誰が言ったか知らないが、開幕5分以内に頭をブチ抜かれる奴がいるか否かで映画のおもしろさが決まるという言葉があります。正確に測ったわけではありませんのではっきりとは言えませんが、その意味で大体面白い映画のラインに入っているでしょう。
物語はノルマンディ上陸作戦の、最も過酷だったと言われる戦場オマハビーチから始まります。上陸用舟艇のゲートが開くと同時に先頭の兵士が頭を撃ち抜かれ、上陸どころか船を降りる前に兵士たちはバタバタと撃ち倒されていく。海辺には上陸用舟艇が到着するのを防ぐための障害物が置かれ、まだ深いところで兵士たちを降ろさなくてはならない。海に撃ち込まれる銃弾でも容赦なく兵士たちは死んでいき、重装備のため浮き上がれず溺れ死ぬものもいる……
こんなものは序の口にすぎず、開幕30分の死闘で海は比喩でなしに血で赤く染まり、砂浜に無数に散らばる兵士たちの血が小さな川になって海に流れ込む……これだけ凄惨な戦争シーンは、スターシップトルーパーズを除けばハンバーガーヒル以来です。スティーブン・スピルバーグ監督はドキュメンタリー風の映像を作るため撮影用のフィルムにまで気を使ったそうで、この場面に限らず、全編映像は非常にリアルで鬼気迫る迫力を見せています。飛び散った血がカメラのレンズについたりもしてそれが強烈に生々しかったりします。
物語の基本的な骨組みは普通の戦争映画とそう変わりはなく、2時間50分の間スクリーンに釘付けとなります。この辺は、さすがスピルバーグ監督という具合です。そして普通の戦争映画の骨組みに飛び散る血や肉片をなすりつけ、そのうえで訴えられているのは戦争という極限状態の中での人間性です。
4人兄弟のうち3人が一度に戦死し、母親のもとに同時に3通の戦死報告書が送られることになる。軍上層部は一人生き残った(生死不明)その末っ子を生きて母親のもとに連れ帰すべく命令を下す。そしてそのために、オマハビーチを生き残った精鋭8人を送り込む……
敵を倒すことでしか命の保証が得られず、人が虫けらのように殺されていく戦場。一人を助けるために、何人殺せば、何人犠牲を出せばいいのか。一人の敵兵を殺す、一人の犠牲者を出すことで何人の人が救われると割り切ればその罪から逃れられるのか……人道的なようでバカげてもいるこの作戦の中で、その矛盾が交互に投げかけられます。
命の価値がどれほどの重さなのかはわからない。しかし戦果の報告書の数字に加算される「1」なんかじゃない。暴力の快感でも戦争の非人道性でもない、そのことがこの映画で最も強く輝いています。敵と遭遇した瞬間から常に究極の選択を迫られる男たちは、どこかに後ろめたさを抱えて、それでも前に進まざるをえない。生きることの素晴らしさと重みが、同時に伝わってきます。
まあともかく、映画の日に友人と待ち合わせて映画(友人はアベンジャーズを見たいと言っていた)でも見るべということだったのですが、友人が仕事で連絡が取れず、遅くまでやってるこれを一人で見ました。
舞台が東洋だからかは知りませんが、昔の東映のオリジナル劇場用アニメ(ホルスの大冒険とか)を思わせる感じの絵になっていました。その時期の日本アニメはやっぱり、ディズニーが目標だったからでしょうか。そんな絵がCG技術などを駆使して動いている様は、海外アニメのわりに違和感のないものでした。また日本のアニメとアメリカのアニメとでは、力の入れかたや手の抜き方などの違いのようなものも感じます。ほんと、あまり目立たないようなところに力入れてますわ。
ストーリーは、原作が中国の物語ということですが立派に現在のアメリカ映画となっています。女性の自立のようなものもしっかり盛り込み、ムーランが軍隊に入隊したあたりから立派に戦争映画のフォーマットになっています。わき役のキャラクターたちもコミカルでいながらただの飾りではなくストーリーにしっかり組み込まれています。また悪役も、最小限の描写でその悪逆非道ぶりを見せつけているところは見事です。
