2000年2月13日(日)

2月7日は始めての授業だった。
学生さんたちの日本語の能力はどれくらいなのか皆目見当もつかない。
月曜日と火曜日は2年生、金曜日は1年生を教えるという。

私を推薦して下さったステラ・アルチェメェーヴナ先生の話によると、1クラス5・6人の構成であるという。10人以上の会話のクラスは作らないのだそうだ。
大勢の学生に会話を教えるのはナンセンスなのだ。それでは勉強にはならない。
どうしても小人数単位のクラス構成が必要なのだ。
日本の外国語学習の際、そのようなことを考慮に入れられているのかなぁと、ふと日本の高等教育の場での実態が気になった。
ロシアは貧しいと言われるが、どっこいそうではない!
前に、上の娘の外国語学習の時、クラス30名を半分に分ける事を書いたが、大学ではもっと徹底しているわけだ。
だけど大学の教員の給料は一単位120ルーブル。一単位を2時間で構成するからもしかしたら一時間60ルーブル(240円)。
でも先生は手を抜かない。
ステラ・アルチェメェーヴナ先生の日本語は非常に品が良い。
「日本に行った事がありますか。」
と、たずねると
「東海大学に10回ほど行った事がありますよ。日本で行った事がないのは沖縄と四国だけですの。」
と、おっしゃった。
きちんとした敬語ときれいな発音。ちょっと言葉を選ぶように話されるが、それが上品さを余計強調するのかもしれない。


月曜日に来たのはアンナ、ターニャ、ナターシャの3人。
その内2人は25歳、店で働いた経験もある。それだけになんだか落ち着いている。
火曜日の授業ではもう7歳の子どもをもつ女性もいた。この日も学生は3人。
大学生といっても色々なのだ。
みんなちゃんと自分で作った過去(!)を背負っている。
日本の学生のように同い年に同じことをするというわけではなさそうである。日本の大学生が浪人するのは別として他の人生経験を積まずに即大学に入学するのとわけがちがうようだ。

2年生の学生達はテキストに決めた「ちびまるこ」ちゃんをちゃんと理解できる読解能力を持つ。
彼女たちが日本語をしているのはたったの1年と3ヶ月。
ただ、話をする時、
「ワタクシは、ニホンゴをもっともっと学びたいデス。ニホンのケイゼイのことに興味持っています。しかし、ニホンゴをハナスことは上手ではアリマセン。」」
みたいな教科書的話し方をする。

だからドゥニャンは思った。
皆に「だけどぉ!」という言葉を教えなくてはならない!

だって、話をしている時に日本人は「しかし」とは決して言わないだろう。
だけどぉ・・・ってことになる。


月曜日の学生達の中の2人は日本に行った経験がある。
そこで日本をどう思うか月並みな質問をしてみた。
2人は一様に経済的に発達した国です。という。
しかし、ドゥニャンとしては、どうしてもうなずきかねる所がある。
「だけど、日本にはダーチャもないし、長い夏休みもない。自給自足ができない国なんだよ。子どもたちはいっぱいおもちゃを持っていて、豊かに一見みえるかもしれないけど、森の中や泥まみれになって遊ぶことができないわ。」

「チガイマス。ロシアは貧乏です。車もない。お給料も低い。」
「ダーチャがあるのが凄い!!と思わない??」
「ダーチャァ、あんなところ、冬のための食べ物を作って、毎日働く所デス。それはユタカなのではナイ、ただ必要なノデス。それにダーチャを持っていない人は大勢イマス。」
「でも親戚でダーチャを持って入る人がいたら、皆そこにいくんじゃないの?」
「それはソウデス。」
「しかしそれはそうしないといけないからです。」
「でもロシアの人達はダーチャを大好きよ。日本にはないものだわ。それに森もない。日本は公共料金がとっても高いし・・・困ったなぁ。とにかく日本人は自分達のことをあまり豊かって思ってないのよ。」
「日本人はきれいな小さな家に住んでいマス。」
「そうかな??ロシアの人もきれいにリフォームされた心地よい家に住んでいるわ。」
「先生(?と、呼ばれしばし絶句するドゥニャン。だって・・・はずかしいんだもん)は、モスクワのことだけしか知りません。モスクワは一つの別の国です。ロシアではありません。」
「あら、モスクワの外の町ではそんなに貧しい人達がおおぜいいるのかしら?」
ドゥニャンがモスクワ以外の町に行ったのはクラスノダールとモスクワ郊外のオーブニンスク、セルギエフ・パサート、シャトゥーラなどであるが、垣間見た人々の生活は決して貧しいというのではなかった。ただ、自給自足が原則であるかもしれない。
毎日ボルシチなどのスープを食べて、肉を少し食べる。そしてパンや塩、砂糖などの調味料そしてちょっとした嗜好品を近くの店で買う。外国製品などは高すぎて食卓に上らないかもしれないが、ロシア人の舌に合う美味しい(ちょっと甘すぎる)お菓子がたくさんある。
毎日の生活の中での変化は乏しいかもしれない。しかし生きるという意味では貧しいと言えるのだろうか。
贅沢とはかけ離れた生活かもしれないが、その中に息づくなにかどうしてもドンとして動かし得ない大切なものがロシアの暮らしの中にはあるような気がしてならない。 夏の間に仕込んだ漬物やジャムなどを冬に食べるのがロシア人の生活の基本なのだが、それがドゥニャンとしてはうらやましくって仕方がない。
たっぷりとある色んな種類のベリーのジャム。それを仕込む時の楽しさ。喜び。
そりゃぁそんな仕事が嫌いな人も大勢いるかも知れないが、ロシア人の大方は、ダーチャで取れたキュウリのピクルスや夏の間に作ったジャム、それにトマトなどの煮込みを出して来ては自慢げに披露してくれる。
「いいなぁ。うらやましいなぁ。」
と、指をくわえてその瓶詰めたちが並んでいる戸棚を眺めるのはいつもながらドゥニャンの役である。

「給料ははらわれません。困ります。アネクドート(ちょっと皮肉な笑い話)があります。
ある村で死体清拭の仕事をする人達がいた。その人達は給料の遅配に文句を言った。 一体、二体、そして三体拭いた。三体目は持って帰りなさい。あなたたちのものだ。(ロシア語)
っていうのです。」
なるほど、確かにそんな面もあるのは事実。だけどぉ!!ドゥニャンはまだ思っている。
ロシアは本質的にとっても豊かな国なんだって・・・。
説明はできないが、どうしてもどうしてもどうしても日本と比べると大した国なのだ。

「外国に行く人は少ない。」
まぁそうなのかぁ。
でも、それはドゥニャンの思っている豊かさの指標とは違うみたいだ。


また、このトピックスで話してみようかな。でも話は永遠に平行線をたどるものかもしれない。
なぜかというと、この若い学生さんたちは皆、憧れと夢を日本に託しているんだから。
エキゾチックな文化を持ち、高度に経済発展し、人々がとてもディーセントに暮す不思議な調和をもった国がニホンであるのだから・・・。

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