ラジオ出演顛末記―「桂都丸のサークルタウン」

T なぜラジオ出演?
 年に1回、お米の普及のイベントがあって、これは他団体が主催しているのですが、そこで公開ラジオ番組に数分、出演して、京都のお米をどんなふうに普及しているのかを、話すという役割がうちの団体への依頼です。
 最初、話があったとき、できれば他の人にやってもらいたいと言いました。わたしは人前で話しをすることが苦手です。それでも話さなければならない場面もありますが、できれば人前に出たくないというのが本音です。もし、ちょっとくらい場違いな場所に何か書いて欲しいと言われたら、思いっきり無理でも「是非、書かせてください」と言うと思います。でも人前で話しをするのは、イヤです。あがり症なんです。声が震えるんです。心臓がバクバク。キロ4分くらいです、きっと。
 それに、わたしが対外的なことをするのを、おもしろくないと思っている人もいると思います。もちろん、そう言われたわけではありませんが、一緒に仕事をしている人たちは、だいたいが年上で、経験もわたしより長いので、そういうことで何か言われるのはイヤだし、わたしに出演するように依頼した人もイヤな思いをされます。あまり気のすすまないことを受けた上に、妬まれは踏んだり蹴ったりです。
 わたしは、このように人前に出て目立つということはしたくありませんが(くどいようですが、「書くこと」では目立ちたいです)、ボス(仕事上の上司)に言わせれば、「みんな出たいと思っている」ということらしいです。だから、役割上「○○長」に名前を挙げたら、謙遜しながらも、悪い気はしていないはずと思っておいたほうがいいそうです。さすがボスです。人の心をよんでいます。(自己顕示欲については、別稿で書きたいと思います。)
 確かに商品(お米)というのは、わたしの担当分野です。担当している人間が出るというのは、当然かもしれないので、ほとんどあきらめの境地で依頼を受ざるをえなくなりました。

U 準備
 まず、うちの団体の担当者と打ち合わせです。台本の骨子と資料をもらって、内容の確認です。どういうことが聞かれるかがわかっているので、それについて簡単に答えられるようにしなければなりません。わたしはあがって頭真っ白になりかねないので、これだけはしっかり作ろうと思いました。話すのはダメですが、まとめたりということは、全然大丈夫です。それに未知のことではなく、どれも自分のかかわりの範囲なので、そんなに心配していなかったのですが、いざ調べ初めてみると、いろいろわからないことが出てきて、いろんな資料をもう1度読み直さなければなりませんでした。たった数分だけれども、「10調べて1を書く」という教訓を改めて実感しました。調べたことを、どれくらい捨てられるかです。
 数日前から気にはなっていたものの、なかなかわたしが話す内容を台本にすることはできず、結局前日の夜中の2時頃になってしまいました。ほんとにこういう自分の性格をなんとかしなければと思います。
 資料を整理しながら、突如、思い出したことがあります。わたしは高校を卒業する年の2月頃、同じ放送局のKBSのとある番組、京都のどこかを訪れてそれをレポートするという30分番組に友達と2人で出たことがあります。そういえばそのときも、わたしがルーズリーフのノートに行き先別に整理してまとめていました。20年以上前のことですが、結局、わたしって変わってないのかもしれません。

V on air 当日
 10時に会場に着くように行きました。わたしは今日の午前中は亀岡というところへ行く用件があったのですが、ラジオのために行けなくなったので、このイベントの「抽選券」を同僚の分も抽選箱に入れてくることを約束したからです。(努力の結果にもかかわらず、抽選は全部、はずれでした。)土曜日の10時に人が集まるわけないわ、こんな抽選券で人寄せして、と思っていたのですが、会場に行ってみると京都駅の大階段にはもうすでにたくさんの人が集まっていました。すごい宣伝力です。
 メインステージでは太鼓があったり、舞の海さんのトークがあったりしましたが、わたしはそういうことを楽しんでいる余裕がなかったので、オープンスペースのカフェで、もう一度、台本の確認をしていました。

その2
花子のノート

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