1999年9月23日(水)

国際学会は帝政期第二国会の議員を勤め、1917年革命後は亡命してチェコスロヴァキアで死んだ著名な歴史学・統計学・経済学者であったクバン地方出身のシェルビナの生誕150年を記念して、クラスノダール近郊の小さな町、カナーエヴォで行われた。

近郊といってもその町はクラスノダールからバスで3時間。
すぐさま、学会一行はニーバと言うホテルに連れて行かれた。夕方6時30分。ホテルにはレストランはない。
皆で町にその夜の糧を買い出しにでる。

夫をこの国際学会に招いてくださったクバン大学助教授であるアレックさんとその妻のタチアナさんが細かく世話を見てくださる。

ホテルはもちろん典型的ロシア人用ホテル。
バスタブはあるが、栓がない。つまりお風呂があってもお風呂に入れないわけだ。
その上、水は強烈な硫黄泉の臭いがする。ドゥニャンにとっては、これでお肌が白くなりますわ。みたいな喜びがあるが、子どもたちにとって、この卵の腐ったような臭いは耐えられないらしい。
「どうやって歯を磨くの。」
下の娘が情けない声を上げる。
「平気、死なないから。お肌にいいんだよぉ。温泉と思ってブクブクをすればイイノよ。」
「ママは温泉に入ったことがあるかもしれないけど、びーびーはまだ温泉に行ったことがないから駄目だよ。温泉ってどんな物か知らないヨぉ。」
確かに、わたしたち夫婦は自分たちの快楽追求に熱心なあまり、子どもたちを温泉にも連れていったことがないし、下の娘など海水浴もしたことがない。
海を知らないのだ。

それはともかくこの臭いの水を口に含むのは、夫、子どもたちいずれも大変いやな様子。

それよりドゥニャンがいやなのは、ベッドである。妙なスプリング。チクチクと刺すような固い毛の毛布。シーツはきれいに洗ってはいるが、古くって薄くなっている。なるべく素肌には毛布や枕が当たらないように工夫をしながら寝る。
しかし、子どもたちや夫にとってそれは平気であるらしい。

人によって神経質になる部分が違う。



アレックが、先ほど買って来たチーズやハムやパンなどをおかずにとにかく一緒に夕食を食べようと言うので、アレックの部屋にいくが、アレックはいなくなっていた。
隣りの部屋で仲間が集まって食事(?)と言うことになったらしい。
15人ほどの歴史家たちがその6畳にも満たない部屋に集まって来た。手に手に自分が買って来た何がしかの食べ物を携えて・・。もちろん、必携はヴォトカである。
その夜、買って来た酢漬けのキュウリやチーズ・ハムで大宴会となる。

アレックは一見とても冷徹そうな顔をしている。真面目一途な研究者という風情なのだが、蓋を開けてみると、大違い。
妻のタチアナさんを放っておいて、関係のない女性とニタニタ笑いながら、ウォトカをじゃんじゃん勧めている。
タチアナさんはウォトカは駄目なんだよ。と言いながら。タチアナさんがなすこともなくじっと座っていると、時々、サービスに彼女の肩に手をかけたり、腰に手を回したり・・。
でも・・・。
実際、彼の頭のメインを占めているのは、周りにいる面白い冗談を言ったり軽口を叩いたりする仲間なのだ。
これは男の風上にも置けない。
勝手な奴だ。


こんな夫にならないようにヘンヘンには充分、彼を反面教師にするようにと、注意しておいた。


翌日には学会があって、発表を控えている人たちもいると言うのにお構いなし。
そのささやかな大宴会は早朝まで続けられたという。子どもたちを連れてきている私たちは、早々に退散した。


明くる朝、8時30分にはホテルを出発、学会会場にバスで移動した。その会場で朝食をいただくが、立派なホールに食堂である。(美味しいオープンサンドにクリームのたっぷり入ったお菓子やパイなどがテーブルの上に山盛りにされていた。そして熱い紅茶。) このような小さな町にこんな立派な公共施設があるとは・・・・。ソ連時代の威光が忍ばれる。

学会の発表を聞いていても何も分からない。でも壇上に立つ夫の発表を一目見ようと、ずっとお付き合いしていた。

昼からは分科会。もっと小さな町にある小学校を借りて行われた。

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