ディズニーのアニメというとお子様向けという印象がありますが、ストーリーはあらゆる面で過不足がなく、最新の技術を適材適所に配置して見事な映像を見せてくれます。万人に楽しめる映画というのはありえないとも思いますが、そこにかなり近いところにディズニーのアニメはある。それを認識させられます。
ところでムーランの声を当てたミンナ・ウォンさんって、実写版ストリートファイターの春麗だったのね。
ワイドショーは嫌いなのですが、家で仕事してるとおふくろが見てたりしてるんで情報が入ったりしてきます。そんな中で、吉本の女性お笑いタレントありすがわゆきさんが、全米ホットドッグ早食いチャンピオンの中島広文氏を破ったというニュースを小耳に挟みました。
ちなみに中島氏はTVチャンピオンの大食い選手権の常連チャンピオンで、全米ホットドッグ早食い大会の挑戦もTVチャンピオンの企画でした。またTVチャンピオンは以前、大食い選手権の常連や歴代チャンピオンを集めてでかい料理を規定時間内に食べると賞金が出る店に挑戦し賞金をチャリティに寄付するという企画もやっていました。
その時感じたことは、人間の胃の限界は6キロ前後だということでした。ところがありすがわ氏は、中島氏を破ったイベントの前のイベントで、90分の間にタコ焼き3000個を食べまくるという企画に挑戦。完食はならなかったもの、106分で480個、約17キロのタコ焼きを食べ、その間にマックシェイク16個、牛乳6パック、コーラ2ボトル、お茶5缶を飲み干したそうです。人は無限の可能性を秘めているもんだ。
で、このイベントというのが、映画「ザ・グリード」試写会で行われたイベントだったりするわけなんですな。「90分で3000人を食い尽くす」怪物、ザ・グリードにちなんでのイベントということで。映画内時間でどのくらい時間がたっているのかは知りませんが、おそらく90分というのは、映画の上映時間ということでしょう。
当然といえば当然ですが、90分の間延々と怪物が3000人の人間を食い尽くすだけの映画だったら、いくらなんでもつまらないものになっているでしょう(いや、面白いかもしれない)。この怪物に、タイタニックのような豪華客船、ダイハードのようなハイテク武装強盗団、スピード2のような海上アクションとぶちこんで、この作品はとっても面白いB級娯楽作品に仕上がっています。
武装強盗団の使う、中国製のアサルトライフルというのがこの映画を象徴しているような気がします。あっしは月刊GUNを毎月購読していますが、こんな銃(キャリコがベースだと思うけど)は見たことありません(笑)。なぜかガトリング銃のように何本もの銃身を束ねて、字幕によると装弾数1000発。あからさまに大ウソ、だけどカッコいい。
登場人物も、強盗団に雇われた高速船の船長を主人公として、ナインティナインの岡村にちょっと似た高速船のメカニック、豪華客船に潜り込んだ美人盗賊、強盗団のメンバーも個性的で生き生きとしています。気持ちいいくらい潔く娯楽に徹している姿勢は非常に好感が持てます。対する怪物、ザ・グリード(この名前は日本でつけられた)もCG技術の力を借りて所せましと暴れ回ります。
A級の予算をかけて作られたB級映画、これはほめ言葉です。最近はCG技術の発達のおかげで比較的低予算の作品でも表現力が上がってきましたが、それでもやっぱりスケールの大きなものを作るには大きな予算が必要です。その大予算を惜し気もなく怪物とアクションに注ぎ込んだ、いつ見ても楽しい娯楽作品です。
気がつくと、妙な部屋の中にいる。部屋には、前後上下左右の6ヶ所に扉が取り付けられている。そのうちの一つを開けてみると、その向こうにも同じような部屋が続いている。その部屋に移ってみる……ざん。次の瞬間、自分の体がさいの目状に切り刻まれていることに気付く。ほとんど目に見えない極細のワイヤーで作られた網が、彼の体を切り刻んだのだ……
