FUJI ROCK FESTIVAL '06

2006年7月30日(日)


忌野清志郎、欠場

 毎年、出演者のキャンセルが発生してしまうフジロックですが、今年は忌野清志郎ガンで入院したために欠場。キヨシローがいない朝のグリーンステージで鳴らされた“田舎へいこう”を聴いていると、なんかホロリとしてしまいますが、ガンを克服して、必ず苗場に帰ってくると信じています。


ギターウルフ (RED MARQUEE)

 ベースウルフが死んだ後、新しいベーシストを補充していたのですね。
 ライブを観るのは7年ぶりですが、昔よりも演奏は上手くなった(?)ような気がする。しかし、ドラムウルフが曲間で何度もクシで髪をセットし直す芸風は全く変わっていなかった。ロッケンロー狼達の旅はまだまだ続く。


鼓童 (GREEN STAGE)

 アース・セレブレーション3週間前の大事な時期に、苗場に出張していて大丈夫なのか?と思いましたが、やはり編成は若干縮小したバージョンだったみたい。しかし、野外の「」の場に太鼓はよく合う。若いフジロッカー達にも大ウケ。
 人類が最初に奏でた音楽は「歌う」と「叩く」という行為から生まれたはず。ドラム、和太鼓、パンデイロ、なんでもいいが、何かを叩くという演奏は、人類の根元的な部分に訴えるものがあるのだろう。人類の初期衝動を感じさせる音楽というと、まずはブラジルアフリカの音楽が思い浮かびますが、佐渡鼓童も負けてはいない。と言うか、表現しているところは同じだと思う。
 今回はフェス向けのショーケース的なセットだったと思うので、本拠地・佐渡でのアース・セレブレーションで本領を発揮している演奏を、一度は体験してみなければなるまい。


THE REFUGEE ALL STARS OF SIERRA LEONE (GREEN STAGE)

 グリーンの3日目朝イチは、飛び道具的なバンドが出演することが多いですが、今年は鼓動に続いて2連発。アフリカのシエラレオネ難民達のバンドということですが、演奏はほとんどレゲエ。アフリカっぽい服を着ていなければ、ジャマイカのバンドだと思ってしまったかも?
 ステージ前で踊りまくっている変な外人がいるなと思ったら、ギャズ・メイオールだよ(笑)。終演後に声をかけて、2ショットをゲット!


奥さん(?)と抱き合っているギャズ。


「Power To The People!」と2人で言ってます。


待ちに待った青空

 3日目にして、ようやく朝から快晴。一日中晴れだったので、やっと長靴を脱ぐことができました(笑)。


 

ポークジンジャー丼(FIELD OF HEAVEN)

 1日目も食べたパワーズという屋台で新メニューを発見したので思わずオーダー。炭火で焼いた厚切り豚肉は激ウマ。ヘブンのメシは本当にレベルが高い。


シシケバブ(ORANGE COURT)

 アフリカの焼き鳥500円。デカいのに肉も軟らかいし、タレも旨い。オアシスの串焼き屋に見習ってほしいよ、マジで。


Likkle Mai (FIELD OF HEAVEN)

 ドライ&ヘビー女性ボーカルのソロ。バンドは脱退したのか、平行してのソロ活動なのか、よく分からない。
 もちろんサウンドの基本はレゲエ。ドライ&ヘビーのような過激なダブの要素がないので、ちょっと退屈だった。


小野リサ(ORANGE COURT)

 いままでのフジロックって、ブラジル音楽がスッポリ抜けていたんだよね。ま、ブラジル物だけでフェスがひとつ成り立ってしまうほど奥の深い音楽だから、中途半端に手出しできなかったのかもしれないけど、ペドロ・ルイスとかナサォン・ズンビとか絶対フジで受けると思うけど。
 今年はついにマルコス・スザーノ小野リサの2組のブラジル勢が参戦。小野リサはアメリカン・スタンダードボサノヴァ風にカバーした新作を出したばかりなので、ライブも同様の選曲。
 「皆さん、あまりボサノヴァをご存じないと思うので、一番有名な曲を」と“SAMBA DE UMA NOTA SO”を演奏してくれましたが、こういう他流試合の場だからこそ、「ボサノヴァ風」ではなく「ボサノヴァの神髄」をもっと見せつけてほしかったなぁ。


