0 はじめに

2年間、エントリーシートの添削をしていました。
ちょうど秋頃から始まって、年末から1月くらいまでがピークだったでしょうか。
「本職」は、大学入試対策の小論文の添削で、サブ的にこういう仕事が入っていました。
でも、いわゆる「シーズン」になれば、エントリーシートの添削をすることが多くなり、どちらが本業かわからないくらいなってきて、すっかり精神疲労してしまい、この業務から離れることになりました。
すると仕事そのものが激減して、結局は、「天職」と思っていた小論文の添削業務も辞めることになったので、「エントリーシートの添削さえなければ」とうい思いは少しあります。

わたしにとってそこそこ恨みのあるエントリーシートですが、なぜ添削していて精神疲労をしていったのかを考えて、どういうエントリーシートが望ましいのか考えてみたいと思います。
ただ、これはわたしがエントリーシートの添削を離れる理由のひとつでもあったのですが、わたしは「企業」という組織に所属した経験もなく、「就職活動」も体験していません。
そういうわたしに、就職活動の一環であるエントリーシートについて、何がわかるのかというご批判があって当然と思います。
そのことを前提に読んでいただけたらと思います。

エントリーシートの書き方のノウハウものはいくらでも出ています。
そういうものを見るほうが書きやすいと思いますが、こういう方向からの見方もありますよということで、よろしくお願いいたします。

1 書かされたエントリーシート
わたしが添削していたエントリーシートは、個人で書いて提出されるものではなく、ほとんどが大学単位でした。
どういういきさつかは大学ごとに違うと思いますが、おそらく大学の就職サポートの一環で、エントリーシートの添削を「外注」されたのだと思います。
就職サポートの授業で指定されたのか、同じ学部、学科の学生が書いたエントリーシートを学籍番号順に添削する、そういう状況でした。

つまりは「書かされたエントリーシート」です。
わたしが添削したエントリーシートは、B4表面と裏面が半分のB5。
まず「自分の取り組んだこと」についてB6、その下に「自分とは」、これで左半面。
右半面は、自分のしたい仕事の分野、職種について2つ、まったく同じものを書きます。
裏面の上半分は、「自分の特徴」について200字程度、その下が自分の特徴を職種につなげるもので200字というものでした。

これらを書くのにどれくらい時間がかかるんでしょうか。
どれも真剣に書いていたら、3日はかかりそうに思います。
それをどういう形で学生に書かせたのかわかりませんが、表裏全部の項目を埋めていたエントリーシートは少なかったです。
当たり前のことですが、本チャンのエントリーシートで「抜け」があったら致命的でしょうね。
読む前にはじかれるでしょう。

また、空白の多いもの。
これも読む前にはじかれるでしょうね。
ただし、「多ければいい」というものではありません。
8割くらい埋めていれば印象はプラスにもマイナスにもならないでしょう。
逆に思いが強すぎて、字が詰まっていると、若干のマイナスになるかもしれません。
字の特徴は仕方ないですから、丁寧に、そいて読みやすい雰囲気を大切にしましょう。

さて、本題からずれてますね。
「書かされたエントリーシート」を見ることほど苦痛なことはありません。
当然のことながら、やる気がないので、字は煩雑、書けそうなところだけ埋めているという感じです。
こういうエントリーシートでも、わたしは仕事ですから、添削をしなければならなりません。

「こんなエントリーシートは論外!」と書きたいところをぐっと抑えて、考え方のヒントを書いて、なんとか次につなげてもらればと思って添削しています。

でも、この程度の内容なら、エントリーシート以前のもの。
こんなひどいものを外注して添削している大学は、自分たちの役割を完全に放棄しているとしか思えません。
エントリーシートの「いろは」くらい自前で教えて、その上にプラスして何か得たいものを外注の添削に求めてほしいと思います。

エントリーシートはやる気の第1歩。
いやいや書いたものは、内容をみなくても「いや」のオーラが出ています。
どうか、書かされるのではなく、自分から書くエントリーシートであってほしいと思っています。


