2000年1月9日(日)


今日こそは今日こそは芸術品を見なければ、ルネッサンス発祥の地に笑われる。
そうでしょう??
イタリアの芸術に浸ってこそのフィレンツェではありませんか。

やってきました。
ウフィッツィ美術館。
並ぶ事30分。

しかし、ドゥニャンと子どもたちは落ち着きがない。
売店が私達を呼んでいる。

きれいなフェラガモのスカーフや美術品を模した可愛いグッズ達。
舞い上がってしまう。一人ヘンヘンを行列に残して、ピョンピョン売店を飛び回る。

これもあれもそれもどれも買いたい。
素敵なものがあると、いちいちヘンヘンに報告に行く。
前後に並んでいた日本人の人達やガイジンさんたちにおかしな目で見られる。
鬱陶しいとおもわれていたのかもしれない。
ごめんなさい。でもモスクワからやって来たお上りさんの私達はきれいなもの可愛いもの素敵なデザインに飢えていたんです。


そんなこんなで結構運動をした私達。
結構前日の12時までかかってしまったテンダ・ロッサが効いている。
展示室に入るや否や、なんだか疲れてくる。
ラファエロはまだか、ボッティチェリはまだかいな。
もう有名所しか見る気はなくなってしまっている。

取りあえず、ボッティチェリの間に到着。

ホォー。

この「ビーナスの誕生」と「春」を見る。
昔読んだ本の中で、辻邦夫がとことん褒めていたのでどうしても見てみたかった。
独特の表情とちょっとエキゾチックなアーモンドアイズのビーナス。美しい大理石のようなつややかな白い肌の雰囲気。そして風になびくブロンドの髪。美しいのは今誕生したビーナスに纏わせようとするあの花柄のついた布である。
なんともロマンチックな色と柄である。
「春」に関してもそうだが、ボッティチェリの作品は、人の無垢さと美しさ、無関心な冷たさと気品が同居している。
それが奥に深いものであるのかどうかはわからないが、とにかく他のイタリア人をモデルとした作品とは全く違ったものであるのには間違いがない。

長い間、そのボッティチェリの部屋に居る。
疲れては座り、立って見てはまた座るということを繰り返す。

さあ!別の部屋に行きましょうということになった時点で、びーびー陥没。
疲れ切ってもう歩けない!という。
結局、この美術館もこれだけでおしまい。他のはさっと通り過ぎただけで印象に残るほど丁寧に見なかった。

美術館を出たら、またお腹がすいた。
ミシュランに出ていたイル・カンティーニというレストランに入る。
ポテト、ロースト・ビーフ、スパゲッティ・ボロネーズとペンネ。
トスカーナ地方の有名なお豆の煮込みも食べる。
お豆のスープも頼む。
ヘンヘンも2品は食べたが、彼が何を食べたかは忘れた。
それにデザートではティラミスを食べる。
上に書いたのはドゥニャンが頼んだもの。そしてパスタは子どもたち。
4品も頼んで一人で食べて、まだまだ足りない顔をしていたのか、隣りに座ったイタリア人がステーキを食べてみなさい!とドゥニャンに勧めてくれるので、断れない。
それにポテトも食べろと聞かない。

仕方がないですなぁ。
(嘘です。)
彼らが食べているものを試してみたかったのが、国際共通語である表情というものに書いてあったのだろう。
色んな物を食べられて満足してレストランを出た。

ここでもしこたまワインを飲んだドゥニャン。
ホテルに帰りたくなる。
そして、お昼寝。

子どもたちとヘンヘンはどこかにお散歩に行ってしまった。


夜は駅前のピッツェリアで面倒くさくなったので、色んなピッツァやパスタ、サラダを頼んでお持ち帰りにした。

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