2000年6月24日(土)

ボリショイソリストである岩田守弘さんの舞台をご覧になった方もいるかもしれない。
彼の舞台はいつも真剣勝負だ。どんな役でもどんな時にも決して力を抜くことがない。
短身ではあるが、幅の広いジャンプ。早く力強い回転。
そして、役への素晴らしい理解力。
その芸術性は国境を越えて、バレエ芸術という世界の中で普遍的に花ひらいている。

舞台に見る岩田さんは、力の塊のようでもある。その中に優しさ、敏捷さ、華麗さを併せ持っている。私達にとっては、遠いスター。

日本へ帰れば、彼は一躍日本バレエ界を担う大物であろう。
色んな国際コンクールで賞をとり、日本でも文部大臣賞までとっている方である。

その人がうちへ2度遊びに来て下さった。前回は妻のオーリャ(ロシアバレエ団のバレエリーナ)さんとともに・・。
ご夫婦は静かな優しさをたたえた雰囲気を持っている。二人には特別なことをしていますという気負いは全く感じられない。
ただ単なる仲の良い普通のそっと慎ましやかなご夫妻である。
そして今回はオーリャさんが海外公演ということで、お一人で。

岩田さんのお顔を拝見していて、まず心を打たれるのは、その純粋で無垢な目の光である。
あんな透明な優しさをたたえた目を、わたしはまず見たことがない。
彼と一緒に時間を過ごしている間中、私達には何がしかの静かなエネルギーが分け与えられる。
本当に静かに静かに、そのエネルギーが心の中に沁みこみ、それが幸せなかげろうとなって充たしてくれる。
語る言葉も優しく、控えめで、なんともいえないユーモアまで湛えられている。

この力は何なんだろうと、わたしは自問する。

それは、彼の芸術に対するすざまじいほどの切磋琢磨の結果ではないのだろうか。
彼にとっては自己アピールをするような派手なバレエを終始、技術力で出し続けることも容易なことであろう。しかし、それをあえて彼はしない。
心の奥に存在する静かな「何か」とバレエを通じて対面すること。そしてそれを観客と分かち合うことを仕事なのである。
芸術。それこそが彼にとっての目標且つ全存在を賭けての価値なのだ。
それ以外のことは見られない。

そして、その真剣な眼差しとバレエに対する日ごろの研鑚が彼独特の軽やかで、しかも大きなバレエとなって観客に伝わってくるのである。

そんな彼にも、悩みがある。
最近、彼の与えられる役柄は目に見えて少なくなって来ているのである。
そのことを岩田さんが私達に語った時、淋しく悲しい光があの美しい目に宿った。どんなに苦しい立場に追いやられているか。その目の光をもって、私達は推し量ったのである。

表現するべき物を彼は十分に持っている。しかもそれを表現する技術も・・・。
それなのにその場が与えられない。ジレンマは大きいであろう。
踊りたい!この気持ちが押さえ切れないのである。

彼が日本に帰ったら、バレエの第一人者として、どんなバレエ団ももろ手を挙げて歓待するに違いない。

しかし、あえてそれを彼はしない。

なぜか。答えはボリショイ・バレエは彼にとって学ぶことが多いから。
セミョーノヴァやヴァシーリエフを人間としても芸術家としても先生としても尊敬して余りあるという。
その彼らから学びたいのだ。
彼らとともに時間を過ごし、自分をもっともっと高みに導きたいのである。

ここロシアではボリショイ劇場での給料はそんなに多くない。
それでもなお、それを補って余りある物がこのボリショイに存在するのだ。


素晴らしい純粋さ、軽やかさ。そして情熱。
彼の中にあるものは、どうしても表現されなければならない。

そんな場を岩田さんがより多く持てることを1ファンとして、願わざるを得ない。

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