KOKKI



私室



ここは議長(仮名)の私室です。
私、議長の個人的な感想、意見等を記します。

有用情報の保護について
ごあいさつ
ドイツの印象
この印象はDDRの友社を代表するものではありません
文をお読みになって気分を害する可能性も否めません
お読みにならない事をお勧めします


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東独関連資料と研究発表を更新しないわけを記します。
いや、下手すると両ページとも閉鎖するかもしれません。

いきなり、聞いたことのない単語ですいません。
"有用情報"とは知的所有権の中の言葉(法律用語)です。

その説明の前に、著作権についてお話しします。
皆さんは、勿論、人が書いた本などを、勝手に写して本を書いたり、
盗用して出版してはいけない事はご存じと思います。(笑)

引用等の手段や、研究用や個人の家庭内の使用を除き、
勝手に人の著作を使用する事は法に触れる事です。

しかし実際、何が保護されるのかというと、、、、、、、
著作権はその著作に於ける表現を保護する権利であり、
その内容自体を保護する物ではありません。

そこで問題になるのは、先の"有用情報の保護"という問題です。

有用情報とは、

例えば、つりの穴場情報などの "何とか岬から●km北北西でヒラメが
ウハウハ取れます。" なんていう情報、つまり価値ある情報のことを言います。

この記事を雑誌に載せても、その情報自体には著作権は発生しません。
言い方や表現を変えれば他の雑誌が内容を盗用しても、罪にはなりません
つまり、何にも調べずに先に出た本を文章を変えて、さも自分のトクダネの様に
扱っても、法には触れないのです。
(もちろん、そのまま丸写ししたら、犯罪ですけどね。)

じゃあ、その穴場を求めて、日本中を歩き回った人の努力はどうなるのか
人が額に汗を流して調べた結果を、ちょこちょこっと変えて他人が自由に出版しても
泣き寝入りするしかないのか? という当然の疑問が出ます

これが"有用情報の保護"の問題です。

著作権という権利は、かなり強力で、保護期間も目茶苦茶長いです。
また、有用情報の保護は著作権と異る性質(著作とは学術・芸術行為でもある)なので、
著作権法で有用情報を保護するのは法的には不可能です。
つまり、現状では、有用情報を盗用されても、泣き寝入りするしかありません。。

私がこんな事を言うのは理由があります。
それは、東独関連資料と研究発表の一部を閉鎖を考える理由でもあります。

その理由とは、
 
簡単にいって、私の本の内容が無断転載された事です。
関西のとあるサークルに私の本の記載の一部が無断で転載されました
引用という形はとっているものの、誤った引用方法で
私の著作権が十分に尊重れていないのが実情です。

私はそのような人に情報を与えるほどお人好しではありません。
日本の法律で、私の本の情報を保護する事が困難なら、
自分で自分の本を守らなければなりません。
(もちろん、もうこれ以上、その人に私の本は渡しませんが)
そしてそのサークルがこのページを見ている可能性があるのです。
以上の様な理由から、
今回、関連資料と一部の研究発表の閉鎖を考えるに至ったのです。
今回の処置が一般の方に多大なる迷惑をかける事は、重々承知です。
しかし、私達の様な弱小サークルは、商店を通じて本を販売する様な強力な団体には
かないません。
従って、今後どのような処置を取るか未決定ですが
私達がこれからも本を作り続ける為にも(作り続ける意欲を持つ為にも)
どうか、皆様のご理解とご協力をお願いいたします。













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今回は初回という事もあり、ごあいさつをお届けします。

はじめまして。

このページ及び麦とコンパスの制作者の"議長"と申します。

よろしくお願いいたします。

まず、
不特定多数の目に触れるインターネットという事情をふまえ
実名を伏せさせていただく事をご理解・ご了承下さい

私たちはこの趣味を始めてまだ数年の新参者です

今回はその様な私たちが、
なぜ本を書き、この様なページを開くに至ったか
をご説明申し上げます。

このページ及び本を書いた目的は 東独軍装の復権です。

私たちは東独の軍装はかっこいいと思います。

しかしながら、日本における東独軍装に対する評価は
 安い、初心者用、第三帝国の代用品 などなど
あまり誉められたものではありません

資料も少なく、完全な形の東独軍装を着用している方も少ないのに
なぜ このように評価が低いのでしょうか

原因は幾つかありますが、
我々はその資料のなさに原因のひとつがあると思い、
ここにその啓蒙を図るため、
本を書き、ページを開設した、という次第です。


という事で、 先に述べた様に、我々は古参の方に比べればまだまだ”ひよっこ”です。
ドイツ語もできるわけではないので
間違いなども多くあると思いますが
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。






