1999年8月17日(火)

チャイコフスキーの家はクリンという町にある。

その家はペテルブルクへと繋がる街道に沿った小さな林の奥深くある。
煉瓦作りの何の変哲もない音楽ホールを抜けると、弧になった小さな小道がチャイコフスキーが住んだ家へと繋がっている。
煉瓦造りのホールとは全く異質な空間となる。

木々の合間から、出窓やテラスがあり美しく飾られた窓のあるブルーグレーに塗られた2階建てのかなり大きな家が見えてくる。屋根や窓枠は白く塗られ、美しいたたずまいだ。

その家はライム、白樺、ライラックなどの木々の緑に抱かれている。
木々の周りには小さな茂みが絶妙の具合に配置され、芝生の鮮やかな緑と花々の美しく光りに照り映えること。全てが透明に輝き、すずかけの小枝が優しく垂れ下がる。絵に
描かれたような静かで落ち着いたこの世ならぬ美しさと調和が醸し出される。


チャイコフスキーは朝ご飯を食べ、お茶を喫んだあと親しい人々とこの庭と庭から広がる自然の公園の中を1時間散歩した。そして夕方、曲の着想を練るために何時間もここら辺りを散策したという。

確かに夏もまだ始まらないころ、すみれや忘れな草が優しい色をそっとまだ浅い緑の中から差し出してくれるその姿はあのロマンチックな優しさのあるフレーズをうみだすにはもってこいだったかもしれない。

そして夏の照る付ける太陽の中、歩いていると突然、空気が重く邪悪なものと変わり、暗い雲が空一杯に広がり、遮られた太陽の光は寄る辺なく、憂鬱な昼下がりの嵐となる。 木々のそれまでの親しさや優しさとは裏腹に、なんとも言えないよそよそしい凶暴な自然が襲い掛かってくる。

急いで食堂に繋がるテラスへ駆け込んで帰って来ても、そこは元のような優しい光をなげかけ、静かにお茶を飲んでいられるなくなっている。
稲妻は天が裂けるかと思われるばかりにその手を伸ばし、木々を激しく揺さぶる。 重い雨をかぶった小枝は、その葉に豪雨を溜めながら、垂れて耐える他ない。


8月に入ると実に憂鬱に細い雨が終日降る。
外の木々はみずみずしさを失い、先の方から色が抜けはじめる。
心細い薄ら寒さが部屋部屋に忍び寄る。いつ果てるともなく心淋しい夏の終わりの日々。
不思議なことにそんな暗さがぴったりと影のように付きまとう作曲家のリビング・ルームにはグランド・ピアノが置かれその横には大きな仕事机が置かれていた。
そのグランド・ピアノで、多くの曲が産み出された。

居間は30畳は有にあろうか。モーツァルトの全曲集が入れられた書架。深いソファ。
親しい人々の写真が壁に沢山掲げられ、しんとした落ち着きの中で、そんな日にチャイコフスキーは作曲にいそしんだのであろう。


作曲家の息吹が伝わってくるような自然と室内であった。
ゆったりとした仕事部屋には時には冬の寒い日、兄弟たち一家が訪れ、子どもたちの軽やかな足音がそこここに響き渡ったに違いない。
親しい知人が来て、泊まっていくこぎれいな客間が、チャイコフスキーの仕事部屋の隣りに2部屋あった。

孤独と交わり。
平和な日常。
そして目に見えて変わり行くロシアの大自然。
チャイコフスキーが共にそこで生き、感じ、そして偉大な仕事をしたことを忍ばせる雰囲気のある家だった。
チャイコフスキーは、どこへ演奏旅行に出かけてもこの家をこよなく愛したという。

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