1999年12月20日(月)

エフゲニヤ・ヤーコヴレヴィッチ・ジュガシビリ。
彼はかのスターリンの孫である。

昨日の国会議員選挙に立候補していた。

たまたま日本人の知り合いから声がかかって、12月13日、彼に会いに行く事が出来た。
なんの変哲もないグルジアの人の良さそうなおじさまである。
大きく出っ張ったお腹に横筋が付きながらも上着のボタンが一つきっちりとかけられていた。
かのスターリンの面影を目のなかに宿している。
上背はあまりなく、べったりと梳かされた髪が顔にぴったりと沿っていた。

唐突にドゥニャンはたずねた。
「おじい様であるスターリンに会ったことがありますか。」
この質問には一緒に行っていたヘンヘンが慌てた。歴史的に複雑なその問題に触れない方がよいというのだ。
「いえ、会った事はないのです。」
彼のお母さんがスターリンに殺された人かもしれないし、また2番目の妻ならば、精神病院に入れられ、自殺に追い込まれたのかもしれない。
こんな辛い過去をこの一族は持っているのだ。

異常な心理がこの一族を覆っていた事だろう。
権力の頂点に位置し、したいがままなせるがままに人を殺した独裁者を擁する家族は、息を潜めながら、独裁者の一挙手一投足に神経質に反応していたのだろうか。

「あなたたちスターリンの子孫たちは一同相見える事があるのですか。」
「いいえ、一度もそうしたことはありません。」

その一族の中にはスターリン派もいるだろうし、反スターリン派もいるのであろう。
とことん子孫達をも翻弄した独裁者であった。

スターリンのしたことに対する断罪なり評価は別の専門家の人達にお任せしようと思う。
ただ、このジュガシヴィリさんは、本当に普通の人の良さそうなグルジアの方だったという事をお伝えしたい。
目は栗色で優しい光がたたえられさえしていた。
ただ、選挙前という時が時だけに、すこし神経質になっていたようだったが・・・。

さて、今選挙の結果を見てみると、共産党が25%、第二党の統一党に0・5%の水をあけ勝ったそうである。(開票85%の段階)

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