1999年11月19日(金)

ふだん劇場に行く時には、家族みんなで行くものだから、我が家の愛車マドンナちゃんを駆って出かける。
ところが今回、ボリショイの「スパルターク」はドゥニャン一人で行くことになった。だから、家からバス、地下鉄に乗って劇場まで行ったのである。

その日、6時頃、中央に向かう車両は空いていた。お年を召した方達に席をゆずる心配がないくらいである。これは格好の読書タイムと本を広げて、悦に入っていた。
さて、目的の地下鉄に着いて、ボリショイ劇場方面の出口に向かって歩いていた。急ぐ人々もいないので、なんとなくゆったりと歩いていた。

エスカレーターに乗ろうとした時もそんなに人々が押し合うということもなかった。

そこへ突然風のように小さな子どもたちの一団が割り込んで来た。
目の前に5・6人。一番大きくても8歳くらいに見える。それにその年かさの子どもは赤ん坊を布きれで背中にしょっている。
みんな、赤茶けた髪をして、コートすら着ていない。いつ洗ったかわからない髪の毛はモシャモシャと伸び放題になっていた。顔はすすけて薄汚ない。

これは、危ない!一瞬にして、ハンドバックを脇にしっかりと抱え直した時であった。
サっと2・3段エレベーターをのぼった子ども達が、また、わきをすり抜けて今度はエレベーターを降りていく。


駅から外にでてもどうしようもないので、また暖をとるために地下鉄に乗るのだろうと、考えた矢先だった。
2・3段上にいた女性が急に大きな物音を立てて、エレベーターを降り始めた。これもまた無言である。最後の段でエレベーターの動く早さと足の運びのリズムが合わず、つんのめりそうになっていた。

その間、ものの一分もかかっていないであろう。
ふり向くと女性は地下鉄の柱の傍らで呆然と立ち尽くしていた。

モスクワでは、子どものジプシーの集団には注意するようにと、日頃から知人に言われてはいたし、気をつけはしていたが、余りにも見事なその手口、早業に被害に出逢った人は成すすべがないであろう。
後ろから音もなくやってきて、少し油断している相手を見つけてひったくる。
そして被害者が気が付かないうちに子ども達は風のように去って行った。


一昨年、ペテルブルクに行った時、トロリーバスに乗った。その時に二人の女性を伴ったジプシ−たちが乗って来て、彼等に対するロシア人たちの対応が余りに冷たく厳しいのにびっくりしたことがあった。
何人もの人たちがジプシーたちをバスの奥の方まで入れないように、背を向けてしっかりガードをした。怒ったジプシー達は口汚く罵っていたが、成すすべもなかったようだ。ちょうどバスの一番前に一人で座った下の娘を心配したら、横に座っていたロシア人の女性が、娘に被いかぶさるように娘を守ってくれていた。

その時もジプシーの人々に対して、とても複雑な感情を持ったものだが、今回の事件の目撃はある衝撃だった。子ども達が、仕事をしている。
それも強奪、ひったくり、スリなどの犯罪行為を仕事としているのだ。

ロシアになってから、モスクワでは以前程大勢のジプシーを見なくなった。多分、彼等はモスクワ市の施政方針で、モスクワから排除されてしまっているのだろう。
だが、まだここに住む彼等を見て、そのジプシーの子どもたちの服装などから推して、彼等は決してモスクワの市民としての恩恵に預かっていないのがわかる。
市場経済で豊かになった市民が多い中、こうした子ども達がいるということを、排除という方向ではなく、なんとかならないものだろうか、と考えるのは、日本人の甘えであろうか。

ジプシーの人々が小さな子ども達を使ってまで、生き延びることを選択していると考えてもいいのか。
あの子ども達を貧困ゆえに悲惨な状態に置かれていると考えるのは間違っているのかも知れない。
ジプシーの人々の生き方がすこしばかり我々の尺度とは違っていることもあるのだから。

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