1999年9月24日(木)

国際学会第4日目は、シェルビナを忍んでシェルビナ生誕の地、ノボデェレビャンコフスカヤ村に行った。
校門の前で大きなパンを麻の布にのせた民族衣装を着た女の人と塩を持つ人が、ロシアの歓迎の型通りに待っていた。
その村の小さな小学校の講堂で、学校と村を挙げての歓迎会。

子どもたちは覚えさせられた歓迎の辞を懸命にマイクに向かって言っている。どの子もこの子も一番のよそいきを着せられて頑張っている。

歓迎式典が終わった後、校庭へと向かった。そこでは村の正教司祭様が待っていて、シェルビナの記念碑を囲んで村人たちが続々と集まって来ていた。
赤銅色に日焼けしたおばあさん。紫色に真っ赤な花のプラトークをぴっちりと頭に巻いた大きなお母さん。
子どもたちは何が起こるのだろうと、目をキョロキョロさせて辺りを見回している。

でも時々、こんな片田舎にどうしてこんなに美しい人が・・・。というほど、スタイル・顔ともに信じられないほど整った品のいい女性がいる。
日本に来ていたら一躍テレビで活躍していたに違いない。

ボゥーと何が起こるのかと、村の人たちに混じって待っていたら、司祭様の朗々としたお祈りの声が聞こえてくる。それはあた
かも声明を聞くようで、とても神聖な感じである。
その合間に5人ほどの女性コーラス隊が入る。

外で歌を歌っているとは思えないほど、くぐもったようなそれでいて澄んだ歌声が響き渡る。
司祭様はお香の入った器を振って、周りの人々を祝福していく。正教風に十字架を切ってその祝福に応える。
正教の儀式をはじめて経験。


シェルビナを記念して、村で功績者をたたえて、表彰が行われた。もちろん賞状とメダルが副知事でもありコサックの頭領でもあるグローモフさんから渡される。
テレビカメラとラジオ局、地元の新聞社のカメラなど一斉にフラッシュがたかれる。


ヘンヘンはテレビ局・ラジオ、新聞社からも取材を受けた。
なかなかの有名人ぶりである。

さて、全ての式典が終わった後、

ドゥニャンたちは子どもたちに囲まれてしまった。
小さな紙切れやノートを持って来てはサインが欲しいと言われる。
次々に差し出される紙に必死で応戦するドゥニャン。

ドゥニャンだけかと思いきや、ヘンヘンも子どもたちもサイン攻めにあっている。

ロシア語で書くと時間がかかるので、日本語で書いてみた。
するとそれが効を奏したのか、もっともっと沢山の子どもたちが群がってくる。

「楽しいのが一番です!!」

思いっきり同じ文句を書く。
すると、小学校の先生らしき人から、本が差し出される。
「ここにサインを下さい。日本語で長いのをお願いします。」
という。
エッ〜〜〜。
先生にまで・・・。

大丈夫かな。ドゥニャンは乗りに乗っていた。
乗りまくっていた。

どういう訳か、人の顔も確認せずに何十と書くサイン。求められるもののキモチが よ〜〜〜く分かる。

「もう、バスに乗る時間なので・・・。」
アイドルを追いかけるファンを制するように、一緒に来たアレックやタチアナさんがサインを求めてたむろする人たちを、わたしたちから引き離していく。
バスの中に乗っても、まだノートが差し出される。握手が求められる。


きゃーーー!!

(うれしはずかし)

へんちくりんな経験だった。(あれは一体まぼろしか・・・・)

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