フィッシュマンズ (FIELD OF HEAVEN)

 フィッシュマンズは入場規制がかかるのでは?と予想していたので、小野リサを30分ほど早く切り上げてヘブンへ。
 佐藤伸治が死んでいなければ、絶対フジロックの常連だったはずのバンド。苗場でフィッシュマンズを観るのが俺の夢だった。場所はもちろんフィールド・オブ・ヘブン。佐藤君の残した楽曲を「天国」で聴けるなんて、最高じゃないか。


PAエンジニアはもちろんZAK


メンバー本人がサウンドチェック中

 開演が近づくに連れて、どんどん観客が流れ込んでくる。最終的には入場規制がかかったようです。
 演奏陣は、去年のライジング・サンTHE LONG SEASON REVUEツアーと全く同じで、現在進行形のフィッシュマンズ、不動のメンバー、
 茂木欣一:ドラム、柏原譲:ベース、HONZI:バイオリン&キーボード、ダーツ関口:ギター、木暮晋也:ギター、沖祐市:キーボード。
 まずはTHE LONG SEASON REVUEツアーと同じく、演奏陣のみで“Go Go Round This World”からスタート。ボーカルはもちろん茂木欣一


入場規制寸前


演奏陣登場

 次は、原田郁子の“Weather Report”。ライジング・サンの時のような張りつめたような空気はもう無い。当たり前のようにライブでフィッシュマンズの曲を聴ける喜びを噛みしめる。
 bonobos蔡君は、予想通り“感謝(驚)”を歌う。去年のツアーでは緊張している感がアリアリだったけど、さすがに慣れたのか、余裕のある歌い方。ただし、爆発力は去年のツアーの方があったかな。


原田郁子


蔡忠浩

 去年のツアーでは名古屋公演のみの参加だったキセルは“IN THE FLIGHT”を。2人のはかない歌声はこの曲によく合う。「あと10年たったら 何でもできそうな気がするって でもやっぱりそんなのウソさ やっぱり何もできないよ」という歌詞が心に染みる。こんな詩を書く人は佐藤伸治しかいない。佐藤伸治の曲を演らなけれればフィッシュマンズではない、という事実を痛感する。
 今回のUAは“頼りない天使”ではなく“WALKING IN THE RHYTHM”を選んできた。グッとテンポを抑えつつも攻撃的な演奏がカッコいい。


キセル


UA

 ギターを抱えて登場したPOCOPENが歌うのは、なんと“SEASON”。40分かかる“LONG SEASON”を1時間のステージで演奏するのは不可能なので、少しでもあの曲の雰囲気を、ということなのかもしれないが、中途半端だった感は否めない。
 この辺で、残り時間が少なくなってきたことに気付く。“ナイト・クルージング”と“いかれたBaby”を演奏するには時間が足りない。俺は心の中で「ポコペン、早く終われ!」と思っていました。すみません。
 スタッフ欣ちゃんに耳打ちし、欣ちゃんは「分かった、分かった」という表情。おそらく「時間がない」という連絡だったのでしょう。
 ハナレグミの登場の前に、欣ちゃんは「もう1曲やっていいですか!?」と一言。この時、欣ちゃんは“いかれたBaby”をカットすることを決心していたんだと思う。
 そして、ハナレグミが歌うのはもちろん“ナイト・クルージング”。
 再結成後のライブを観るのは3回目だし、今回は「当たり前に存在するフィッシュマンズ」としてライブを観ようと思っていた。しかし、「UP&DOWN UP&DOWN SLOW FAST SLOW FAST」のところで、どうしてもが流れてくる。あのシンプル歌詞メロディーが想像させる様々な景色を想う時、胸が締め付けられるのだ。


