その2

 11時過ぎから打ち合わせということでしたが、運良くうちの担当者とKBSの担当者とうまく会場の入り口のところで会うことができました。会場は人が多くて入場制限中で、人員整理している人に事情を話して、入れてもらわないといけないなと思っていたので、ラッキィでした。
 会場に入ると主催団体の人に何名か会って、名刺交換をしました。儀礼的とわかっていても儀礼をするのがわたしの役割です。名刺交換はもう慣れました。ひたすら頭を下げて、よろしくお願いしますというようなことを言っておけばいいのです。
 予定時間より早いけれど、先に打ち合わせをしましょうということで、うちの担当者、KBSの担当者、構成作家、わたしの4人で打ち合わせです。共通の台本で準備をしているので、話す内容の確認という形でごく簡単に終わりました。構成作家といえば、わたしは放送作家になるために4年も養成所に通ったのにということを思い出しました。お仕事の様子をみても、絶対、わたしのやりたい、わたしに合った仕事だと思いました。わたしは表に出る仕事ではなく、表に出る人のための仕事がしたかったのです。
 打ち合わせのあと、少し歓談するなかで、「こういう場ははじめてですか」ということになり、昨日、思い出した20年ほど前のラジオ出演について言うと、随分と感心されてしまいました。でも、わかっています。それはわたしをリラックスさせるためのヨイショです。こういう配慮も構成作家の仕事なのでしょう。歓談のなかで、わたしは、作家の方に、たいへんあがり症であること、頭真っ白になるので、そのときは都丸さんのフォローをお願いしますということを伝えておきました。人前にでると自分がどうなるか、想像できなかったからです。

 ところで「サークルタウン」という番組は、今日はイベントの紹介がすべてという感じです。9時から少し聴いていたのですが、イベントのブースの人が自分ちの宣伝をするという形で数分ずつ出ていました。わたしはそのたくさんの人のなかの1人だと思うと少し気が楽になりました。ましてわたしは3本連続のなかの最後ということで、次から次へと素人を相手にトークをしなければならないなんて、気の毒だなと思いました。
 打ち合わせが終わってon air10分前までフリーになりました。座りたかったけど、席がなかったので立ったままもう1度、原稿のチェックをしていました。
 10分前にスタンバイして(といっても公開放送の舞台裏の椅子に座っているだけ)、待っていました。待ち時間はすごく短く感じて、「いよいよ本番」と思うと暗くなりました。1本目は女性、次は男性、その後ろで待っていました。そのときの時間はあっという間に過ぎて、「えっ、もうわたし!」という感じでした。
 入れ替わりは10秒ほどと言われていたので、緊張するまもなく、席に着きました。ラジオというとスタジオで向かい合って話しをするというイメージでしたが、今回は公開放送です。パーソナリティの都丸さんが真ん中に座られ、その横に女性アナウンサー、反対の横にわたしが座りました。3人が1つのテーブルで一直線に並ぶのです。
 わたしの話す内容にあわせて、京都産のいくつかの商品を机の上に並べたのですが、わたしの思っていたものとちょっと違うものがあって、少しむっとしてしまいました。わたしは自分の思い通りにならないと、機嫌を損ねてしまうのです。わがままなヤツです。
 さっと座ってすぐに放送開始でした。わたしが座った瞬間、都丸さんは、「えっ、次も!次はなんや!」とは言われませんでしたが、そんな雰囲気でした。当たり前です。朝から何人もの素人を相手にしているのですから。アシスタントの方が、わたしの紹介文を書いた用紙(打ち合わせのときに構成作家の方が加筆されたもの)の肩書き部分を赤で丸をして、「ここ、ここ」という感じで都丸さんに教えてられました。まさに「次は、いったい誰やねん」状態です。
 「京都何とか何とか何とかの(わたしの本名)です」とちょっと長めの肩書きを読まれて、わたしが「よろしくお願いします」というと、声が小さかったのか、音声さんがわたしのマイクを近づけにきてくださいました。マイクがあるから、大きな声を出す必要はないと思っていたのですが、わたしの声は通りにくいし、緊張で少し口ごもったのでしょう。
 で、都丸さんの次の言葉は「若いですね〜」。で、もう一度、肩書きを読まれて「○○(わたしの役職)ってすごいですねぇ、わたしなんか上方落語協会に25年いてますけど、○○にはなれませんからねぇ」と。つまづきの第1歩でした。

その3