合赤軍」。
革命左派と赤軍が、対立しながらも、連合せざるを得ない状況が、つねに火種になる。
革命左派のリーダーは、永田洋子。
革命左派が、山岳ベースを移動するときに水筒ともっていなかったとかで、赤軍は革命左派に批判される。
「甘いんだ、そんなことで革命ができるのか」
「革命」という言葉を使えば、なんでもOKにしてしまう。
錦の御旗というのは、こういうことを言うのだろう。
そのとき永田洋子は、すんなりと自己批判する。
その自己批判が、完璧だったのだろうか。
それ以上、何かを言う人はいなかった。
でも、永田にとっては、屈辱的だったのかもしれない。
そこでやり玉に挙がったのが、赤軍メンバーの遠山美枝子だ。
髪を伸ばし、化粧をし、その女性性は、革命への屈辱であると。
遠山は、このあと「自己批判」を求められるが、それがわからない彼女は、死亡させられてしまう。
このとき、遠山はごくまっとうな感情で、革命を考えるが、まっとうに考えた彼女が狂人で、狂っている永田や森が、ここでは「まっとう」なのだ。
ものごとは、あっちからみるのと、こっちからみるのでは、違うのだ。
「自己批判」。
それができなかった者は、同士から制裁を受ける。
その制裁が、その場では正義だったりする。
次々と仲間を殺害していく様子が映し出され、気分が悪くなってしまった。
単なる制裁ではない。
制裁を正当化し、仲間に殴らせる。
ほんとうは殴りたくない、でも、殴らなかったら、自分が殴られる。
どうしていても、その場は地獄だった。
一気に殺すのではない。
痛めつけた挙句、放置をして死亡させる。
亡くなった者の多くは、20歳前半の若者だ。
そのような「思想」に近づいていったことへの非はあったとしても、あまりにも悲惨な最期。
この人たちの親は、そのとき、どんなふうに乗り越えたのだろうか。
そんなことも考えてしまった。
バーン、バーン
「革命戦士」たちの滑稽さを見事に表現した場面がある。
彼らの銃撃訓練。
銃はおそらく本物だろうが、銃弾を使うわけにはいかないので、銃をうつ格好はするが弾は出ない。
出ない弾の代わりに、「バーン、バーン」と言っている。
「バーン、バーン」
子どもが遊んでいるのではないのだ。
バーン、バーンと言っている「戦士」たちも、実は可笑しい。
でも、笑えない。可笑しいといえない。
少しでもそういうところを見せてしまっては、「革命」に対して、真剣ではないと映ってしまう。
だから、一所懸命に言っている、「バーン、バーン」と。
昼間は、そんなおかしな行動をとりながら、議論の場面は真剣だ。
真剣といっても、真剣に議論をしているのではない。
勝手に好きなことを言って、「異議なし」と言わせている。
もう彼らは、自分の頭で思考することを止めてしまっているのだ。
わからなかったこと
赤軍のトップ、そして連合赤軍でもトップが森恒夫で次が永田洋子ということになっている。
リンチ(制裁)は彼らが主導したのかどうかわからないが、彼らの意向が強く反映されたのは確かだろう。
森は、いったん、運動から「敵前逃亡」して大阪に戻っている。
赤軍の幹部の相次ぐ逮捕で、森がトップになってしまったのであるが、森の敵前逃亡は、なぜ問題にならなかったのだろうか。
問題にできないほどの力を森がもっていたのだろうか。
次々に仲間が「暴行死」しているなか、森の過去の弱点をだれも責めなかったのだろうか。
森は、そこに触れられたくないから、矛先を別のところにむけようとしたと考えればいいのだろうか。
永田洋子は、女性に対してきつく当たったようだ。
とくに美しい遠山美枝子には。
革命戦士は、「女性性」を捨てなければならないのだろうか。
その一方で、永田は、坂口と事実婚の関係でありながら、すぐに森に乗り換えている。
森と永田のセックスには寛容で、「同士」には、厳しかった。
最初の「集団暴行」の矛先は、加藤(男)と小嶋(女)で、キスしているところを永田が見て、ひどく怒ったようだ。
