2000年2月23日(水)

ドゥニャンはなかなか悪戦苦闘している。
各授業に出てくる学生は平均して4・5人。
その4・5人の日本語到達レベルがまちまちなのである。
ドゥニャンが何を言っているのかほとんどわからない学生。良く分かっているが、喋るともたつく人。
まあ、これなどは何とかゆるせよう。

ロシアの学生は、日本の学生と同じようにシャイである!!
真面目に授業に出てきても、自分からほとんど話そうとしない。
何としてでも話そうという気力があり、骨のある学生が少ない。
これが一番の難問なのだ。


ロシアの親たちは子どもたちに至れり尽くせりの世話をする。
例えば、小学校3年生の子どもにでもコートのボタンをかけてやったり、帽子の紐を結んでやったりと可愛がる事可愛がる事。もちろんそれに対しては異論はない。
ドゥニャンだって、下の娘には信じられないような過保護な処置を毎日している。

だが、ロシアの子どもたちは親の前(?)では、いい子である事を絶え間なくしつけられる。自分で何かを勝ち取っていくという風には育ちにくいのかもしれない。
家で大きな声を立てると行儀が悪いといっては叱られているのを目にするのもしばしば・・・。
ただ、それが一種のおっとりとした、穏やかな性格作りに繋がっている事は確からしい。



大学生にもなって、「宿題はどうすればいいのでしょうか。」
と、来た。
ドゥニャンはびっくりした。

なんと言っても大学で宿題というものを出された事がないし・・・学生達が宿題を要求するなんてことを考えた事がなかったから・・・。

もしかしたら、この学生達は特別に可愛がられて大きくなって来たのかもしれない。
とにかく、受け身の立場を崩さない。ただ一人アメリカの高校へ交換留学した事のある学生が良く喋るし、質問もよくする。
どんなにせよ、これくらいのヴァイタリティーが欲しい。

それにしても東洋学研究所所属の大学部門は授業料が高い。
年間2000ドル。両親の給料を聞いてみると、ある者は1000ルーブル(4000円)。別の人は2000ルーブルだという。
どうやって親御さん達はお金を工面しているのだろう。
その上、なぜかわからないが、アパートを自分で借りている学生も多い。
この費用はどうなっているのだろうか。特に働いた事のない学生がこの物価の高いモスクワで一人住まいをしているケースが多いのだ。

結婚している学生にしても子どもを持っている学生にしても親掛かりというケースばかりだ。
ドゥニャンの少ない学生で皆を推して知るべきではないが、学生の子どもの面倒を見るのは自分の両親なり、配偶者の両親である。
そしてモチロン、その両親が子どもに対して過保護すぎるという不満を持っている所が面白い。自分だって、過保護にされているだろう!!と、ドゥニャンなんかは思ってしまう。

形に添って与えられたものを記憶し、知識として蓄積していくのは、ロシアの学生はとても得意かもしれない。しかし、なにか学生であることの伸びやかさに欠けていると、感じるのはドゥニャンの教師としての至らなさか・・・。

もっともっと、学生さんたちが自分で知りたい事を話せる(それはどんなに拙くても・・・)環境にしていきたい。そしてそれから出てくる対話の楽しさを味わってみたい。
どんな授業にするか、毎回が悩みの種でもある。それだからこそ、余計に皆の興味を引き出してみたい!そして皆の中に入っていきたい!

色々模索中のドゥニャンである。

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