1月28日(木)
 

ドゥニャンは、いつも不満に思っていた。
何を・・・・。



それは、実はやっぱり、日本人の令ご婦人方についてだ。
(もちろん、その中にはドゥニャンも入っている。)

暇を持て余して、習い事をしたり、遊び惚けたりしているくせに、ボランティア精神に全く欠けて、ロシアで困っている人のためのボランティアをしようという、発想を誰も持たないからだ。



日本のご夫人方は、メイドさんに安い賃金で来てもらったり、ハイヤーを何時間も雇って、どうせお金を払っているんだからと言っては、何時間も待たせたり・・・(2時間で750円ですよ!!)どこへ連れていってもらっても、2時間以内なら750円。しかもどれだけ待ってもらうか、運転手さんに言うことはない。 だって一時間加算するごとに、375円を払えばいいのだから。


ドゥニャンの目には、日本人のご夫人たちは、ロシアの人々に随分お世話になっているように見えて仕方がない。

やはり、どんな形でか、ロシアの人々にお返しは必要であろう。


ところが、彼女たちの目には、困っているロシアの人々のことは映らない。
自分たちの生活をまるで女王さまのごとくに送ることに専念しているからだ。
関心はロシアでの安くつく習い事。そして、掘り出し物探し。




断ってはおくが、ドゥニャンはアメリカを好きだというわけではない!!

しかし、アメリカ人の中には、ボランティア団体を組織して、会社に掛け合い、お金を援助させて、孤児院やその他の福祉施設に、遊具を提供したり、古着を贈る手続きをしたり、孤児院の子どもたちの遊び相手をするなど、様々な形で、ロシアの困っている人々に援助の手を差し伸べようとしている人たちがいる。


それが、彼女たちの自己満足のためであれ、ドゥニャンには日本人の奥様方より、よほど美しく、生き生きと輝いて見えるのだ。


ドゥニャンは、南アフリカの隣人、スーザンに誘われて、そのボランティア団体の人たちの少しでもお手伝いをしようと、事務所を訪ねた。
地下鉄で乗り換え、バスに乗って・・・。


ただ、バスに乗ったのは、たったの一駅だったけど・・・。



そこで、事件は起こった。





ロシアのバスは、チケットに自分で穴を開けて、料金を払うシステムになっている。 だから、時に、ズルをしてそれをしない人もいる。
わたしたちを地下鉄の駅まで迎えに来てくれたアメリカ人とドゥニャンは、昨日、一駅だけだからということと、話に夢中になっていたのとで、たまたまチケットに穴を開けなかった。



すると、交通局の調査員が身分証を提示しながら、バスの出口で、ドゥニャンたちを呼び止めた。



「しまった。」
と、思った。こんなことは始めてだった。どんなことがあっても、ズルはしてはいけないと念じていたドゥニャンだった。



しかし、ドゥニャンは、調査員の胸元をスルリと通りぬけられた。
「ラッキー!!」
恥ずかしくも、そう思った。
スーザンが、
「小さいから、小学生だと思われたのよ。きっと。」(顔を見て判断するわけではない)
と、一緒に喜んで(?)くれた。・・・・念のために言っておくが、スーザンは定期券を持っているので、問題はない。



ところが、例のアメリカ人が、囚われてしまったのだ。彼に・・・。
彼女は、
「たったの一駅じゃない、見逃してよ。わたし、お金を持ってないのよ。」
「いや、駄目だね。」
と、冷たく言い放つ彼に、
「仕方がないじゃない!!財布を持ってないんだから、一駅だけだから、目をつぶって!お願い。ねっ!ネッ!」
しつこいほど、言い募っている。
「10ルーブル、払ってもらおう。」
職務に忠実な調査員は、きっちりしている。



ドゥニャンが二人分のペナルティを払って、放免された。(本当に彼女はお財布を持っていなかった。)





だけど、彼女、わたしたちを迎えに来る時に捕まっていたら、どうしてたんだろう??お財布なしで歩くなんて、モスクワでパスポートなしで歩くのに似てる。
柔軟にして大胆!!このアメリカのお嬢さんには、恐れ入った。彼女は、22・3才のとてもチャーミングな女性だった。


ドゥニャンたち日本人は、それでさえ、モスクワの道を歩くのをビクビクしている。日本人の多くの奥様たちは、自分専用のハイヤーを持っているので、一人で地下鉄にさえ、乗ったことがない。
少しでも危険だと思えることがあると、近づかないのだ。君子(?)危うきに近寄らず・・・。


ただでバスに乗るのは、良くないことだけれど、彼女にすがすがしさを感じたのはなぜだろう。




彼女はモスクワから電車で2時間ほどかかる孤児院へボランティアに、毎週行っている。そこで英語を教えたり、子どもたちと遊んだり、色んな会社を訪問して資金援助を訴えたり、忙しく立ち働いている。
その孤児院では、子どもたちの衣服はみすぼらしく、お茶を飲むカップさえないという。

何か、ドゥニャンにでも出来ることはないかと、模索中である。




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