我が家の大家さんはアルベルト・イヴァーノヴィッチ。
ロケット開発の研究に携わる物理学者だった。
ペレストロイカ以前は、情報の機密を守るため、海外旅行はご法度だった。
その上、ロケットの研究から、言語学研究所に再就職することになった。
彼の学生時代の悪ふざけともだち(ヴァレンチン・ドミートレヴィッチ)と共に・・・。
なんで、物理学者が言語学研究所なわけ?
実は、反政府活動者や犯罪者の声紋をとるための研究のため、かの有名なカー・ゲー・ベー(国家秘密警察)が彼らをその研究所に送ったのである。
アルベルト・イヴァーノヴィッチは海外に行ってみたいという長く飽くなき夢を達成できなかったので、医学の研究者である一人息子のデニスさんを、自分の代わりに(?)日本へ1988年に送り込んだ。
ところが、数年経って、彼が日本で落ち着いたころ、ちょっと息子のところへでも行ってみようかな、と思い政府に海外旅行の嘆願をしてみたら、一回でOK.が出てしまった。
時代はペレストロイカ、ロシアは彼を国内に幽閉しておかなくても良くなったのである。
まさに国家機密と一緒に半生を送ってきたような人である。
驚いたのは、アルベルト・イヴァーノヴィッチ。
まことに本当かどうか、奥さんの頬をつねりながら、日本への旅の用意をし始めた。すべてが滞りなくスムースに運んでいく。
機上の人となってもまだ、信じられない彼。KGBが発車直前にストップをかけるのではないかとびくびくしていたが、シベリアを過ぎ、ハバロフスクを越えてソ連上空とお別れしてからはじめて本当に外国へ行けるんだと実感したという。
自分が異国の土を踏めるなんて、夢想だにしていなかったという。
はじめて見る異国、日本は不思議な国だった。フォークやナイフはなくって、あのとてつもなく単純な2本の棒で出てきたものをを突っつきながら食べる。その上、お皿の数は多いが、料理の量は少なく、ほんのすこ〜しずつすきっ腹に入れていく。
ロシアの食事の一品分の多さは莫大だ。お皿にドッサリ、こぼれんばかりにいれてしまう。
食器が隠れるくらいでないと、おいしそうには見えないのだ。
その上、ロシアの人はヨーロッパの人々と同様、お茶碗やお皿を左手で持ち上げて、食べるなんて言うことは恥ずかしくてできない。2本の棒との悪戦苦闘が絶えなかった。
日本人はベッドで寝ないで床の上に直接寝る。(もちろん、布団はあるが・・・)
我が家のベッドが壊れたり、窓が風で勝手に開いてしまうので修理に来たときも、その時の記憶を忠実に守って、決して室内履きを絨毯のあるところでは履かない。必ず、はじっこに自分のスリッパを脱いでいる。アルベルト・イヴァーノヴィッチにとっては、我が家は半分日本である。床は神聖で清潔、だから侵してはなるまじきところなのである。
ベッドの修理に来てくれたときに、甘納豆を緑茶と共に出してみた。
「これは何だ?」
「豆からできています。」
「何と!豆とはな。甘い豆とははじめてじゃ。」
「して、どうやって作るのだ?」
「豆を柔らかくして、砂糖で煮るのです。」
「じゃあ、ジャムと作り方はおなじなないか。」
「まあ、そうではありますが・・・。」
「で、どうしてこんなに乾燥しているのだ。」
「ジャムのようにしてから、もっと火をいれて、最後に砂糖にまぶしてちょっと固めになるように作り上げるのです。」
「ホオオ、そりゃ、ボルシチを作るのに、森で薪を取ってきて、かまどを作って火をくべて、それからにして、おもむろにボルシチを煮るのに似ている。ガッハハハ・・・・。」
彼は、甘納豆を一人で理解して一人で楽しんでいた。
「さて、ドゥニャン、ブレジネフのアネクドートを知っとるかね。」
「さあ・・・」
「聞きたい?」
「はい。もちろん。」
「ブレジネフはその政権末期にフランスへ行った。その時美術館行ったのだ。側近の者たちと通訳が、『これはドラクロワの作品でございます。これは古代ギリシャの有名な彫刻でございます。』と、説明した。ブレジネフは『フォオ、そうかね。余も聞いたことがあるぞよ。』次に、行っても『余はこれに付いてもいつか昔に見たことがあったような気がする。フムフム。』かなり、年取って耳と目が悪くなっていたブレジネフはそれを理解したかどうかはわからん。
『して、この美術館はなんと申すのじゃ』お付きの者たちが即座に『ルーブルにてございます。』と、恭しく答えたら、『なんじゃ、それではここは安物ばかりではないか』と、のたもうたのだ。カアッカカカカ。」
大家のおじさんはとても恐妻家でもある。奥さんとは別居している。
「ドゥニャン、うちの妻はわしがいると落ち着かんと言って怒るのだ。どうも昔からわしのことは好いとらん。しかし、どうもうちのはドゥニャンたちのことは好きらしい。わしがここへ一人で来ると嫉妬するのだ。ここへ来るときには必ず電話をかけるように言われているのだが、今日、来る前に何度も彼女のところへかけてみたが、かからん。すまんが、どうか、彼女から電話があったら、『アルベルト・イヴァーノヴィッチは何度も電話をしていた。ドゥニャンも見ていた』と、言ってくれないかなあ。すまんなあ。悪いが宜しくお願いしたいのだ。」
「ええ、いいですとも、お安い御用です。」
きっと、あのとんでもない明るさと冗談ばかり言っている初老の大家さんのことを呆れ返って、奥さんは疲れるのであろう。
でも、わたしたちは、アルベルト・イヴァーノヴィッチがうちへ来てくれるのを心待ちにしている。何を言い出すか、その聡明な頭の中にはどんながらくたが入っているのかいつも楽しみである。
彼の名誉のために、彼は物理学者であると同時に医学博士でもあることを付けくわえておこう。ソ連時代にはいろんな学術賞をとったくらいの素晴らしい頭脳の持ち主であるが、今は、学者としての本業(月収、45ドル)と共に、趣味の自動車修理工として腕を振るっている。(かれの悪ふざけともだちヴァレンチン・ドミートレヴィッチと同様に・・・)
次へ
モスクワ日記の表紙へ
ホームへ戻る