2000年1月1日(土)

お正月お迎え作戦は、隣りのアミール一家とドゥニャン一家とで念入りに10月終わり頃から練られていた。
アイーダとドゥニャンは30日の日からもうお正月料理の調理に明け暮れていた。
時々、隣りが何を作っているのか、お互いに意識しながら・・・。
お茶と称して、時には敵状視察。
アイーダもどんなものを作っているのかは、はっきり言わない。
ドゥニャンは散らし寿司を作る事は公言していた。
なぜかと言うと、アミール達の上のお嬢さんジナーラがちらし寿司が大好きだというのである。
「絶対に作ってあげるね。」
これがかねての約束事であった。

大豆の煮物、ロースト・ビーフ、白菜のサラダにちらし、大根なますなどの日本のお正月料理。それにネットで知り合ったSatomiさんに教えてもらったジンジャーケーキなどなどお皿に料理が盛り上がったのは1999年12月31日午後5時過ぎ。
日本の新年はもうそろそろ・・。
紅白も終わりに近づき、チビリちびりとお澗にしたお酒を飲んでいらした方達も多かったのではないか。
それでは、日本の2000年を祝おう!と、いうことで6時5分前にうちで集まる事になった。
6時かっきりにソビエツコエ・シャンパンスコエがパーンと景気良く抜かれ、
「日本の新年おめでとう!!」
が始まった。
大瓶のウォトカも開けられた。
1・5リットルをアミールとヘンヘンで飲んでしまうという凄まじさ。
恒例に習って、グラスが空くたびに乾杯する。それも必ず何のための乾杯かを言って・・。
まずは、もちろん、アイーダとドゥニャンの若さ、美しさに乾杯。1999年何事もなかった事に乾杯。2000年に乾杯。日本とロシアに乾杯。子どもたちに乾杯。エリツィンご苦労様に乾杯。優しい男達に乾杯。両親に乾杯。隣同士に乾杯。プーチンを期待して乾杯。 ス・スーとウォトカの盃が空けられていく。
凄い飲みっぷり。
食べる方も負けてはいない。


9時前、これからしばし休憩をして、その後ロシアの新年をアミールの家で祝うために11時半にもう一度会おう!と、いうことになっていた。

楽しみの食事だが、2時間の休憩ではまだ胃の中は満杯。首までアルコール漬になっている。
一旦寝てしまったのに起きるのは辛い。
しかし、これも約束。どうしてもロシアの新年を祝いに隣りに足を運ばなければならない。アイーダの力のこもった料理にも気の毒だ。

一張羅の洋服を着て、お隣りに出かけるが、どうも気焔が上がらないヘンヘンとドゥニャン。子どもたちは寝てしまっていて、声をかけても起きない。
うちとお隣りはちょうど子どものバランスも取れているのだ。
上のお嬢さんのジナーラが16歳、下のお嬢さんイルミーラが10歳。イルミーラはびーびーと一緒にロシア製のクラッカーをはじけさせようと待っているのに、びーびーはなかなか来ない。

それなのにお料理は待っている。
2種類のホロジェッツ。牛骨をコトコトと一晩中火にかけ、あくをとり、肉や野菜を入れたゼリー寄せ。(これはとっても手がかかっている。)
セリョートカ・ポッド・シューボイ。じゃがいものピューレに鰊のマリネを重ねてその上にマヨネーズ和えのビーツサラダを乗せたようなもの。 オリビエ・サラダ。
カニ棒の入った卵サラダ。
サツィビ(グルジアの料理、蒸した鳥の上に色んなハーブを入れたくるみソースがかかったもの。)
それにアミールお得意の馬肉のサラミ・ソーセージ。
所狭しと並んだ料理たち。
どれもこれも美味しいのだが・・・。
どうしてもお腹が受け付けない。2口3口食べると、もう、口が大きく開かなくなっちゃうのだ。

それが・・・。
アミール・アイーダ一家は、何でもないと言う風にいくらでも食べているし、0時に抜いたシャンペンもウォトカもしっかり飲んでいる。
ヘンヘンは午前1時頃、もうこれ以上食べられない!飲めないとうなり出す。
まだ、新年会が始まってたったの1時間、アイーダに悪いではないかと思い、ドゥニャンは無理して、いろいろと口に運んではみるが、そのスピードたるや、亀の歩み。いや亀ののろい。
午前2時に別のアミールの友達が来て、ドゥニャンは30分ほどしてお暇した。
ホっとした瞬間であった。

しかし、アミール一家はそれからエンエン午前5時まで、飲み食いを続けていたと言う。
なんと凄いエネルギー。
なんとあっぱれな食欲。

今年もアミール一家にとって幸多からん事を!!
(そしてドゥニャン一家も・・ネ!)

次へ
モスクワ日記の表紙へ
ホームへ戻る