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1998年初秋 ドイツの印象

先頃行なわれました ”DDRの友社 第4次聖地巡礼隊 ”
で感じました 1998年初秋 ドイツの印象を記したいと思います。


一言で申し上げるなら、東ドイツの面影は極少なくなるも、
コレクターにとっては収集しやすい環境が構築されつつある、、
  

と言った所でしょうか。

DDRの友社 通商代表部 しゃるるおーろふすきー は
新たに 一件のDDR軍事関連のお店を開拓でき
これまでの関係のあった三店舗についても より深い関係を結ぶ事ができたと
今回の派遣に対し満足の意を表しております。
特に 書籍 資料関連の店舗と継続的関係を結べた事は大変喜ばしい事と
まさに自画自賛状態です。
あ、けど お店の名前を教えてくださいとか アドレスを教えてください といった
ご質問には一切お答えできません。
これは お店の情報提供者の強い申し入れですので
ご了承ください


まあ 冗談はこれくらいにして
本題です。

ドイツ人の 潔癖というか完璧主義 合理主義は
我々もよく理解していたつもりですが 
今回の旅行でそれがいかに甘いものだったかを思い知らされました。

前回の旅行で 東独の面影はかなり消えつつあると、
また、旧東独の人も旧西独の人も かっての時代(分断の時代)を
忘れたがっている、少なくとも思い出したくない
触れたくないようだ、と 作者(私)自身感じていたのだから
この結果に対しても 当然、予想できたはずでした

我々が訪れた旧東ドイツにおいて
その時代を思い起こさせる遺跡は 、極度の田舎か
ベルリンの壁記念碑等といった人為的 作為的な物
それも極少数しか無くなりつつあります。

勿論 壊す、消す、修復して跡形もなくす といった行為は
思い出したくないという事が唯一主な原因でない事は理解できます

新たな統一、経済的、社会的環境の統一はつまりドイツの西ドイツ化(ぶんでりぜーしょん?)
を意味するものであり、また
今のドイツの困難な経済状況を慮ると それ(東独らしさの破壊)は当然と理解できます

意味のさほど感じられなくなった 労働者の群れの彫刻、でかいだけの安い建物
至る所にあるファシズムと軍国主義の犠牲者の碑 ソビエトの戦勝記念碑、、、、

これらは ドイツ統一 豊かなドイツ復活 には邪魔者でしょう。
しかし
私が考えるには
これらの遺物は かつてここが冷戦の最先端であり
二十世紀に存在した共産主義またはスターリン型共産主義が(語弊があるかもしれませんが)
どのような痕跡を残したのかを知る事ができる 考えにふけることができる 遺跡を
壊しているようにしか見えません。

それだけではありません
旧東ドイツにあっては経済、社会整備基盤の発達は著しく遅く
それこそ 戦前の建物 車両 等が健在若しくは放置されており、
これらの東独成立より遡る歴史的遺物 芸術的遺産まで 現在の再構築は消そうとしているかの様です。

人間は現物を見なければ想像ができない事が多々あります。
かつてここに 壁があって、そこを越えようとした人を
地雷で 自動射撃装置で 犬で 小銃で 殺してでも阻止したのだといわれても
壁が無ければ、監視塔が無ければ、想像し考えるのは難しいでしょう。

ドイツ人はそれを知っているはずです

なぜなら ナチスの第三帝国によってもたらされた様々な事柄を
強制収容所の保存、空襲されたカイザーウ"ィルヘルム教会の保存など
行なっているではありませんか。

過去の歴史に責任をもとうとする姿勢もつドイツ人 
過去の歴史から何かを学ぼうとする ドイツ人にしては
なぜ 東独の物証だけを抹消しようとしているのか
理解に苦しみます。

そこに
東独を忘れたい、思い出したくない とする心理が働いたのなら、、、、、


しかしながら 先ほど述べましたように
ベルリンの壁記念碑 のように 新たに作られた記念碑もあるわけです。

私は所詮、日本人です。自分の国でも無い事をあれこれ言える権利はありません
わかっています。
ですがドイツを愛する一部外者として希望を述べたいと思います

今後の早急な遺跡保護をお願いいたします。

マイセンの町の石畳がすべてアスファルトになる前に、、、、
英雄都市ライプチヒがバッハだけのただの観光都市になる前に、、、

あれだけ血を吸ったベルリンの壁がすべて壊される前に、、、、









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