11月28日(土)
 

この間、上の娘を日本人のお宅へ連れていってビックリしたことがある。


そのお宅には1年年下である6年生の女のお子さんがいる。そして5年生の女の子も2人やってくるということだった。
わが娘、久しぶりに、同年代の女の子と日本語で話し、十分コミュニケーションできるだろうと楽しみに出かけたのだが・・・。
1時間も2時間も同じ部屋にいるのに、一言も4人は言葉を交わさないのだ。5年生のクラスメート同志だけが、ボソボソと2人ひそやかに時折話しをしている。
こちらから話し掛けようとしても、「うん。」「そー」と、言うだけで、結局、話しは続かない。
みんなそれぞれ別の方を向いて、あたかもそこには誰もいないかのようにマンガに読みふけるか、テレビ・ゲームをする。



同じ日本語を話す日本人同志なのに話すことが何もない・・・。


これには娘はショックだったらしい。逆カルチャー・ショックを受けてしまったのだ。
モスクワ1741番校へ転校して以来、ロシア語が全く分からないにもかかわらず、友達とどうやって喋っていいか分からないなんていうことは経験したことが、ついぞなかったのだ。
隣り合って座ったもの同志は、笑うなり、遊ぶなり、喋るなり、喧嘩をするなりして、必ずコミュニケーションをロシアの子どもたちは図る。それが当たり前なのだ。

招かれてロシア人の友達の家へ行っても、誰からともなく、どんどん新しい遊びが飛び出してくる。お店やさんごっこ(ただし、年齢が12・3才なのでかなり凝ったことをする)をしたり、部屋を真っ暗にしてお化け屋敷を作り、メーク・アップまでして雰囲気を盛り上げる。
何もすることがなくなった時には、みんなで歌を歌ったり、ディスコのように踊ってみたり、何時間でもいくらでも工夫しながら、遊びを編み出していく。子どもたちが静かにしている時などほとんどない。食べている時でさえ、かまびすしい。

転校以来の娘の一番の悩みは誰もほおって置いてくれない。と、いう点に尽きた。
これでもかというほど、彼女を飽きさせはしないのだ。気を使った、幼いながらのサービスで一杯なのである。それが時にはサービス過剰に娘には映るのだった。
「過ぎたるは及ばざるがごとし。」かな。
と、娘は言い云いしたものだ。



確かに日本にいた頃、家に来る娘のともだちたちは物を介してしか、喋ることがなかったようだ。少ない話題が尽きてしまうと、マンガを読んだり、集めたシールをただ、黙々と見せ合ったりよくしていたものだった。

これで楽しいのかしらと、親のわたしが心配になるほど、友達に無駄なことを喋らないよう、お互いに気を使っていた。というか気を使い合い過ぎて、長い時間一緒にいると疲れるようだった。


今、なつめはロシアのともだちの気の使い方をあの日本人のお宅へ寄せていただいた時以来、見直し始めている。本当の思いやりと楽しさと、伸びやかさというものに目覚めてしまったのだというほかない。


日本の子どもたちのあり方も、文化だと一口に言ってしまえば、それで済んでしまうことかもしれない。
ただ、あまりにも子どもの頃から抑制し過ぎた関係を当たり前であると思い、そのような関係を結ぶことしか知らない子どもたちを見ていると、わたしたち大人は大切な子どものためにも、もっと自分たちの人間関係を考えてもよいのではないか、と思うようになっている。
わたしにとっても、また、日本人の間の人間関係はとても儀礼的で、抑制的で、それが抑圧となって自らに撥ね返ってきてしまっている時がある。



次へ
モスクワ日記の表紙へ
ホームへ戻る