POCOPEN


ハナレグミ

 そして、今日のボーカリスト全員が登場してフィナーレ。しかし、みんなちょっと挙動不審UA欣ちゃんに何か話しかけていたのは「“いかれたBaby”やらへんの?」と訊いていたんだと思う。全員で“いかれたBaby”を歌うつもりで出てきたのに、肩組んで礼しちゃったりして、俺達どうするの?って、みんな不思議に思っていたんだと俺は想像してます。
 “いかれたBaby”を聴けなかったのは無念だけど、あれは「フィッシュマンズのライブはもう珍しいことではない。また次があるからガツガツするな。」という欣ちゃんの余裕だったと思いたい。
 また、苗場でフィッシュマンズを聴ける日を気長に待ちますよ。
 なんて言って、来年は“LONG SEASON”1曲のみ40分でライブやったりして(笑)。


ゆらゆら帝国 (FIELD OF HEAVEN)

 続いてヘブンに登場したのはゆら帝。ライブを観るのは2004年のフジ以来ですが、服が全く同じなんですけど。写真で見ると何年のライブなんだか区別つきません(笑)。
 そんな浮世離れした(?)ルックスの彼等ですが、演奏はスゴい。各パートの音が図太くて、ウネる、ウネる。曲も個性的で、全く飽きさせない。“タコ物語”のような変態曲を歌ったかと思えば、新曲の“つぎの夜へ”では、メロウソウルフルな世界へ連れていく。
 90分たっぷりのライブの後は、心も体もぐるぐる揺れるような感覚がしばらく続きました。本当にいいバンドだ。


豚ひき肉の青しそ炒め丼(ORANGE COURT)

 ヘブンからホワイト方向への道は大混雑なので、夕飯を食べに逆方向のオレンジへ。
 大鍋で大量に仕込まれた具がウマい。この店のメニューは全種類食ってみたかった(笑)。


TOBY FOYEH AND ORCHESTRA AFRICA(ORANGE COURT)

 夕飯を食いながら観ていたのが、このナイジェリアのバンド。見た目は思いきっりアフリカンですが、ドラムセットシンセを中心にした演奏は意外と普通のロックっぽかった気がする。


Sun Paulo(GYPSY AVALON)

 初日のマルコス・スザーノ・セッションに続き、今年2度目アヴァロンでの沼澤タカ。自らサウンドチェックに出てきたタカは・・・仮装してます(笑)。あなた、そんなキャラでしたっけ???
 他のメンバーは、ボーカル&ギターの佐藤タイジとキーボードの森俊之。4つ打ちの打ち込みトラックの上に生演奏を重ねるという、ありがちなスタイルではありますが、打ち込みなのにジャムバンドというのが、このバンドの個性だろう。3人とも強者揃いなだけに、演奏のクオリティは異常に高い。
 特にタカドラムは今回も大爆発。まさか、あの技巧派ドラマーの演奏で、こんなに踊らされるとは思わなかった。クラブ系のグルーヴを吸収したタカのドラムは最強だ。佐藤タイジとタカはシアターブルックで、森俊之とタカはスガシカオで共演しているので、息もピッタリ。
 佐藤タイジのジミヘン的ギター4つ打ちダンストラックと渡り合う演奏は、踊らせる即効性がとにかく高くて、アヴァロンを通りかかったお客さん達も巻き込んでの大盛り上がりとなりました。
 こんな小さいステージにブッキングされているなんて、もったいない。来年はホワイトで演ってくれ!


HAPPY MONDAYS (GREEN STAGE)

 忌野清志郎のキャンセルの影響で、クロージング・バンドのはずだったマンデイズは、22時30分スタートのヘッドライナーの時間に繰り上がりました。この日のうちに新潟に帰らなければならないオマンチェ世代としては、マンデイズを最後まで観れるのは嬉しかった。キヨシローには申し訳ないが。
 残念ながら、若いフジロッカー達はホワイトのモグワイを観に行ってしまったらしく、ステージ前に集まっているのは、30代が中心か。私も最前ブロックに突入してしまいました。
 再結成して99年のフジロックで来日した後も活動していたのかどうかは知らないが、演奏はしっかりしている。ショーンチンピラぶりはますます悪化していましたが(笑)。
 そして、ベズももちろん健在。ショーンがベズを完全に無視していたような感じだったのが気になりますが、ベズ・ダンスがなければ、マンデイズの音楽は成り立たない。右に左に観客を煽り続けるベズは、今回も最高でした。

