20キロから30キロ、そして関門、ゴールへ

20キロを過ぎると、コース図をみる限り「平坦」のようなのですが、実際には「細かく、曲がっては坂、曲がっては坂」のような感じで、精神的に辛いものがありました。
折り返しはハーフではなく、もう少し先ということはわかっていたのですが、結構、長い時間、先行するランナーが折り返してくるのを横目でみているだけに、「わたしはいつになったら、折り返せるのだろう」という思いがして、これもまた、負担要因になりました。

何キロあたりなのか、定かではないのですが、天理市はちょっとしたカルチャーショックでした。
宗教施設って、やっぱりなんか異次元なんですよね。
おぉ、これが天理教か!という感じでした。

わたしが普段、接している利用者さんのなかにも、信者の方がいらっしゃって、毎月15日は、お参りに行かれるので、その日が訪問の日だったら、日程変更になりますから。
そういう人たちが、全国から集まってくるのだから、これだけの施設がいるよなぁ、と思ったり。

そんなことを考えながらも、折り返しはまだかという思いと、このこまめなアップダウンはいつまで続くのだろうという思いは払拭されず、この辛さからどうすれば解放されるのだろうかと思っていました。

そうしていると、ブラスバンドの音が聞こえてきました。
「100%勇気」という忍玉乱太郎のテーマ曲で、とっても元気になる音楽で、生徒さんが「頑張れ」というようなプラカードをもって、踊っているのが見えました。
走っているときに聞く太鼓も好きですが、ブラスバンドも大好きです。
身体ボロボロで、勇気のかけらもないそのときのわたしに、

 「そうさ100%勇気、もう頑張るしかないさ。この世界中の勇気、抱きしめるしかないさ」
 「そうさ100%勇気、もうやりきるしかないさ。僕たちが持てる輝き、永遠に忘れないでね」

この歌詞はばっちり。
ほんとにねぇ、頑張るしかなくて、やりきるしかないんですよね。

ブラスバンドのところを少し行くと、途中でコースの横断ができるように、区切っているところがありました。
急に、こちらへ〜とか言われたので、遅い人は違うコースへいかないといけないのかと一瞬、思ってしまいましたが、そんなことはありませんでした。

そして、少し行くとさきほど予告のあった天理市の「ぜんざい」エイドです。
甘いぜんざいと小豆のプロテインは、走る力になるに違いないと、これは食べなきゃと思って、ぜんざいをとったのですが、これが熱い!
一気にくくっと、喉にいれてしまいたいところが、熱くて入らない!
もう諦めて、半分だけ食べてやめるか、最後まで食べてしまうか、いろいろ迷いましたが、ケチなわたしは、「せっかくのぜんざい、残してはいけない」ということで、ふうふうとさましながら、完食して再び走ってようやく折り返すことができました。

後半で、エイドに水やスポーツドリンクや食べ物がなくなっていたところがあったので、ここでしっかり食べていたのは、もしかしたらよかったのかもしれないです。
たぶん、25キロ以降のエイドだったと思うのですが、水はあるけど紙コップがない、スポーツドリンクがない、給食がない、など後方のランナーには、不完全なエイドになっていたところもありました。
幸いにもわたしは、ぜんざい効果もあり、また、遅いランナーゆえ、こういうめによくあいます。
だからエイドでは必ず、何かを補給するようにしていたためか、今回の不完全なエイドの影響はなかったように思います。

身体が楽になったわけではないのですが、折り返すとなんとなく気持ちが楽になって、コースも少しは下りのほうが多いのではないかとちょっと期待もあって、なんとか足を止めずに前に進むことができました。
あらためて、天理教ってすごいなぁーなどと考えながら走っていると、あずまさん長玉さんペアにすれ違いました。
なんて声をかけたのか、覚えていないのですが、気付いてもらえなかったようなのですが、後日、あずまさんによると、聞こえていたそうです。
すれ違うのは、ほんの一瞬ですからね。

25キロ過ぎの関門は、あまり気にせず通過したのですが、走っているとその後、29キロくらいで関門があるらしいということが、なんとなくわかってきて、間にあうんだろうかと、少し不安になりました。
こまめなアップダウンのあとに、たしかすごい登りと下りがあったはずですから。
折り返しなので、通ったコースを思い出すと、さらに不安になりました。

えっ、関門があったんやーなのですが、その関門について、正確な情報がないばかりか、ストップウォッチも10分ほどの遅れなので、時間も正確にわかりませんでした。
時計をストップウォッチから時刻モードにすればよかったのですが、もし操作を間違えて、ストップウォッチを止めてしまってはさらに大変なことになるので、自分の時計でなんとかするということは諦めました。
関門時間はわからないけど、頑張って行くしかない、そういう思いでした。

関門は29.3キロ地点で13時12分(4時間12分)でした。
わたしの30キロの通過が、4時間7分なので、この時点で、すでにあまり余裕がなかったようでした。
わたしの時計によると3時間58分40秒で、この10キロは1時間28分29秒とほぼ90分かかっていました。

29.3キロの関門を通過して、そこにまた表示があって、34.2キロで13時50分(4時間50分)ということでした。
今、計算すれば4.2キロを43分で行けばいいので、歩かなければなんとか大丈夫なのですが、そのときは時刻もわからず、計算もできずで、「もしかしたらヤバイのかもしれない」という雰囲気で、とにかく行かなければという思いでした。

幸いにも30キロからは、ぐっと下るコースで、そしてあの竹を叩いての応援ポイントを通ることもあって、急ぐ気持ちをコースが後押ししてくれました。
関門に間に合うのかどうかわからないけど、走るしかありませんでした。
たぶんここの関門で5分の余裕があるかないかくらいになってたようでした。