敗北死
集団暴行で死んだ同士たちを、彼らは「敗北死」と呼んだ。
「革命戦士」であれば、死亡することなく息を吹き返す。
それができなかったのは、彼らが革命戦士になれなかったから。
つまり革命に敗北したから。
だから、革命に対して強い心をもっていれば、決して死ぬことはない。
死んでしまったのは、彼らが弱かったからだ。
という論理らしい。
どういうこじつけでもかまわない。
自分たちを正当化しなければ、生きていけなかった。
そんな極限状況だったのかもしれない。
「総括」の果て
映画のなかで、「同士」への暴行がどういう日数で行われたのか表示されていたような気がするが、その数字を記憶していくことはできなかった。
1971年の大みそかから元日にかけて4人が亡くなり、その遺体を埋め直した遠山が7日に亡くなっている。
暴行して放置した挙句、死に至っているようなので、暴行日=死亡日とは限らない。
ただ、2人は「処刑」として、ナイフやアイスピックで殺されている。
9日、17日、19日、そして30日に2人、2月4日、12日、計12人である。
その後、森と永田が逮捕されたのが17日。
この逮捕については、仲間がラジオニュースを聞くという形で伝えられている。
実際はどうだったのか、わからないが、あまりにあっさりと逮捕されている。
29人中12人が殺害され、2人が逮捕。
さらに逮捕、自首などがあるが、そのうち5人があさま山荘に逃げ込む。
5人でも「異議なし」
あさま山荘に逃げ込んだ5人は、そこで「方針」を決める。
リーダーは坂口。
坂口の言葉に、「異議なし」と反応する4人。
そしてさらに、ここでも「自己批判」が存在する。
仲間の1人がビスケットをつまみ食いしたことをどうするのか5人で話しあって、つまみ食いをした本人は、「自己批判」することになる。
あくまでも形のこだわる様子は滑稽としかいいようがない。
あさま山荘事件
警察に追われながらあさま山荘に5人が逃げ込む。
この場面がきて、正直ほっとした。
それは、結末がわかっているから。
「人質となった管理人の奥さんは死なない、5人は生きて逮捕される」ということがわかっているので、どこか安心できるのだ。
それは、これまで繰り返しみた「リンチ」の様子があまりにも凄惨で、気分が悪くなっていたからだと思う。
あさま山荘に籠城したのは、坂口、坂東、吉野、加藤(次男)、加藤(三男)の5人。
加藤(二男)は19歳、加藤(三男)は16歳だ。
長男は、リンチの始まってすぐの犠牲者で、弟2人も兄に暴行を加えている。
坂口がリーダーとなって5人の籠城が続くが、坂口を演じる俳優(ARATA)が物静かななかに絶対に捕まらないという内面をうまく表現していて、そこに感情移入しそうになってしまう。
坂口は森、永田に次いでのナンバー3なので、彼がそこでリーダーになっているのは、必然なんだろう。
坂口は、永田と事実婚で、のちに永田は坂口から森に乗り換えている。
永田は、「仲間」の女性性には厳しくあり続けた(嫉妬?)ようだが、自分の女性性に対してはどうだったのだろう。
映画では、森と永田を「悪く」描いているので、その対立として坂口がよくみえてしまう。
それにしても、森と永田にも「自己批判」のネタはいくらでもあったのに、そこに誰も触れようとしなかったのはなぜだろうという疑問は、最後まで解けなかった。
とくに森は、「敵前逃亡」という恥ずかしい過去があるのに。
フィクション
「勇気がなかった」
映画は、事実に基づいて作られているが、「フィクションもある」と映画の最初に説明があるが、あさま山荘内での出来事にフィクションがあるように感じた。
あのような状況なので、もっと極限状態になっているのに、意外にさらっとしているところだ。
また5人がビスケットでもめることはあっても、「主義・思想」でもめることはない。
極限状態であればあるほど、意味のない「主義・思想」に犯人たちは走ったのではないかと思うからだ。
