6月5日(土)

上の娘が7年生に習った教科は以下の通りである。

数学:代数と図形・ナターリヤ・ニコラエヴナ
英語:アンナ・ミハエロヴナ
フランス語:ガリーナ・ガリゴーリエヴナ
歴史:パーヴェル・パーヴロヴィッチ
地理:マリーナ・ウラジーミロヴナ
生物:ナジェージュダ・ヴァシーリエヴナ
物理:エフゲェーニィ・ニコラエヴナ
ロシア語:ヴィクトル・ユーリエヴィッチ
文学:ヴィクトル・ユーリエヴィッチ
体育:マリーナ・ヴァリェーエヴナ
コンピューター:ピョートル・ペトローヴィッチ

以上、計13教科ある。

9月2日は水曜日、始めての代数の時間があった。娘はこれは分かると手応えを感じたらしい。英語の時間も少しでも分かる単語を拾おうと必死だったようである。
数学と英語の時間には、緊張で体がガクガク震え、手は湿っぽく汗ばんだという。
分かるからこそ、余計に緊張したのだ。

それから1週間ほどして、始めての代数のテストで満点を取って来た。
彼女にとっては、友達から認められる始めの第一歩であった。
確かに最初は、日本で習ってきたことのお浚い程度の問題であった。浅はかなわたしは、日本の数学の教育の程度が高く、外国に行けば数学で泣くことはないと聞いていた、確かにそうであると納得し軽く考えたものである。
ところが、2週間を過ぎ、3週間が過ぎた頃から、いやいや、違うぞ。相手はなかなか手強いぞ、ロシアの中学部の数学の程度は高いと思うようになっていた。
日本では、中学3年、高等学校1年生でやる問題をやっつけてしまうのである。
例えば、指数の問題にしろ、日本では2の3乗はとか、Xの3乗は・・・などというのが、中学の教育課程での上限だろうと思うのだが、2のマイナス6乗はいくつになるかとか、Xの3乗のグラフを表わせなど、凄い問題が出てきはじめたのである。
日本の中学一年生は一元一次方程式で終わってしまう。また、関数にしても一次関数の問題で終わりである。
ロシアでは、瞬く間に高次方程式、難しい高校程度の因数分解が当たり前のように出される。

今、7年生の教科書を見てみると、代数の問題だけでざっと1241問、しかも計算問題がそれに付き6〜8問ずつ出されるのである。
どれもこれもやり遂げた娘である。他の教科にはついていけないと観念したのか、最初の頃、学校から帰ると何時間も数学をやっていた。


もちろん、図形も同時並行に進んで行く。3角形の相似、合同の証明問題から、平行線と角の関係、円と接線のところまでいった。
図形の用語が分かるようになるまでには、娘にとってはかなりの時間がかかった。辞書の助けなしに、解けるようになるまでには、4・5ヶ月かかっている。



娘の数学の先生、ナターリヤ・ニコラエヴナは手厳しいので有名な先生である。10月始めての父母会で、担任の先生から、ナターリヤ・ニコラエヴナに厳しいことを言われてもそんなに気にしないように・・と、一言注意があったくらいである。

数学に弱いイーゴリには特に厳しく、やって来た宿題が真剣にやっていないとノートを破られたり、自信なくノートの切れ端に書いた回答を見て、トイレット・ペーパーに宿題をしないで下さいというとか、ナターリヤ・ニコラエヴナの手厳しさは評判であった。 ロシアでは、どんなテストでも皆の前で成績を公表する。
だからこそ余計に、日本人の娘にとっては手厳しく感じたのであるが、この間の試験の時など、早い目に口頭試問を受けに行ったサーシャは、
「あなたが試験の用意が出来たと早めに試験を受けることを許したことを後悔しています。それを許した自分を怒っています。」
と、公然と言い放ってしまうのだ。
ナターリヤ・ニコラエヴナの宿題の多さも定評である。しかし、どんなに量が多くても生徒のノートをきちんと次の日までには見てきて、細かく書き込みがしてある。これには頭がさがった。
「わたしたちに宿題を出せば、出すほど自分の首を絞めるようなものなのに、よく頑張るよ、ナターリヤ・ニコラエヴナは。わたしは尊敬するな。」
とうとう、4月頃には娘にこう言わしめていたほどだった。



英語は、なつめたちの学校1741番校では、小学2年生から始まる。英語特別校と同じようなカリキュラムを組んでいるのである。しかもなつめたちの学校では、クラス30人、半分に分けて外国語の授業が行われる。
それを知らなかったなつめは始めての外国語の授業の時、クラスの女の子のオシリにくっついて歩いていった。そこにはなつめの席はなかった。何も分からずに呆然としていると、クラスの一人の男の子が
「君のクラスはここじゃないんだよ。」
と言って、わざわざ別の教室まで連れていってくれたそうだ。
しかしながら、外国語の授業を一クラス15人でやるというのは、日本から比べると随分贅沢な環境である。羨ましいかぎりだ。ロシアはこんなところでも教育にお金をケチらない。教育に公的なお金がかかって当然であるという考えである。
もちろん、言うまでもなくクラスは30人以内。それ以上になると、法律が許さなくなる。

でも普通のロシアの学校は6年生から始まるものであると聞いている。
なつめは1741番校では5年のハンディを以って英語に臨んだことになる。
数学と同じようにとことん細かい文法の練習問題と、結構長い長文読解が中心である。
日本の中学校で1学期しかしていないなつめにとっては、皆のレベルについていくまでには相当の努力が必要だった。
まず、ボキャボラリーの量が違うのである。
毎日毎日、英単語を調べること、そしてそれを文法を説明しているロシア語の単語を調べることに明け暮れていた。
だけど彼女は自分で出来ることは自分でやる!と、決めていたから、わたしたちには英語の問題を聞きに来たことはなかった。
最後の試験問題、「トム・ソーヤの冒険」を読んで訳が分からなかったところを聞きに来たくらいだった。

今、考えてみると、わたしたちはあまりにも放任の親であり過ぎたんではないのかと、反省が生まれる。「やれば出来る」なんて安易になつめに言い放ったのは、いかにも冷たいし、責任逃れだったかと、不憫がかかる。
英語くらいは皆のように分かるようになりたいと、12月頃になっても、英語の時間だけは体が震えると言っていた娘を思い出す。
それにしても、よく頑張ったものである。結局、なつめは英語も満点で進級試験を終えたのである。

なつめをここまで引っ張ってくださった先生にいくら感謝してもしきれないものと思っている。

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