昔、メガCDのゲームに「スイッチ」というものがありました。画面上にいくつものスイッチがあり、それを押すと何かが起こったり別の画面に移動したりして、ゴールを目指すというものでした。このゲームは基本的にギャグなのですが、CUBEでは致命的なトラップが発動するのです。
トラップはその仕掛けも殺しの手口も多種多様で、それを見極めていかなければならない。またトラップの仕掛けられていない部屋もあり、トラップの有無を見極めるヒントも隠されている。間違った選択をすれば、死はあっけなくやってくる。……まるでゲームの紹介みたいですね。純ゲーム度の高い映画とも言えるでしょう。
この映画の優れているところは、この殺人ゲームを”設定”という域にしっかりと留め、何の理由も説明もなしに(知らぬ間に)この殺人ゲームに放り込まれた人々のドラマに重点を置いていることです。それはゲームに優れたストーリーがあるというのではなく、ゲームをする人のストーリーを描いているということです。
陳腐な言い回しですが、この作品には人生の縮図があります。冷徹なゲームの中では、生きようという意志・エネルギーの強い人間ほど神経を擦り減らしていき破滅への道をたどっていきます。人間はただゲームを黙々と解いていくしかないのか……ひたすら謎に向かっていって導き出された答えは、誰もが思いつきそうな、しかし実際には結局最後まで気付かずその時に愕然とせざるをえない皮肉なものです。
あまりにもシンプルな骨格のストーリーに緊迫した雰囲気、ピリピリしたドラマ、そして人生の不条理さを思わされる奥深い内容。娯楽性と知性をうまいところで結び付けた、非常にいい作品です。奥深い娯楽、あるいは人をひきつける芸術を目指す人なら見ておきましょう。
ヴァンパイアというと、カプコンの格闘ゲームをまず連想してしまいます。ホラー映画(というより、怪奇映画)を彩ってきた怪物たちが一同に会して戦うというもので、そこには格闘ゲーム風にアレンジされた怪物たちが生きています。
一方映画では、怪物たちは姿を変え細々と生きていますが、その多くはなかなか目につきにくいところですが大きな変化を余儀なくされているようです。狼男や人造人間はバイオテクノロジーの産物となり、半魚人もバイオテクノロジーの産物だったり環境破壊による突然変異体だったり。
その根本にあるのは、「最も恐ろしいのは人間である」という考えでしょう。上に挙げた通り、多くのモンスターたちは人間に作られた、または発生の原因が人間にあるものに変わっています。最初から人間でない、まったく人間と関係ない脅威、天然の怪物はどうも保護の対象になってしまうようで。彼らはもう、ゲームの中でしか暴れることはできなくなりつつあるのです。
そんな中で、唯一怪物でありつづける存在が、コスプレ人気も高いサキュバスのモリガ(バキューン)……じゃなくて、そう、吸血鬼です。最初から怪物と人間の境界線に近いところに存在し、そのためか今でも怪物の側にとどまっていられる存在。巨大なコウモリのような”正体”を表すのが最近のはやりですが、その一方で気まぐれに、人ならぬものになってしまったものの悲哀を演じてみせたりもします。
吸血鬼も所詮は元人間なのですが、吸血鬼には人間の愚かさの暗喩などはありません。人間をやめて数々の能力を手にして、”獲物”を思いのままに操る、人間以上のものへの脅威を持ちつづけているからなのかもしれません。
そして信仰が薄れ神の力が失われつつある現在、逆に力を増してさえいます。世紀末、千年期の終わりに反キリスト教的なものの象徴としての確固たる位置を占めたとも言えるでしょう。
ヴァンパイア・最期の聖戦は、そんな吸血鬼たちと人間の戦いを描いています。ジョン・カーペンター監督が西部劇を意識したと語っている通り、決して派手ではないがショボくれているわけでもない乾いた空気の中で、熱く静かな戦いが繰り広げられています。