 演奏終了後、なぜかギャズ・メイオールが出てきて「Do you want more!?」と観客を煽り、自分の(だと思う)に「Happy Mondays!!」と言わせて盛り上げます。しかし、ここでMCのスマイリー氏ポーキー氏が登場。「楽屋はサーカス状態、ギャズは酔っぱらっているので、申し訳ない。アンコールはありません!」と説明。ステージから逃げ去るギャズは本当にカッコ悪かった・・・。


10回目のフジロックを振り返る

 今年のフジロックで一番嬉しかったのは、フィッシュマンズクーラ・シェイカーを観れたこと。2つとも97年の第1回フジロックに出演しているべきバンドだった。そして、ついに“Shangri-La”を含むフェスティバル仕様の盛り上がりを見せてくれた電気グルーヴ。なんだか10年間溜まっていた宿題がまとめて解決したような気分です。
 97年富士天神山での大惨事を経験した時は、まさかフジロックが10年も続くとは思わなかったし、10年後自分が参加しているとは想像もしなかった。しかし、フジロックは俺の音楽観を完全に変えてしまったし、人生を変えられたと言ってもいい。


フジロック10回分のタイムテーブルを並べてみました。
97年はパンフを買わないと、バンドの演奏時間は分からなかった。


97年に泥だらけになって以来、フジロック専用にしたスニーカー。
天神山の泥も豊洲の土埃も苗場の雨も10年分染みこんでいます。

 さすがに10年も経つと、フジロッカー新しい世代に変わってきたと感じますね。
 自分自身、今年はホワイトステージのライブを全く見ていないことに非常に驚いた。今までは俺の主戦場ダンス系のアクトが多いホワイトだったのだが、今年はヘブンオレンジ入り浸り。特に1日目と3日目は昼にグリーンの陣地を旅立った後は、夜のヘッドライナーまでヘブン方面から帰ってこないという、ほとんど世捨て人状態(笑)。ヘブンとオレンジの音楽性を考えると、俺も年をとったんだなぁ・・・。

 今年、新しい世代のお客さんから耳にした気になる言葉を集めてみました。
電気グルーヴって誰? 日本のバンド?」(2日目のグリーンにて、レッチリ・ファンらしき男より)
宮沢さん、カッコいい。あんなお父さんだったらいいのに。」(1日目のヘブンにて、GANGA ZUMBAの宮沢和史(THE BOOM)を見ていた女の子より)
新潟とか越後とかもういい。パーキングで何か食おうぜ。」(2日目のレッチリ終了後、帰り道のカップルの会話より)
中越地震? 知らねーよ。」(2日目のグリーンにて、中越地震支援のNPOのスピーチを聞いていた男より)

 はっきり言って土曜のレッチリだけを観に来る客層は、よく言えばフェスに不慣れ、悪く言えばレベルが低い違法駐車をしたり、ゴミを散らかしたりするのは、ああいう連中だなんて言ったら、怒られるか。
 レッチリに恨みはないが、2004年のように3日通し券のみの販売で、観客にとってのハードルを高くすることも必要だと思う。


第1回のフジロックから全て一緒に行っている友人と「I'M FISH」


1999年以来、不動のオッサン4人組

 若い世代にとっては「フジロックは苗場で毎年あるイベント」なのかもしれないけど、富士山、東京、苗場と流浪した97〜99年を知る世代は「観客がしっかりしないとフジロックが無くなってしまう」という危機感を強烈に持っていたはず。その危機感を若い世代引き継ぐのが、我々の責任だと思う。
 というわけで、フジロック10周年を機会に、97年に富士天神山で行われた第1回フジロックのレポートを記憶をたどって書いてみました。
 それでは、来年も苗場で会いましょう!



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