1999年12月2日(木)

ロシアの学校では(と一概にくくってしまうのは危険があるかもしれない、 ここロシアには色んな種類の学校があり、決して同じ教材を使っているわけではなく、 学校、教師によって教科の進め方や教材にも差が出来てくる。)、 しょっちゅうカントローリナヤ・ラボータと言って小テストが行われる。
数学あり、地理あり、物理あり、化学ありと大変である。
それも前に書いたように、とにかく覚える、とにかく沢山の問題を解く。
生半可な量ではない。

こんなに沢山の問題ととっても早い進み具合。
日本の学校現場であったら、きっと落ちこぼれ問題が噴出していたに違いない。
ところがここロシアでは父母の会話の中でそんな話は聞いた事がない。
もちろん、どこの国でも同じで子どもの教育に対する関心の度合いが高いのもロシアでも 同じである。

ただ、一部よりすぐりのエリートを育てていく教育に反対するという考えがないのである。
ここロシアの教育は徹底したエリート教育であると、思わざるを得ない。
教科の進路の進め具合は一番出来ると思われる子どもに照準を当てられ、そのこどもを中心に 授業が行われる。
そうした教育に対して積極的な諦めというか、いやより積極的な学校・両親・子どもの中で相互に 了解があるように見受ける。そして、そうした教育の中からは加熱した受験教育などは あまり感じられないし、出来ない子どももさほどそれを苦にしているわけではなさそうだ。

日本のように、大学を目指した一貫教育が行われているわけではない。
もう6年生の時点で自分の子どもは高等教育を受けるか、それとも専門学校に行って技術を 付けるかを見極めている節がある。そしてその技術という部門の中で教育を受ける所をねらう。
皆がみんな大学へ行かなければならないなんて、考えはさらさらないようである。


さて、そうした状況の中、子どもたちの試験に対する姿勢が問われるところである。
カントローリナヤ・ラボータでも子どもたちに課せられる試験の範囲は異常に広い。
例えば、地図帳見開き5ページを完璧暗記していなければ、5(ピッチョールカ)は 取れない。
その他にも数学でも、8年生ともなると抽象度の非常に高い問題が出る。しかも難易度の 点では有名進学校の入試並みの問題である。

そんなものが皆に出来るはずがない(!)。これはいたって自然な真実なのである。
だから、子どもたちはクラスの仲間と落第点をとらないように助け合いをするのだ。

例えば、上の娘は言葉の問題もあって、歴史やロシアの文化という教科が苦手である。
同じ外国人のユーゴスラビアからの転入生ゾーリッツァもしかり。
彼女は、家で勉強と言えば、カンニング・ペーパーを作る事に専念している。
袖口、手のひら、筆箱の奥底、鉛筆の側面。考えられるあらゆる所に次の試験に出そうな 回答を、教科書から丸写ししてくるらしい。

そして、そのカンニング・グッズを見ながら試験を堂々と受ける。

挙げ句の果て、はやばやと答案を出して(モチロン考える事はないし、丸写しするだけで あるから早い!)同じ悩みを持つ友であるなつめに、そのカンニング・グッズを手渡して ウィンクして教室を出て行くのである。

それを知った他の生徒たちが見逃すわけがない!

ブーイングがくるかって??

ブーブー。

違いました。

皆、それを自分に渡してくれと、あのてこの手でなつめに信号を送るのである。
それも一人や二人ではない。クラスのほとんどがそのグッズをアテにしているのだ。
生来、人がよくってオットリしている子以外は、全員落第点2(ドヴォイカ)をとる事を 免れる。
これぞ、ロシアの教育現場なのだ。
先生も見て見ぬふりをしている節もあるらしい。
そんなに沢山の落第者を出したくはないのであろうか。

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