ワイヤーのついた矢を吸血鬼に撃ち込み、ウインチで日の当たるところに引きずり出す……この退治方法が、この作品のカラーをよく表しているでしょう。原作の小説「ヴァンパイア・バスターズ(元題がすごい。Sを$に置き換えて、VAMPIRE$)」では、法王庁に清められた銃弾なら倒せるとなっているそうですが、あえてこの、爽快さに欠ける方法で押し通すことで吸血鬼と人間の微妙なパワーバランスを取っているような感じです。
あえて派手な絵づくりをしないように心がけているような気もしますが、だからといって退屈だったりつまらなかったりするわけではありません。主要登場人物をかなり絞り込んで淡々と、丁寧に男のドラマを積み重ねています。それがクライマックス、そして最後で重厚でありながら枯れた味わいを放っています。
ホラーとしてもアクションとしてもひたすら渋く、ド派手な大作に食傷ぎみの人にはこの引き締まった味わいは格別のものでしょう。1月末から劇場公開ということなので、おせち料理の後に渋い日本茶を味わうような感じで見に行くのもいいでしょう。
「映画館の大画面で面白い映画が見たい!」言葉にするとこんなにも単純な思い。しかし大半の映画館は(面白くない、とは言わないが)ハリウッドの超大作が投入されミニシアター系のほとんどが(奥深かったり高尚だったりするのだろうが)アート系の映画で占められている……B級娯楽作品は、単館上映かそれに近いごく小規模でしか公開されず最初から一月足らずの寿命と決められている。(畜生、おかげでアニメ版チャイニーズゴーストストーリー見逃しちまったよう)
娯楽作品でもA級のものなら客を呼べるかもしれない。芸術作品なら大会の文化度を上げることができる……しかし僕ら(って誰)が求めているものは違う。退屈な芸術作品でも万人向けのわかりやすすぎて毒のない大作映画でもなく、普通の映画祭では見向きもされないような作品の中にそういうものはあるんだ……
そういう映画ファンの、ファンによる、ファンのための映画祭、それが東京国際ファンタスティック映画祭なのです。ホラー、ファンタジー、アクション、アニメーションなどの娯楽作品が数多く取りそろえられており、最近最大のヒットといえば今年映画ファンの間で大ブレイクしたムトゥがそうです。去年のファンタで爆発的な盛り上がりを見せた(らしい)事が起爆剤になったといわれています。
……っておいら今回が始めてなのよね。姉貴は昔行ったことがあるそうですが。あっしも興味はあったのですが、根がものぐさなもんでそっち方面へのアンテナをあまり張っていなかったのよね。今回は、ニフティのホラー映画フォーラムに入ったのとインターネットをそこそこ活用しだしてファンタスティック映画祭のページを見るようになったことから、いつどこでどんな作品を上映するのかがわかったりしたので行くことにしました。ホラー映画フォーラムのオフ会もあるし。
あっしが行ったのは、初日の開幕上映作品(前の項目に書いた、カーペンター監督のヴァンパイア)、そしてその後始まった、ダークサイド・オールナイトでした。他にも面白い企画・作品は目白押しでしたが、貯金が下りる前でお金がなかったのと色々用事があったりでチケットを買ったのはこれだけでした。
で、初めて参加するファンタですが……まさに映画”祭”でした。これだけ観客が盛りあがっているところは、今まで見たことがありません。聞いた話だとこれでも昔よりおとなしくなったとか。映画が上映されるとタイトルや監督、お気に入りの俳優などが出るたびに拍手が起こり、素晴らしいシーンでも拍手が起こり、笑える場面ではちゃんと笑う。普通に映画館に足を運んでもまず経験できない、スクリーンと一体になって楽しむ映画の見方がここにはありました。
ダークサイド・オールナイトの第一弾は「富江」。伊藤潤二氏の漫画を映画化したものだそうで、原作はかなり評価が高いようです。富江役のキャストは公開時まで秘密にされており、「富江は誰だキャンペーン」というものが行われていました。ファンタ上映バージョンはオープニングのクレジットからも富江役の女性の名前を外しているというサービスぶりでした。
