2000年7月18日(水)


なつめの最後のピアノのレッスンが終わった。さよならを言うための特別のレッスンだ。15日までのレッスンはお金を払っていたが、今回のはなつめへのプレゼント。
タマーラ・セルゲーヴナ。
もうなんと言っていいのか分からない。
彼女には込み上げてくる思いがある。



レッスンが終わって、彼女はいつもよりゆっくりと靴を履いた。
「ナツメ、私と一緒に勉強したことを日本へ帰っても続けて下さい。普通の子どもが2年でやり遂げる以上のことを私達はやってきたのだから、絶対にそれをおろそかにしないで。あなたなら出来るから。日本に帰ったら、すぐにいい先生を見つけるのよ。私の言ったことを決して忘れないで・・・それから、時には手紙をちょうだい。私はいつもモスクワ大学にいるから。決してウクライナには帰らない。
これで、最後です。」
私達親子4人は彼女の前に並んだ。
「もういいから。涙を見せたくないのです。さよなら。」
彼女は帰って行った。

毎週2回、毎回3時間。教えられる方も教える方も大変だった。
試験の前になると、物理や化学もなつめに手ほどきしてくれた。その時はゆうに5時間くらいぶっ通しで勉強が続いた。
もうそろそろ終わってくれないかと、台所でヘンヘンとびーびー、私は小さくなっていた。
彼女の全てのエネルギーがなつめに注がれているようだった。
完全に分かるようになるまで、なつめは徹底的に教え込まれた。
彼女は彼女の命よりも大切な息子のセリョージャの名前を時には間違えて言うほどの入れこみようだった。
ここモスクワに来た時、なつめはまだブルグミュラーを完成させてはいなかった。
それが、今ではバッハ、グリンカ、ハイドンそしてショパンを弾けるようになっている。

先週の火曜日には1年半、ロシア語の家庭教師に来てもらっていたアレクサンドラ・イヴァーノブナの最後の授業だった。
今、なつめは9年生のロシア語の文法の予習をしていると言う。
日本へのお土産にと、なつめには本を。私達にはグジェーリ焼きの花瓶をくださった。
私達親子は特別なことを何もして差し上げられなかった。真心と美しいロシア語と知性をたっぷりなつめに与えて下さっていた。



モスクワのともだち。リーナがおとつい来てくれた。
まださよならは言いたくない。必ず20日に来るからと。
たったの1時間ほどうちにいただけだ。うちへ来るには1時間以上もかかるのに。

ユーゴスラビアのスネジャンカ。(ゾーリッツァのお母さん)先週、午後2時に来て、その後9時半まで。
「これほど心を開いて話せる友達はいない。」
と、時には声を詰まらせて言ってくれた。

お隣りのアイーダ。おとついリーナが帰ってから、掃除を手伝いに来てくれた。大きな身体全体を汗びっしょりに濡らして、台所の隅から隅までふきあげてくれた。
そして、今日もちょっぴり覗くだけと言って、たずねて来てくれる。大切な大切な黒スグリとブルーベリーのジャムを持って。その上、去年夏の間に森で娘のジナーラとイルミーラと一緒に採ったという乾燥きのこまでぶら下げて。


夏休みから始めた英会話の先生のジャンナさん。最後の日までなつめに教えてくれると言う。
ジャンナさんはお金持ちである。マックス・マーラやケンゾーなどのデザイナーものの洋服をいつも着ている素晴らしくオシャレできれいな人である。去年の結婚記念日にはご主人から御木本のパールのネックレスを贈ってもらったと嬉しそうである。そんな彼女、さぞやが、市場開放され、資本主義化されたロシアを喜んでいるかと思うと、さにあらず。
ロシアは物を得た途端、大切な何かを失いつつあると嘆いている。ソビエト時代は、ある意味で大変だったけれども、人と人とのつながりの深さは並みならないものがあったのだそうだ。
今、余裕のあるジャンナさんに出来ることは、路傍に立つ物乞いの老人たちと自分の持つものをシェアすること。それは当たり前のこと。そしてその人たちのことを教会で祈らないことはないという。



今日、校長先生のパル・パロチがさよならをナツメに言いに来て下さった。
「ナツメ、君が学校に来てくれていたこと、嬉しかったよ。淋しくなる。本当に学校が淋しくなるよ。学級のみんなが君のことを大好きだった。こんないい子を日本に手放すのかと思うと惜しくてならない。機会があれば、絶対にまた学校に来てくれよ。
待ってるから。他の学校に行ったらだめだぞ。」
そう言いながら、なつめを優しく抱擁して下さった。
めったに泣くことのないなつめが泣いた。
「こんなに沢山の愛情。私今まで受けたことないよ。ママ。」
本当に手塩にかけてなつめを受け取り、常に暖かく見守って下さっていた。
パル・パロチの暖かさ、愛情を一身に受けてなつめは育った。
ありがとうございます。1741番校。



モスクワ。
この懐の深さ。暖かさ。

ここで感じたこと得たことはドゥニャンの中でどんな風に熟成していくのか。
そして私達家族の中で。

ありがとうモスクワ。そしてさよならモスクワ。

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