2000年7月11日(火)


モスクワは今年は涼しい。暑くなった後は必ず夕立があって、夜には心地よい風が吹く。

朝、ジョーチリンリンと散歩に行くと夕立に濡れた木立や雑草の草いきれがむんと香ってくる。夜になると、窓から森からの爽やかな空気が匂い立つようである。
夕方、ちょっとマドンナを駆って足を伸ばすとそこは広大な草原であり、森であり、ダーチャがある。
モスクワの7月8月は休日。夏休みという感じがある。人々はゆったりと歩を運び、のんびりと長い日脚の中で夕涼みをする。人々は三々五々あてもなく長い夏の日脚を楽しみながら、散歩をする。
ゆぅるりとしたリズムが生活の中で息づいている。


今は、ベリーの季節。ルィノックに行くとラズベリー、野苺、ブルーベリー、赤や黄色のさくらんぼそれにクズベリー。選り取りみどり。
それもとことん安い。1キロ250円くらい。
カンカン照りのルイノックは、あやしい活気に充ちている。
「ほら、おねえさん!買っていきなよ!今日、バクーから運んで来たばかりなんだ。」
どの野菜を見ても、それはたわわに実ったものばかり。
トマトは芯のしんまで真っ赤だし。キュウリはイガイガにまみれて香が強い。
新しいキャベツはしんなりと柔らかい。パキっと折った時の人参からは果汁がほとばしる。
どれをとってもすぐに口に運びたくなるような代物だ。
決してお行儀は良くないが、それらは私達のお腹の虫をムズムズさせるにはもってこい。


近くの食料品屋に行くと、
「なんであの可愛いワンちゃんを連れてこなかったんだね。一人、家で置いておいたら、だめじゃないか。」
と、ジョーチリンリンと一緒じゃなかったのを淋しがる売り子のおばさんがいるかと思うと、
「なんで犬なんて店に連れて入るんだ!!ここは動物を連れてくる所じゃない!!」
と、大目玉をくうこともある。
いずれにしてもおばちゃんたちの体格は大きい。
ナイロン製のエプロンからオッパイまでもがデンとはみ出している。
のろのろと頼んだ品物を棚から出して、愛想笑いもなく知らん振り。すぐそっぽを向いてしまう。
「やぁ、久しぶりだね。当分来ないから、帰ったかと思ってたよ。」
と、機嫌のいい時にはびっくりするくらい人懐っこく優しいおばちゃんたちだ。


客たちの財布の紐は強烈に甘い。
中に入っている100ルーブル札がなくなるまで使う。とにかく買う。お金が入ったら即。
ルィノックでもお店でも大きな洗って古くなったビニール袋にパンパンになるまで買い込む。
ロシアの人達はあまり貯蓄という観念がない。
江戸っ子ならぬモスクワっ子。宵越しの金は持てないらしい。
スワ!!、自動車などの大きなものを買い物する時には親戚縁者の羽振りのいい人にちょっくらお金を借りる。
期限などはほとんどあってなきのごとし。収入の当てがないのに平気である。
その辺りの大らかさは、ロシアへの経済援助の使い道と似ているような気がしないでもない。
貸した方もとりたてていついつまでに返してくれなければならないという気はないらしい。


あ〜。日本かあ。
こんな世界とは全く違う世界にもうすぐ住むことになる。
ドゥニャンたちは多かれ少なかれ、モスクワ病という流行り病に罹っている。

感情的になっても全く遠慮の要らない国。
自分の思い通りに直進する人々。
細かい配慮などもってのほか。それがあると損をするのは自分だけ。
誰もそんなものなど当てにしていないのだから、やってもらえたら、やられ得。いや、そんなことすら気づいていない節もある。


ドゥニャン、どうしよう。
病はますます重くなるばかりである。

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