内容は……邦画のホラーらしいというか、序盤がものすごくかったるいです。中盤以降の盛り上がりはなかなかですが、いかにも邦画の若手監督が作ったような感じは個人的にあまり好きではありませんでした。なお富江役は、菅野美穂さんでした。正解率はかなり高かったようで、会場にも当選した方がいました。ちなみになかなかの演技で、作品をぶち壊したりはせずうまくなじんでいました。
次が、ダークシティ。ブルース・リー氏の息子、ブランドン・リー氏の遺作「クロウ・飛翔伝説」の監督、アレックス・プロヤン氏の最新作です。クロウで見せたダークな雰囲気の光る、ビジュアル系SFサスペンスです。もう劇場公開されているようですが、もう終わっているでしょう。
個人的には、これが今回一番の当たりでした。ストーリーはわりとしっかりしており、良質のSF短編を忠実に映画化するとこういう感じになるだろうなあというできでした。CG技術の発達により(この言いまわしが最近多くなっておりませんこと?)壮大で奇想天外なビジョンを見せてくれます。 それがCG屋の技術自慢になっていないところは、監督のセンスと技量でしょう。たぶん。
それと、フェノミナで一躍美少女スターの座を手にしたジェニファー・コネリーさんが主人公の妻の役で出演しています。美少女、とはもう呼べる年齢ではありませんが、それでもやっぱりきれいでした。ちょうどいい具合に力も抜けているようで、これからが期待できるかもしれませんね。
その次が、カルミーナ。残念ながら、あっしは油断して寝てしまい最後の30分くらいしか見ていません。カナダで制作された、吸血鬼もののホラーコメディだそうです。最後のほうを見た限りでは、なかなか軽いノリで楽しい作品のようでした。これは劇場公開されたら見に行ってもいいかなと思いますが、上映される予定については今のところ耳に入っていません。
作品の合間のイベントが長引いてだいぶスケジュールの押した中、早朝5時ごろ開始となったのが、本オールナイト最後の作品、タロス・ザ・マミーです。プロヤン監督と同じくCMやビデオクリップの仕事から映画に転向した、ハイランダーで有名な元祖ビジュアル系監督、ラッセル・マルケイ監督の最新作です。
が、……マルケイ監督、ハイランダー以外はあまりパッとしない印象があり、この作品も例にもれないできでした。昔のオカルト映画のような雰囲気は決して悪くないのですが、とにかくタルい。2時間超えちゃダメ。3,40分は切れる。気力ゲージがどんどん減っていき、座席に座るのさえ苦痛で通路に寝転がって見ました。でも、まあ、この作品ビデオででも見返すのは辛いから今見ておいてよかったかな。
オールナイトが終了したのは朝の7時過ぎ。なんともスガスガシー朝でした。その後ホラー映画フォーラムの人たちに合流して朝オフに参加したのですが、あっしは9時半ごろ撤収しました。その訳は……
(前回のあらすじ)時はまだ、カリフォルニアがスペイン領だったころ。東京国際ファンタスティック映画祭を見終えてホラー映画フォーラムの朝オフに参加したDropmeet。しかし彼は、ある重要な使命を思い出した。「親父と映画見にいく約束してたじゃん!」
早々に家路につくDropmeet。 しかし彼を人食いサメが、オニカマスが、巨大なタコが、巨大化した海イグアナ(ただし、ではない)が次々に襲う!(って帰りに寄ったゲーセンで親父が迎えに来るまでそういうゲームをした。セガのオーシャンハンターだったかな?)
2面終盤で力尽きたDropmeet。彼は悪代官に捕らえられ、なんのいわれもなく処刑されようとしていた!しかしその時!全身黒づくめの謎の剣士がさっそうと現れたのであった!そう、彼こそが、バットマンのモデルにもなった伝説の英雄、怪傑ゾロだ!
