12月17日(木)
 

上の娘がモスクワ1741番校に通い始めて3ヶ月と半。

先生の個別に持っていらっしゃる教室に教科ごとに移動する休み時間の慌ただしさにも慣れ、友達も5人ほどのグループの中に入れてもらってとりあえずは落ち着いたかに見える。

ただ、彼女の悩みは、今、ようやく一番大変なところのさしかかったのである。
3ヶ月半、全く分からないロシア語の世界に一人で放り込まれ、さっぱり何を言っているのか分からない授業を、一日に最低5時間は聞いて帰る。

その辛抱たるや、想像しても想像しきれないほどの重みを以って彼女に圧し掛かってきているのに違いない。

もう少しすれば、ロシア語が話せるようになるに違いない。もうしばらく辛抱すれば、皆のように授業も少しは分かるようになるだろう。

必死の思いでこの3ヶ月半を学校で過ごしていた。
ところが、一つの言語を習得するには、3ヶ月、毎日学校へ通うだけで足りると言うような生易しいものではない。

いつかきっと。いつかきっと。
と、思いながら、一日千秋の想いで日々を募らせているのに、このところ、自分のロシア語に目立った進歩を感じられないらしい。
(ただし、なつめは今までは数学と英語しか分からなかったのに、最近になって、地理や生物の授業にも積極的に参加しようとしているのが見受けられる。出来るだけ、分かるところはみんなと同じように宿題もやっていきたいのである。だから、実は、彼女の中に積み重なっているロシア語の知識はちゃんと積み重なっているのに違いない。)



友達と話しても話しきれない細やかなことを話したい。思春期にさしかかった彼女は機微をみんなと分かち合いたいのである。


ところが、ロシア学校ではやっぱり彼女はまだお客様でしかない。
いくら数学や英語が出来たって、歴史やロシア語の授業はほとんど分からない。

昨日、地理の授業中にため息をついたら、友達のうちの一人が、
「あんたなんて、ただ座っているだけでいいんだから、疲れることなんてないじゃい!!」
と、暴言を吐いたそうだ。

言葉が出来ないだけで、子供扱いされたり、保護者のように友達から振る舞われるのは、彼女の中に育ってきている自尊心が許さないのだ。
かと言って、何を言われても応戦できるほどの表現力を持ちあわせていない。


まだ12才と幼いだけに、可哀相である。
一日、何も分からない授業を聞いて、帰って来る、これほど辛いことがあろうか。

「何にも分からない授業を聞いていると、突然立ち上がりたくなるんだよ。ママ。」
「英語の時間にはうまく答えようと思って、ずっとふるえちゃうの。」

この言葉を聞いて涙がこぼれた。本当なら、表現する能力を持つ娘が、理解しているべき筈の教科が、言えない、聞けないということのプレッシャーゆえに、こんなことになっているなんて・・・。


親として、どうしてやったらいいのか。


「最近、学校へ行きたくないの。一人の子がね。冗談でわたしのこと、馬鹿だとか、鼻が小さいとか、うっとうしいとか言ってくるんだけど・・。その子に悪意がないだけに、どうして避けたらいいのかわからないの。」

「はっきり、止めてって言っていいのよ。」

「駄目。いやだって言ったら、冗談だと思って余計にやってくるんだもの。」

相手の女の子もなつめと仲良くなりたくて必死なのだ。双方とも心の幼さが邪魔をしている。

勉強に友達付き合い。

盛りだくさんな日常をこなしながら、苦しむ娘を見て、彼女たちの成長を待つというのは、親の私たちにとっても試練だと思う。


とにかく上の娘に特別にロシア語の先生についてもらえるよう校長先生に相談に行ってきた。

なつめが一日も早く、自分の思うことを下手ながらにも話せる日が来ることを祈らずにはいられない。ただ、救いはダーシャという素晴らしく細やかで優しく気のつく女の子がそっとやさしく娘をかばってくれるらしい。
彼女に助けられ、今の苦しい時を過ごしているのだ。

私たちも今こそなつめのために大きな支えにならなくては・・・。



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