9月29日(火)
 

我が家の子どもたちのピアノの先生としてタマーラ・セルゲーヴナが来てくださることになった。
「なぜ、わたしをピアノの先生にしようとなさったの。音楽を勉強するには音楽特別学校へ行くのが一番よ。」

「子どもたちは音楽家になるつもりはないので・・・。」
「でも、情操教育としてもちゃんとしたところで習わないと。」
「はあ、でも・・・。うちは・・・。」 説明のしようがないではないか。うちの子どもたちは、けっこうサボリであんまり練習をしたがらない・・・なんて。しかも親がもっと上(下?)をいって、ピアノの練習をさせるのが面倒くさいなんて。
でも、今までとりあえず習っていたから、どうしても続けることだけは、とにかく。

「お嬢さんたちはどれくらいならっているの?」
「3年になります。」
「そう、じゃあ、もうソナタは弾ける?バッハは?」

とんでもない。

下のむすめはもう3年以上ピアノを習っているけれど、赤いバイエルを終わってない。上のむすめはやっと「エリーゼのために」が弾ける程度だ。
今までとってもいい先生に習っていたんけれど、うちは練習しないのでそのペースを守ってくださっていたのだ。

「なつめ、ちょっと何か弾いてごらんなさい。」
エリーゼのためにをとりあえず弾いてみたけれど。
「ハノンをきっちりやらないとね。」
「お母さん、ちょっと来てください。」

キッチンに引き下がっていたのに、呼び出されてしまった。

「ピアノの基本は手です。わたしの手を触ってごらんなさい。どこに力が入っているかわかりますか。」
「ハイ・・・。」
「指と指の筋肉につながるところには力を入れますが、手首の関節や肩に力を入れては駄目なの。和音を弾くときも指は同じポジションをいつもとれるように・・・。鍵盤を探りながら和音を弾くのは許しませんよ。」

ただ、むすめたちの様子を見て、教わる条件を決めるために来ていただいたはずだった。

上のむすめはまるで新しいことを習っているかのように、目をキラキラさせて、タマーラ・セルゲーヴナに言われたことを出来るだけしようとしている。
うーん。こどもをその気にさせるって、こんなに丁寧にこんなに辛抱強く教えることなんだ。
ところが、ピアノを見た途端、レッスンが始まってしまって、もう1時間はゆうに経っている。

「音楽は情操の豊かさを教え、子どもの脳の発達を促します。わたしのセリョージャもやれたのだから、お嬢さんたちも頑張れるはずです。」
「ハイ!でも、うちのは・・・(てきとうで・・と本当はいいたかったのだが・・・)」
「おかあさんが、こどもの能力を信頼してあげなくてはなりません。あなたは何も期待していない。勿論、期待のし過ぎはいけませんが、あなたの子どもの勉強に対する姿勢では、子どもたちが可愛そうです。」

(はい、仰せの通り。確かに下の子どもには特に・・・。可愛く、ひたすら可愛くのんびりと生きていってくれたらいいと・・・。あるがままに、野放図に育ててしまいました。)

「タマーラ・セルゲーヴナ、セリョージャさんにどうやって接してこられたのですか?」
「わたしは彼をとてもとても愛してきました。お腹に入ったと、わかったときから、セリョージャとわたしの対話は始まったのです。セリョージャにはわたしの好きな音楽のこと、文学のこと。絵画を見て感じたことなどを、お腹にいるうちから語りかけたのです。」
「毎日?」
「ええ、ええ。そうですとも。だから、彼は生まれた途端、わたしが『アゴー』と、言うと、即座に『アゴー』と、答えたくらいですから。3才から彼の音楽の勉強が始まりました。ピアノとバイオリンです。それは右脳の発達を促して、数学や物理が得意になります。」

この熱心で豊かで、辛抱強い人生の良き先輩、いや先生をお母さんに擁いたセリョージャは幸せである。うちの子どもたちにも能力に合わせてきっと辛抱強く愛情を持って接してくださるに違いない。

タマーラ・セルゲーヴナは、
「ピアノを教えに来ることを楽しみます。」
と言い切ってくださった。
上のむすめの本物に接したときの紅潮した顔がそれを物語っている。
むすめは目を輝かせて、
「今日のピアノのレッスンはすごかった。言葉は分からないところが多かったけれど、何をしたらいいのかわかる。」
と、言った。彼女は彼女なりにタマーラ・セルゲーヴナから、本質的な何かを本能的に感じ取ったらしい。

これからピアノ以外に何をタマーラ・セルゲーヴナから教わっていくのか楽しみである。


但し、ハノンの練習の宿題がバッチリ出た。




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