……なんてバカ話はともかく、怪傑ゾロというと無声映画時代から活躍しつづけているおなじみのキャラクターのようですね。日本で言うと蔵馬天狗とかそういう感じでしょうか。昔の、理屈抜きの大活劇を現代によみがえらせるということで、最初と最後の大立ち回りはなかなかかっこいいです。
その間のドラマですが、まあ現代的なアレンジがされています。アンソニー・ホプキンス演じる初代ゾロからアントニオ・バンデラス演じる主人公への”怪傑ゾロ”の継承のドラマなども折り混ぜ、なかなか厚みを持たせています。徹夜明けなのに寝なかったんだから間違いない。たぶん。うつらうつらしたけど。
割と女性向きな趣向で作られている感じもあり、途中に出てくる生首の酒漬けさえ除けばデート映画としてかなりいい具合なんじゃないでしょうか。あっしみたいな男でも退屈はしないので。バットマンのモチーフになった作品ということで、ビデオで借りるときにはバットマンと一緒に借りてチョロっとうんちくを垂れちゃったりなんかしちゃったりなんかして〜
銀行強盗。実際に起こされると迷惑ですが、映画ではよく使われます。強力な火器を装備してド派手にやらかしてもいいし、周到で緻密な計画を実行していくスリルを持たせてもいい。奇想天外な方法で客を楽しませてもいい。メインにもできるし、味付けにもできる。
正直なところ、本作「アウト・オブ・サイト」での銀行強盗はほんの味付けなのですが、冒頭でジョージ・クルーニー演じる主人公が単独で行う銀行強盗はなかなかユニークです。一人で、しかも、銃や他の武器を使わずに銀行強盗を行う。やり方を書くのは面倒くさいので省きますが、口八丁手八丁でそれなりにやってきた(でもどこかツイてない)主人公のキャラクターを説明するのには充分なエピソードでした。
「ゲット・ショーティ」、「ジャッキー・ブラウン」などの原作としても知られるエルモア・レナード氏の原作だそうです。ってそれらを見たわけではないのではっきりとは言えませんが、小粋な感じを漂わせる作風のようですね。ジャッキー・ブラウンにも出てきた役者をチョイ役で出すファンサービスがあったそうで、映画スタッフのそういう気配りも原作の小粋な雰囲気がなせるものなのでしょう。
監督は「セックスと嘘とビデオテープ」、「KAFKA 迷宮の悪夢」などのスティーブン・ソダーバーグ氏。巧みなカットバックなどで見せる映像を心がけていますが、ややタルい感じがします。無論これはアクション映画ではないしストーリーもアクション映画的なツボを外す方向ではあるのですが、あと10から20分くらいは切ってもいいんじゃないかという気がします。
湯川専務やせがた三四郎が登場する前のセガの広告の文句に、「This Is Cool」というのがありました。後に雑誌で言われた事ですが、つまりこれって「俺ってカッコいいだろう?」と言っているのと同じで、逆に非常にダサい文句でもあるわけです。
つまり何が言いたいかというと、劇中で子供が「Cool!」とかヌカしているような作品にロクなものはないというぃう事です。……言ってますね。予告編で。すでに。子供が。「Cool!」とかって。ロスト・イン・スペース。
ろくなものではないといっても決してダメな作品というわけでなく、家族向けの安定して見られる作品ではあります。特殊効果やCGを縦横に駆使したSFスペクタクルが見られるし、家族の絆をテーマとしたドラマも盛り込んだりと色々、家族を構成する全世代が見られるように工夫はしています。家族、というか親が、家族で見に行きたい作品といえるでしょう。
この作品で悪役を演じたゲーリー・オールドマンも「子供と一緒に見られる作品に出てみたくなった」と語っていたそうです。しかし実際に子供に見せたら、「パパには悪いけど、これ、くだらないよ」と言われたそうです。つまりそういうことです。
全世代が見られるよう工夫をしていますが、それが逆に対象をぼやけさせています。子供が見るには退屈で、大人が見るには内容の薄い感じになってしまっています。これは色々な要素を考えなしに詰め込んでいった結果でしょう。プロデューサーから監督に至るまで、作品に対するビジョンが見えなかった、あるいは統一できなかったのではないでしょうか。観客をナメているからでない事を祈るばかりです。
家族が一同に会して「さあ、みんなで話し合おう」と語りあうような気恥ずかしさと居心地の悪さがこの作品にはあります。”家族会議”の最初に切り出す無難な会話のような作品です。しかしそれゆえに、この作品には価値があります。家族が語りあうための最初の一歩として。