勢いで通過した34.2キロの関門でしたが、次は38.4キロが14時27分(5時間27分)でした。
38.4から34.2の引き算など、そのときの思考状態でできるわけもなく、余裕があるのかないのかもまったくわかりませんでした。
4.2キロを37分で行く計算になりますが、コースは登り。
関門時間に追われながら、動かない身体を必死で前に進めていました。

往路も復路もたくさんの応援で、忌野清士郎さんも同じテンションの応援で待っていてくださったり、高校生くらいの元気な子たちからは、「お母さん、頑張って〜」との応援。
お母さん頑張ってと応援されたのは、初めてのことなのですが、これが、意外なことに、とっても嬉しかったのです。
「そうや、わたしは、お母ちゃんやのに、頑張ってんねんで〜」という感じ。
「おねぇさん、頑張って」とか言われても嬉しいけど、内心、「おばさんなんやけど」と突っ込んでいるから。
「お母さん、頑張って」は、予想外の力になったのでした。

といっても、それは気持ちの上だけで、実際には、動かない足を必死で動かして、とにかく関門を通らないとという思いでいっぱいでした。
38キロを超えてあと400メートル。
たぶん、このとき4分くらいあったようで、「400メートルで4分」ねぇ、トラック1周か、と思って、金丸くんだったら40秒ほどで行ってしまうのに、4継だったら40秒切りなんだからと思ったり。
そうやって頭のなかでいろいろ考えてながらも、足を動かしているのですが、実際、どれくらい動いていたのかは不明です。
たぶん、この関門は1〜2分前に通過したと思います。

38.4キロの関門もなんとか通過して、さらに次の関門がありました。
39.6キロで14時37分。
つまり14時27分に38.4の関門を通過すると10分で1.2キロ先まで行かないといけないということです。
コース図をみるとここは下っているので、歩かなければ大丈夫なのですが、そういう計算は、もちろん走っているときにはできず、「ここで関門に引っかかってはなるものか」という思いで、気持ちだけは必死で必死で前に進むようにしました。
足が動いていたのかどうかはわかりませんが、気持ちだけは前に前にと行っていました。

そして、ようやく39.6キロの関門を通過。
40キロがわたしの計測で5時間26分なので、おそらく5時間36分なので、2分くらい前に通過できたのかもしれません。
30キロか40キロは、1時間27分ということで、ペースは遅いながらも安定していたようです。

最終関門をなんとかクリアしたら、あとはゴールするだけ。
そうはいっても、往路で下った坂を今度は登ります。
もうアップダウンに心が動かなくなっていました。
「登ったらいいんでしょ」みたいな感じ。

沿道には、走り終わって帰る人たちがたくさんいて、声をかけてくださいます。
いいなぁ、もう終わった人はーと思いながら、それにしても30キロあたりから4つの関門は堪えました。
歩いたら終わり、止まったら終わりみたいな感じだったから。

坂を上ってようやく競技場の入り口へ。
この陸上競技場は、インターハイのときに整備されたのだったか、ブルーのレーンでした。
陸上競技場の中を走るなんて、いつの大会以来だろうと思いました。
そういえば、河川敷以外の大会を走ったのも久しぶりで、それもなんか嬉しかったりしました。

トラックを半周くらいだったか、ゴール直前に高橋尚子さんがいらっしゃって、無理からにハイタッチをして無事にフィニッシュラインを超えることができました。
足も疲れていましたが、関門に追い込まれた疲労のほうが強く、ゴール後は脱力してしまいました。
でも、振り向いて、コースに礼をして、タオルをかけてもらって、メダルをもらって、計測器をはずしてもらって、水をもらってとして、預けた荷物のところへ行き、更衣室でゆっくり着替えました。

ゴール後にゆっくり更衣室で着替えるというの久しぶりのことで、それもまた心地よかったです。
それにしても、よくゴールできたものです。
最初の8キロで壊れてしまったのに、たくさんの応援に後押ししてもらって、競技場まで帰ってくることができました。
そして後半の関門越えのところでは、まわりのランナーさんたちと、無言で「頑張ろうね」という思いを共有していました。

ほんとに長かった6時間でした。
記録は、5時間55分28秒。
ネットタイムは5時間46分52秒でした。

これまでも、関門に追いかけられながらの大会はありましたが、それは悲壮感のなかにも気力がありましたが、今回の場合は100%悲壮感でした。
こんなに辛いフルマラソンは、初めてでした。
この1年、あまり走っていなかったツケとはいえ、どんどんと遅くなっていくのも、寂しいです。
でも、仕方ないか。
これが今のわたしの現実ですから。

アフターは賀茂川パートナーズさんにもお誘いいただいていましたが、福岡のぬまっちさん、北海道のchecheさん、東京からですが、奈良出身の556(こごろー)さんの走快ねっとRCつながりのメンバーのところへ行かせてもらいました。
そういう離れて住んでいる人たちと、遭遇できるのも、こういう大会があってこそです。
走るだけではなくて、こういうあとのつながりも楽しいものです。

美味しいお料理をいっぱい食べて、お酒もそこそこ飲んで、JR奈良線にて伏見まで帰ってきました。
辛い辛いランも、アフターでしっかり癒していただきました。
ありがとうございます。

辛かったけど、でも、来年はもうちょっと余裕をもって走れるようにしたいです。
そうできるように、何か、変えていかなければと思っています。

長い長い参戦記でした。

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