U 河川敷 尼崎編

 25キロからだいたい1キロくらいずつ、JRがあったり、名神があったりと、地図でみるとなかなか走りやすそうなのですが、なぜか辛い。なんでだろう。新春マラソンでも辛いし、尼崎シティのときも辛い。いっつも走っていて、辛いってわかっているのに辛い。だれかこの謎を解明してくれません?
 しばらく一緒に走っていたみていさんときっしゃんが、少し遅れているみたい。すっごい調子よく走ってられたのに、わたしのほうが目一杯やったのに。そうしているうちに伊奈いいさんと完走請負人のMAKOTO
さんを発見。伊奈いいさんも辛そうですけど、ほんとはわたしのほうがもっと辛かったんです。
 とはいえ、辛くてもすすまなければなりません。28キロの折り返して、だんだんキレていくのがわかりました。みんな怒っているやろうな、尼崎ってしんどいだけやんとか思っているやろうなと思いつつ、一番怒っているのは、わたしです。しばらくして、キレた原因を発見。お腹がすいていました。手持ちのミルクの飴ちゃんを連続で口に入れたけれども、空腹には焼け石に水でした。そういえば、丹後のときには、シオバラ師匠がエネルギー切れを心配してくださって、アドバイスもらって、それを忠実に守っていったのに、今回は、まったく準備せずに不覚でした。
 33キロ過ぎで再び西宮側にうつって。道路をちょっと走ってまた河川敷へ降ります。降りたところで給水ポイント、一瞬やったーと思ったけれど、そこには水とアミノバイタルしかありませんでした。
 がっくりくりときて、ペースダウン。もうめちゃくちゃ辛い。誰か食べ物くれへんかなと、キョロキョロしたけど、それらしき気配はなく、相変わらず唯一の食料のミルク飴を連続で食べていました。こうなったら、もうKadoさんたちがもとの場所にいらっしゃることがけが望みでした。もしいてはったら、食べ物もらおうと思って、それだけを楽しみに前に進みました。そして36キロ付近でKadoさんたち発見。嬉しくて嬉しくて、そのときだけはめちゃくちゃ速く走って行って一言。「おなかが減って、走れへんねん」。そしたら、「あるよ、あるよ」という感じで、食べ物を出してもらいました。うずらさんにワッフルと豚まんを、くーさんにはウエストバッグに飴をいっぱい入れてくださいました。ほんまに美味しかったです。空腹で行き倒れ状態でしたから。あの状態やったら、バナナ1本1000円でも買うと思います。それくらいお腹すいていました。「あと6キロ、がんばろ」という声に押されて出発。しっかり食べれたのと、みんなの応援でとっても元気になりました。
 36キロあたりから、係員の人が関門のことを言い出されていました。5回も関門があったのですが、全然、気にしてなかったので、心配になりました。でも関門を教えてくれるときは、時間で言われてもね。「39キロ2時50分です」って言われてもそれがいつなのか、容易には計算できないから。キロ10分かかっても次の関門は大丈夫なようなので、安心していたけれど、でもちょっとヤバクナイ?って感じでした。
 元気になって河川敷を下って、またいわゆる西宮ハーフのときのコースに入って39キロ。関門突破。あと3キロです。完走はみえてきました。30キロから40キロは1時間19分。こんなにかかってしまいました。

V ゴール

 あと3キロ。普通だったら、この3キロってキツいけど、今日は、意外と楽に走れました。恐るべし食べ物パワー。
 阪神パークに入ったら、ゴール寸前でKadoさんとハイタッチ。嬉しいねぇ、こういうの。ゴールのところにひびさんもいらして、その近くでわたchanが写真撮影。これまた嬉しい。
 4時間45分という、えもいえぬタイムなんですが、完走できてよかった!

W エピローグ

 マラソンって、いいスポーツやなと思いました。走るのは一人やけど、途中でいろんな人に出会えて、その出会い出会いで、気持ちがかわって違う自分になることができます。たくさんの人に支えられていることが実感できます。走っているあいだに出会った人、みんなに感謝の気持ちでいっぱいです。
 そしてたくさんの仲間とであえた「走快ねっとRC」に感謝です。
 ありがとうございました。

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