4月22日(金)

駐ロシア韓国大使、元ソウル大学教授、李仁浩(イ・イノ)先生に会った。 場所は韓国大使館。大使執務室の横の応接室だった。

ロシア人女性の秘書に導かれ、李先生の応接間に通された。
薄いブルーのスーツに身を固め、穏やかな笑顔を向けて、心安く先生はわたしたちを迎えてくださる。
決して派手ではないが、品の良い初老の夫人という感じである。


彼女の専門はロシアの歴史(ロシアのフリーメーソンについての研究で博士号を取られたという)である。夫とロシアの歴史の専門書についての話にまず花が咲いた。
そして今はもっぱら日露戦争時代の外務大臣ヴィッテに興味をいだいていらっしゃるらしい。ヴィッテに関する書物について、いくつかの質問をなさっていた。


夫は、韓国政府は大使としてロシアについての理解が深い李先生を抱くのは素晴らしい、と言った。

確かに、色んなことを両国で決めていく上に双方の歴史的理解は欠かせない。学者に意見を聞くと言うのはもっともな事であると李先生は答えられた。


ただ、大使の仕事は、知的な仕事よりも実務的な事の方が多く、自分には向いていない、先生としては、研究に従事なさっている時の方がずっと楽しい。と、こぼしていらした。
確かに、わたしたちがお会いしているほんの1時間半ほどの間に大使である先生の決定を仰ぎに何度も何度も外交官たちが訪れていた。


しかしながら、夫は、先生を大使に抜擢した金大中政権の韓国の外交政策に期待が持てる、しかもそれが女性であることに韓国の未来の明るさを感じる事が出来ると言った。


すると、李先生は、韓国の大使で女性は彼女一人である事、韓国で女性が議員に立候補しても当の女性たちが、彼女たちを応援しないことなど不満を漏らしていらした。


それはいづこも同じ。日本でも働く女性を応援する事を惜しみ、足を引っ張る人たちもいる。特に極東の国で、同じような儒教文化をベースとする日本でも、男性優位の社会である事は否めない、と伝えると、

でも、日本にはフィンランド、デンマークなど、4カ国に女性大使が女性大使が任命されている。それは、韓国より女性の社会進出がもっと進んでいる事を示していると、言われたが、実のところ、どうであろう。



日本の場合、ロシア大使は、きわめて重要な位置を外務省の中では占めている。アメリカ大使、外務事務次官、そしてその次にロシア大使がヨーロッパ主要国の大使とならんでその次にくる。そうした大切な職務に日本は女性をそして識者を抜擢する事ができるだろうか。
生え抜きの外交官のヒエラルキーの一つの象徴的な位置として、ロシア大使はあるのではないか。だから今まで任命された大使のほとんどはロシアを専門としない者であった。

きっと女性のロシア大使は生まれようがないだろう。しかも北欧に女性大使を持つというのは、日本独特のポーズであるような気がする。


経済面に関しても、韓国でのバブル崩壊とロシアの8月経済危機が重なって、ヨーロッパの企業はもっと活発に、経済活動を行っているのに、韓国企業はロシアからの撤退を余儀なくされていると、嘆かれていた。
日本の企業は危ない橋は渡らない、儲けらなければ、いや、商品が売れなくなった途端、どんどん手を引いていっている。去年の8月以来、ロシアでの日本企業の活動は縮小の一方である。つい2・3年前までは、ロシアは世界最後の企業戦略一級の地であると言われ、多くの日本企業が我先に進出していたという。

大使としての公的な仕事上、韓国経済のことも気になさるのであろう。
もっと韓国企業がアグレッシブに、ロシア経済にくいこみ、お互いの経済力を高めていく事を願ってやまないとおっしゃっていた。


李先生と喋っていると、日本という国が経済的にも政治的にも韓国にとって、大切な国であるということが分かる。そして重要な極東の同胞でありたいし、ロシアとの外交に関しては長い歴史を持つ日本が羨ましいともおっしゃっていた。

日本が、ロシアとの友好関係をもっと深め、お互いを理解しつつ経済的にも発展していくことが、日露関係のみならず、韓国にも少なからず影響を及ぼすことをしみじみ思った。



先生は、大使としてモスクワにやって来て、一番残念な事は、ロシアの人々と直に接する事がほとんど出来ないということだとおっしゃった。研究者として、この国に住んでいた時には、ロシア人のアパートに住み、ロシアの人々とロシア語で話せたものだが、大使としてモスクワに来て以来、ロシア語を使う事はなく、韓国にいるのも同じようなものだそうだ。

そもそも大使館勤務の外務省から派遣されて来た職員たちは、一度もロシア人と生に接する事を持たないで来て、高給を貰い、外国人専用のアパートに住んでいる。これでは両国の橋渡しとなるべき職務を遂行することは絶望的である。
だから、本当は、ロシアとじかに接している点、いや、接せざるをえない状況に置かれている研究者や留学生が大使館の仕事をするにふさわしいと、私は思いますと、言われた。



ロシアは、文化大国である。
そこから、韓国は多く学びたいと、李先生はおっしゃっていた。日本もそうあって欲しいものである。日本の外交官も韓国外交官とほとんど変わりない生活を送っているのだろう。
しかし、こういうことを考える人をトップにいだくのと、日本の内政とアメリカの政策ばかりを気にするトップを持つのとでは、その元で働く人々の意識は自ずと変わっていくのではないか。

わたしは韓国がつくづく羨ましく思えてならなかった。



そして、おいとまごいをする時に、ここで歴史の研究者とコンタクトをとれて、本当に嬉しい、また週末には、時間がとれることもあるので、一緒に博物館や郊外に行ったりしましょうねと、声をかけて下さった。


李先生は、実に率直で暖かく、素敵な方だなぁと、心から思ったのである。


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