2 取り組んだことに「授業」を書く

エントリーシートに書く欄があるかどうかは別として、大学時代に取り組んだことを振り返ることは、必要なようです。
大学のときに限定をしてはいないけれども、3〜4年前の高校時代のことを自分の振り返りとして書いていては、それ以降は何をしていたの?ということになります。
高校時代の「栄光」はさておき、大学時代のことを振り返るというのが、無難だと思います。

その取り組んだことのなかに大学の授業のことを書いてくるエントリーシートがあります。
その学生にとって、印象的だった授業であり、これまでの自分にはなかった経験をしたのかもしれないけれども、でも、「取り組んだこと」に授業のことを書かれたら、「大学生が授業に取り組むのは当たり前でしょ」とツッコミたくなります。
授業に出て単位をとるというのは、当たり前のことですから、まず、当たり前のことを、「取り組んだこと」に書くのはやめたほうがいいでしょう。

それでもどうしてもその授業が印象的で、自分にとって「取り組んだこと」に値するのであれば、「授業」プラスアフファのことを書いていくことです。
つまりその授業を受けて、自分にどういう変化があったかということです。
もし進路を決定づけるものであったとしたら、どういう点だったのか。
その授業をきっかけに自分はどう変わっていき、どういう取り組みにつながったのか。
単に、単位をとるだけではなく、自分にとって何だったのかをきっちりとつかんで表現することです。

わたしが添削した同じ学科の学生が書いたエントリーシートで、「都市デザイン」の授業を「取り組んだこと」として書いているものがたくさんありました。
おそらくそのエントリーシートを書く直近でそういう授業があって、そのような授業がよほど印象的だったか、「自分はすごいことをしたんだ」というノリで書いていました。
「都市デザイン」が面白かったということらしいのですが、わたしとしては授業に出ることが「取り組んだこと」になるとは、思えませんでした。
さらに「所詮、授業のなか、つまりはすべて設定してもらった温室のなかでやったことでしょ」と思ってしまいました。

だからもし大学の授業のことを取り組んだこととして書くのであれば、そのことが自分にどうであったかという、自分にしか書けないことをアピールしていくことが大切でしょう。


3 取り組んだことに「アルバイト」を書く

アルバイトの経験を書いてくるものも多かったです。
読んでいると最近は、アルバイトといえども、かなりのことをバイトの学生にまかせているようで、単純労働の「アルバイト」という次元ではないということはなんとなく伝わってきます。
そういうところから、いかに「非正規」で社会のいろいろなことが回っていることに逆に気づかされるのですが。

それはさておき、取り組んだことにアルバイトのことを書くのも、よほどの経験が示されていないと、「所詮、アルバイトでしょ」と、思われてしまいます。
書くのであれば、そのアルバイトをしたことが、今の自分にどういう変化を与えたかをきっちり書くことです。

「時間より少し早く入るようこころがけた」、ということでもいいのです。
逆サービス残業か?ということになるかどうかはさておき、「時間に余裕をもって入る」ということは、これからする仕事に対して、あるいは自分にとってどういう意味があるのかを考えてみます。
仕事場にきていきなり仕事ではなく、一呼吸おけることの意味は何か。
人間にとって「切り替え」とは何か、そういうことを考えるきっかけになったとすれば、それは「取り組んでどうだったか」という成果につながります。


4 「取り組んだこと」より「取り組んでどうだったか」

つまりは、こういうことです。
同じ経験をしても自分はどうだったのか、独自のものを見つけ出して、示すことができるかどうか。
数あるエントリーシートのなかで、いかに輝かすことができるかどうかです。

5 何のための就職活動かをあらためて考えてみる

ある時期がくれば高校受験をし、そしてまた3年経って大学受験をし、そして大学3年生になったから就職活動をする。
高校受験や大学受験ほど自明のこととして就職活動をとらえることはないとしても、いわば社会の流れに沿って就職活動をするという人も多いでしょう。
それはそれで大切なことです。