面白かった、つまらなかった、どこがどう。そして今度何を見ようか。そう語りあうきっかけとしてこの作品の意味があります。そしてまた今度、家族で次の映画を見るために。
大作時代劇(あるいは史劇)。というのは、国籍を問わず多くの人が作りたがるもののようです。広大な平原で無数の戦士たちがぶつかり合う大合戦。知略や策謀、友情や裏切りの交差するうねりのあるドラマ。現代を舞台にしてはもう作れないスケールの大きさでいながら、未来を舞台にしたものよりもうそ臭さがなく誰もが見られる。そして送り手も作り手も受け手も、歴史上の人物の誰か一人に必ず感情移入できる……
とは言ってもこういう作品は、どうしても制作費が非常にかかってしまうもののようです。特にこういう作品を作りたがる人というのはスケールの大きさをなにより重視してしまうため、平原を埋め尽くす大群衆とか昔の城(それどころか、攻城兵器まで)とかを作ってしまったりしがちです。スターも出たがるし出したがるし、脚本作りで大もめして何もしないまま製作期間がズルズル延びたり。
映画史上最DIEの失敗作(興行上)は、クレオパトラ(制作費は1962年当時の、140億円)と言われています。それとほぼ同規模のものが、西部開拓時代のアメリカを舞台とした「天国の門」だそうです。数秒のシーンのために鉄道をひいたとか。それほどでなくても、日本でも、そういう類の失敗作は死屍累々。
そういうのがだめだとは言いませんが、こういう超大作を(興行的に)成功させられる人間は限られています(現在、ぱっと思いつくのはスピルバーグ監督。キャメロン監督も入れてもいいが、そういうのには興味がないだろう)。それにしたって確立が高いというだけで、リスクが高いことには変わりがありません。それでも多くの監督が作品の構想をひそかに練り続け、大多数の、ではないが、少なくない人たちがそういう作品を待ちわびている。
そんな中、久しぶりの歴史超大作が始皇帝暗殺なのですが。……戦争シーンとかは、見所があります。セットとかもよくできていて、時代考証とかもしっかりできているんではないでしょうか。見に行こうと言い出した親父も、その辺は評価していたようです。
でもストーリーがダメです。これだけ大きな規模で雄大にできる話を、何でここまで矮小にできるかなぁというのが、正直な感想です。ドラマ的な盛り上がりも、三国志や銀河英雄伝説にかぶれている女子中高生なら(あとバカなOL)感動するかもしれませんが、お昼のドラマクラスの陳腐さで、作品のスケールにそぐわないものです。テレビドラマならよかったのにね。
昔の人間のスケールの大きな考えを、今の人間の考えに押し込めようとしたのがそもそも大きな間違いだったのではないでしょうか。一人の人間が見渡せる距離は果てしなく広がったのに、人間はどんどん小さくなっているような気がします……
日、米、中国、フランスの合作ということもあり、船頭多くして、船、山に登るという具合になってしまったのでしょう。でも監督のチェン・カイコー氏は制作と脚本も兼ねており、もっと上の人のせいにするのはちょっと辛いところです。わりと重要な役目で出演もしていますが、そんなに悪くない演技なのでそれは勘弁しましょう。
制作に角川が噛んでいるので、小説化、漫画化もされているそうです。多分漫画版なら、我慢できるレベルなんじゃないでしょうか。
アーサー王と伝説の剣、エクスカリバーを扱った作品で、チラシによると「1000年前、あの伝説の剣を抜いたのは、ひとりの少女だった」とありますが、これはウソです。剣を抜くのは、結局アーサー王です。ついでに言うと、ヒロインはチラシの絵よりもっといいです。っていうか、俺は気に入ったんだ。ケイリーちゃん萌え〜(バカ)
確かこの時期は、本家ディズニーのムーラン、20世紀フォックスのアナスタシアなど長編アニメ映画が多く作られた時期でした。キャメロットはバッグスバニーなどで知られるワーナーの長編アニメ映画です。ワーナーというと、あらゆる面で優等生的なディズニーに比べてちょっと悪ガキのような面があって個人的には結構好きです。いや本当の悪ガキなら、最低シンプソンズ、ニッケルオデオンとかビーバスバッドヘッドとかそういう流れなんだけど。
ストーリー的には、盛り込む要素の配分が悪いのか詰め込みすぎたりはしょったりといった感じはするのですが、そういう点も含めてディズニー的王道から外した具合が結構気に入っています。結構フリーキーなキャラを平然と出したり。シャム双生児のドラゴンとか。
