1999年10月22日(金)

困ったことが起きた。せっかく夫の大武勇談を書いたというのに、ドゥニャンはそれを全部消してしまったのだ。

ドゥニャンは今までから夫の優しさ。楽しさ。包容力のあるところをいたるところで披露してきたつもりである。今日はその夫の輝かしきロシアでの業績を書く積もりになって、それをここに書いたのである。しかし!
それはつゆとなって消えた。

何故かと言うと馬鹿なことに、保存する時に別の文書(既にアップされている)を保存してしまったからである。
悔しい!とっても悲しい!情けない。

絶望的な気持ちだ。

あんなに高揚して夫を褒め上げたドゥニャンなのに・・・。

絶対、二度とあんなステキな文章は書けないと思う。自分で言うのも恥ずかしい気がするが、とにかく夫を誉めちぎった素晴らしい文章だった。

惜しい。それに二度同じことを書いて人を褒めると言うのはドゥニャンに出来る技ではない。なんとなく気恥ずかしい気持ちがするからだ。
自分に嘘をついているような、なんとなく後ろめたいような気がするではないか。(それがよしんば嘘ではないにしても・・。。)



そう、惨めな気持ちとなった今は、どうも別のことを思い出してしまったのである。


去年、はじめて我が家の大切な相棒、マドンナちゃんが来た時のことだ。
彼女が始めて私たちと対面したのは、1998年9月8日のことだった。
その日は夫の生まれて始めての路上運転(教習所で習った時以外は・・・)となった。
ヘンヘンは、一緒に乗ってくれと、たのんだ。それでドゥニャンもその運転に付き合うことになったのだが、走行速度20キロ。後ろから来た車は全部マドンナをどんどん追いぬいて行く。(ただしその走行距離は歩いて15分の所を往復しただけのことではあるが・・・。)まだまだ、未熟な夫はマドンナが動いただけで満足していた。それに時速20キロを猛スピードと感じていたようでもある。


次の日、努力家で鳴らしている夫は、またもドゥニャンを連れてマドンナの運転の練習に出かけた。ところが、昨日曲がった所で曲がりきれずに、ビュンビュンととばして走る本式の車道に出てしまったのだ。
ここは最低制限速度があるお国柄。
時速20キロの運転ではどうしても危なっかしくって、周りの車が迷惑する。思い切ってわが夫はアクセルを踏んだ。突然時速80キロ。
それでも後ろから来た車は、マドンナのことを薄ら笑いするように容赦なく追い越して行く。このままどこまでも進んでいったら、大きな交差点に突入することになる。信号の見方がまだ分かっていないので、どんな時に曲がっていいのやら、悪いのやらわからん。
(ロシアでも青がススメである。)
ところが、日本の交通法規と違って、信号に青がともっていても左に曲がる時には矢印が出ないと曲がっては行けないことになっている。
して、最初の左への横道に入ることに決めた。(なぜ右側に行くと言う考えが浮かばなかったのか今もって分からないが・・・)とにかく左ということで二人の意見は一致していた。

幸い後続車もなく、前方からも車は来ていない。今だ!!とばかりに左に曲がった。


しかし、家へ帰るためにはどこかでUターンをしなければならない。

そのための格好の場所を見つけた。それは駐車場だった。
だが、駐車場に入ったはいいが、どうしてもマドンナはバックの体勢に入ってくれない。
ギアがバックに入れられないのだ。
押しても引いてもなだめてもけなしても、マドンナのギアは頑としてバックに入らない。

どうしたんだ。一体。

変な車をつかまされたか。これは故障車だったのだ。

夫の手は汗でヌルヌル。ギアのプラスチックの丸い先っぽから手が滑る。
ハンカチを所望された。

ハンカチでしっかり手をぬぐって、もう一度。

それでもどうにもこうにもさっぱり・・・。
夫は必死で前のめりになってギアをもてあそんでいる。いや、ギアに弄ばれている。

このまま前進して何とかしようと思っても、すっきりとはいかないまでもたくさんの車が隊列をなしてとまっている。前進は他の車に好んで当たりに行くようなものである。


「ねえ、どうやったら、車ってバックするのか、誰かに聞いてみたら。」
ここは駐車場、ちょうど車を止めて出て来たドライバーがいた。
「ギアを斜めに押して、押しながらバックに入れるのだ。」
と、教えてもらったら、簡単なものだ。
そのドライバーは、困惑した目を夫に向けながら、これを教えてくれたものだ。これ以上、ロシアの道路事情を悪くしないでくれよと。それに微かな蔑みと憐れみの光がその目に宿っていたことも確かである。前途に何もありませんように・・・と。



さて、はじめてモスクワの中心街へマドンナででかけた時のこと。
夫は他の車がしているように道路脇に駐車したかった。
しかし、直角にしかマドンナは駐車できない。他に倣えというように歩道の脇に平行に停車したい。
ところが何度も前へ後ろへと動かしてはみるが、マドンナは斜め45度にしか収まらない。30分以上は頑張っただろうか。
それでもどうしても無理なものは無理なのである。
「ねえ、ドゥニャン、ハンドルをどう動かしたら、ちゃんと駐車できると思う?」
そんなことを聞かれても、こちとら車の機器についてはさっぱりわからない。ただ一つドゥニャンが動かすことの出来るのはワイパーである。
それをじっと見ていたカフカス系のおじさんが、左にハンドルを切れ、そして右だとか教えに来てくれた。
悲しいことに我がマドンナのハンドルはパワーステアリングではない。30分も動いてない車のハンドルを右へ左へときっていた夫の腕の力は限界に近かった。グイっとハンドルを回す力が残されていないのだ。
それを見かねたカフカスのおじさんは、外からハンドルをきって操作してくれた。
めでたくマドンナは斜め15度の角度に収まって、ヘンヘンも満足した。



その夫が近頃ではめっきり運転と言うことにかけては、ロシア化している。空いてる車線があると、必ず車線変更をしてスピードを上げる。少しでも遅い安全運転をしている車を見かけたら、キュイーンとばかりに追いぬかし、さらにもう一度別の車線で追い討ちをかける。
なかなかの運転技術である。

時にはアブナイから・・・と、ドゥニャンはヘンヘンの運転技術に関するブレーキを踏むのだが、あまり効を奏さない。


顔と言葉に関しては至極穏やか温厚である夫であるから、けっして運転中はしたない言葉を発することはない。

最近、モスクワの道路事情の悪さは日本並みである。
ラッシュの時など、ノロノロ運転。

その横をオフロードの4輪駆動車ニーバが、一段上がった歩道の上に乗り上げ車体を斜めにしてシュワーンと通り過ぎるのを見て夫は羨ましがることしきりである。

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