わたしは最初に企業に所属したこもなく、就職活動もしたことがないと書きました。
その通りで、大学卒業後に「まだ勉強したい」と体裁のよさそうな口実で、長く学生生活を続けていました。
もちろん当時のわたしはまじめにそう考えていたわけで、そのときに勉強したことが、20年も後に役立っているということもあって、決して間違いだったとは思っていません。

就職するかどうかということを必要以上に考えることはないと思いますが、それでもあらためて、「なぜ働くのか」ということは、自分のなかでしっかりもっておいて、その上でエントリーシートを書くようにしたほうがいいでしょう。
なんのためのエントリーシートかをわかったうえで書く、ということです。

あらためて「働く」ってどういうことでしょう。
それは人それぞれなので、今、わたしが考えることを書いてみます。

働く、仕事をする、そして給料をもらう。
給料をもらうということは、大切なことですが、ここでは「結果として給料につながる」という程度に捉えておきます。
なぜこういうことを書くかというと、わたしは今、「障害者」に接していて、彼らの労働を考えたときに、生活するに足る給料をもらうという「額」の問題ではないということを痛感しているからです。

働く、仕事をするということは、社会活動のなかのひとつのことです。
それがどういう役に立っているのか、一概にはいえませんが、働くことで、社会に貢献するというのが第一義的なことだと思っています。
そういう意味でわたしは、強引な営業でモノを買わすような仕事、結果として人を不幸にしてしまう仕事は、社会への貢献とは逆行する行為なので、「仕事をしている」こととは、認めません。

社会に貢献するということは、社会のなかの一員であるという自覚が生まれ、社会と対等になることができる。
社会と対等になるということは、社会にモノ申すことができる。
この一連の流れが、自分への誇りになり、それが自分の存在価値と意識することができるということです。

どういう仕事をするにしても、その仕事を通じて、自分は社会貢献するんだ、社会に役立つ人間になるというアプローチが欲しいです。
働くのは当たり前だから、好きなことができる会社(職種)を選びたい、というような生々しい話はしないで、その仕事を通じて社会にどう貢献していこうと思っているのかという核をしっかりもって、そのうえでエントリーシートを埋めていってほしいと思います。

6 おわりに

エントリーシートは、書く側にしたら「読んでもらえるもの」として書くけれども、採用する側からすればそうではないかもしれません。
大学名で選別するということがあるんでしょうか?
あるかどうかわからないけど、でも、そういうことをするなら、エントリーシートなど書かせなければと思いますが、実際のところはわかりません。

でも、もしそういうことがあって、大学名で事前選別があったとすれば、そういうことでしか人を見る目がない企業ということで、そんなところに採用されなくてよかったと考えればいいでしょう。

就職活動は、大きな試練だと思います。
でも、「就職活動」でみられるのは、ひとりの人間のある一部分だけです。

大学入試だってそうでしょう。
難関大学に入った人というのは、人間が作ったシステム(受験)に成功しただけのことです。
だからといって、そのためにした努力は無駄ではありませんし、素晴らしいことでもあるでしょう。
でも、それが人生の成功の道筋と勘違いしてはいけません。

就職試験も、内定のとれる学生というの、人の羨むような企業の内定を複数、得るでしょう。
同じような期間、システムで採用する制度のもとでは、評価基準が「にたりよったり」にならざるを得ないでしょう。

だから就職活動がうまくいかなかったとしても、それをマイナスに考えないで欲しいです。
もちろん、うまくいかなければ、どこがいけなかったを考え、改善していくことも必要です。
でも、それは人間性そのものを否定されたわけではありませんから、自分に悪いレッテルを貼らないでください。

どんな人も完璧な人はいません。
採用をする側の人事の人だって、素晴らしい人ばかりとは限りません。
人が人を評価するのですから、中立も客観もありえなくて、恣意的で主観的なものです。

「内定」がこなかったら、「自分を採用しなかったことを後悔させてやる」というくらいの意気込みをもってください。
だれでも、社会のなかの歯車のひとつです。
自分がいるからこそ成り立っている社会ですから、そこでどういうことができるのか、あらためて考えてみましょう。

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エントリーシートの書き方 添削者側からのメッセージ
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