ヒロインを助ける青年が盲人だというのも、ポイントです(どんな)。アメリカのアニメってリアルな動きとかにこだわっていますが、本当に盲人らしい動きを見せてくれます。瞳の濁った具合もシンプルながらうまく描かれており、そうでありながら瞳が澄んでいるようにも見えるのは、あっしがこの作品を気に入っているからでもありますが、なかなかいいです。ちなみに日本語吹き替え版を上映した映画館では、点字のパンフレットも販売していたそうです。
この作品の悪役もゲイリー・オールドマン氏が演じているのですが、どこかショボさのある本人の外見とは違う、マッチョな悪役がうまくはまっています。歌まで歌ったりして。もうノリノリ。ロスト・イン・スペースよりもずっといいです。またアーサー王を最近の007、ピアース・ブロスナン氏が演じています。だからってかっこいいというわけでなく、こちらも、ややひ弱だが芯のしっかりした若きアーサー王をうまく演じています。他にもモンティパイソンのエリック・アイドル氏が、ドラゴンの片割れとして登場しています。
それとヒロインの母親の歌(声ではない)を、タイタニックの主題歌ですっかり有名になったセリーヌ・デュオンさんが歌っています。サントラは結構いいんじゃないでしょうか。あっしは買いました。
あ、どんうぉーなくろーずまぃあーい、あ、どんうぉーなふぉオーらすりーぷこーざぃみしゅーべー、えーんどーんうぉなみすぁしーん、こじーぶんうぇーなぃどりーもびゅー、ざすぅいーりすどぅりーむぅねエーばどうーあいすてぃうみしゅーべー、えーんどーんうぉなみすぁしーん……(熱唱モード)
2001年宇宙の旅の原作者として知られるSF作家、アーサー・C・クラークの「神の鉄槌」の映画化をスピルバーグ監督が手掛けるという話は1,2年前にはあったような気がします。気まぐれに買った神の鉄槌の本には、映画化されたときのタイトル「ディープ・インパクト」も載っていました(原作とはかなりかけ離れたものになってしまいましたが)。
スピルバーグが動いた!隕石物だ!それ!とばかりに隕石物の企画が作られたのでしょう。ビデオレンタルに行ってみると、最近作られた隕石物の映画(テレビ映画が多いような気が)をよく見かけます。似たようなものでは、キャメロンが深海ものを撮る!それ!とザ・デプスやリバイアサンといった深海ホラーが作られ、本命のアビスが出る前に深海ものを食い尽くしてしまったという例があります。
CG技術の発展が著しいとはいえ、宇宙から隕石が飛来してそれを迎撃したり失敗して大都市が壊滅するさまを描いたりというのは、かなりの時間と予算を必要とするもののようです。パチモンがシェアを食い尽くす事もなく、最先端の特種効果と一般の人を納得させられるドラマを盛り込んだディープインパクトは大ヒットを記録しました。
しかしディープインパクトは、ドラマ偏重の感がありました。「破滅の時が来たとき、人はどうするか」という事に重点を置き、破滅を阻止する試みはことごとく失敗するという、ややカタルシスに欠けるものでした。「ザ・ロック」、「コン・エアー」などド派手なアクションを得意とするプロデューサー、ジェリー・ブラックハイマー氏はその点を踏まえ、特殊効果と見せ場をふんだんに盛り込んだ対抗馬(最強のパチモン)、アルマゲドンを世に送りました。
本編を見るまでもなく、予告編を見れば一目諒然。ディープインパクトと正反対の位置にある作品です。ニューヨークに流星雨は降るわパリと北京は壊滅するわ、そんな中隕石を爆破するために核爆弾を埋め込むべく集められたブルース・ウイリスを始めとする曲者ぞろいの土方集団(石油採掘のプロ)の男臭い活躍を描くわで、娯楽映画として思いつく限りの要素を盛り込んでいます。
徹底的にわかりやすく、派手に。その辺は、もう徹底しています。ごめんなさいと土下座して謝るくらい。というか、詰め込みすぎ。たとえあっしがビーフジャーキーが大好きだからって、一日中食っていたら(やった事がある<バカ)アゴの筋肉が痛くなり濃い塩味で舌が痛くなるように、派手で効果的なシーンなどを盛り込みまくるとおなか一杯でゲップが出るという事です。
序盤から中盤までのテンションは、まあ結構いいんじゃないかと思うんだけど。あと10分から20分くらい短くすれば、さらによくなるんではないでしょうか。ただやり方を間違えると、濃度が高くなりすぎてアレな事になるような気も。まあいいや。エアロスミスの歌う主題歌、カラオケで出ないかなぁ。