そして16歳でまだあどけなさの残っている加藤に
「勇気がなかったんだ」と叫ばせる。
勇気がなかったから、「同士」を殺しあうことになってしまった、というのだ。
凄惨なリンチ場面を何度もみているわたしは、その言葉でようやく救われる。
理不尽な理由で、同士へ暴行をする。
それを止めたら、自分が殺されてしまう。
自分が殺されるから、おかしいと思ってもそれがやめられない。
勇気がなかったからやめられなかった。
加藤(弟)にそう叫ばせて、観客に「リンチ」の総括をさせる。
観ている側は、その言葉で救われるが、実際にはどうだったのだろう。
中立的立場
「人質」になってしまった管理人の奥さんに対して、最後まで「紳士的」に接していた。
確かに奥さんに対して、「中立的立場」というのは、言っていたようであるが、ここもあまりにも「きれいに」描いていないだろうか。
もっとも、もしそう描いていなかったら、見るに堪えないものになっていたことは想像できる。
母の叫び
あさま山荘事件については、あさま山荘の内部だけを映し、外(警察)の映像は一切、でてこない。
これは、「外」のことは映像で繰り返しみているから、あえて映さないということかもしれない。
外の様子は、もっぱら「音」で伝えられる。
吉野、坂口の母親がマイクをもち説得する。
坂東の母も説得する。
寺岡(リンチですでに死亡)の母も説得する。
犯人たちは、寺岡の母の説得をどういう気持ちで聞いていたのだろう。
さらに坂東の父親は、事件解決を前に自殺する。
母は母、子は子。
親は、自分の子が犯罪者になるなどと思って育てていない。
思ったように育たなかった子どもたちに対して、親はどう思っただろうか。
でも、犯人であっても彼らは生きている。
理不尽に殺された「同士」たち。
彼らの親のほうが、何千倍も辛い。
どんな状態であっても、子どもには生きておいて欲しい。
それが親なのだ。
エンディング
逮捕された5人。
静かな音楽が淡々と流れていたように思う。
エンドロールでは、あさま山荘事件にどれだけの人がかわったのかが、流れていたように思う。
そして「森の反省」。
森は、逮捕後1年くらいで、拘置所で自殺している。
「森の反省」については、救われる思いはしなかった。
森は逃げただけに思えた。
おわりに
この映画の作り手が、何を伝えたかったのか、わたしにはよくわからなかった。
たぶん、監督が伝えたかったことは、わたしには伝わっていないと思う。
劇中の登場人物に感情移入することはなかった。
したとすれば、あさま山王に逃げ込んだ坂口と加藤(三男)くらいだろう。
坂口にそういう思いをもったのは、たぶん、あっさりと森に永田をとられてしまったからかもしれない。
加藤については、どこか「まっとうさ」をもたせている。
それが事実なのか、映画としての戦略なのかよくわからないが、加藤(三男)の存在が救いになったことは確かである。
わたしがこの映画から得たことは、とにかく「死んだら終わり。生きていてなんぼ」。
そういうことかもしれない。
それにしても彼らは、20歳そこそこで、どうしてあのような死に方をしなければならなかったのだろうか。
悲惨で可哀想。
そうは思うけれども、でも、危険なところに入ってしまったという「責任」はあると思う。
社会に対する矛盾、正義感が運動へ入る発端だったとしても、そこが危険かどうかは、自分で察知しなければならなかったのではと思う。
危険なところに身をおいてしまったのは、自分の意思ではないか。
そうはいっても、山岳ベース事件は、悲惨すぎる。
それからもうひとつ。
「自分で考えることの大切さ」だ。
自分で考えて、自分で判断する。
そして自分の判断を尊重する。
その一連のことは肝に銘じておきたい。
生きていてなんぼ。
それだけは、しっかりと心に刻んでおこう。
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