ボリショイ劇場 ロメオとジュリエット


1999年1月22日(日)

配役

ジュリエット:ニーナ・アナニアシビリ、ロミオ:アンドレイ・ウヴァーロフ、ジュリエットの乳母:E.K.ヴォロチコヴァ、パリス(ジュリエットの婚約者):A.V.バルセギャン メルクツィオ:ミハイル・シャルコーフ 、ティバルド:ヴラディーミル・モイセーエフ、道化:ゲンナジー・ヤーニン

指揮:M.エルムレル

演出:L.ラヴロフスキー

音楽:セルゲイ・プロコフィエフ





一幕には5つのシーンが組まれている。 朝まだ明けやらぬヴェローナの町にモンターギュの息子のロミオが一人ぶらぶら歩いている。
そこへキャプレット家の召し使いたちが現れて、モンターギュ家の召し使いたちとのいさかいが始まる。剣は抜かれ、それぞれが必死で戦っている。
さて、そこへジュリエットの許婚であるパリスも登場している。
町の貴族である識者がキャプレット家とモンターギュ家の召し使いの争いを止めるように命令して。シーンの1は終わる。
シーン2は、まだ恋も知らない少女の面影を残したジュリエットが今日行われる大舞踏会の衣装を着て用意をするように、乳母からいわれるのだが・・・。ジュリエットは窮屈な衣装を着たくないのと乳母をからかいたいのとで、とにかくいたずらを繰り返している。
そこへジュリエットの母が入ってきて、婚約者パリスを紹介する。パリスは美しいジュリエットの手を取り、恭しくあいさつをする。
シーン3、大勢の豪華に着飾ったその日の客たちが現われ、パーティは佳境に入っていく。そこへロミオのいたずらな友達が、ロミオをそそのかして仇敵キャプレットの大舞踏会に秘密で入っていこうと誘うのである。もちろんロミオはそれに乗ってしまう。
シーン4、ジュリエットを一目見たロミオの目には、ジュリエットはこの世のものとも思えないほど美しく映るのだった。ロミオはジュリエットに近づく。そこで仮面は落ち、ジュリエットはこのハンサムな見知らぬ若い男の人から目を離せなくなってしまう。 だが、仮面を落としてしまったロミオはすぐにこの場を去らなければならない。 夕方、客が帰ってからも、ジュリエットはまだ、このハンサムな突然現れた男のことを忘れられずにいるが、乳母からそれは、彼らの敵モンターギュ家のロミオであることを告げられる。
シーン5、夜になり、ジュリエットはロミオを夢見てバルコニーにたたずむ。そこで彼女は銀色に輝く月の光の中にロミオがいるのを発見したのだった。二人は寄り添い合い、愛し合っていることを確認する。


なんといってもこのシーン5が圧巻だった。二人が優しく切ないほどの幼い愛を、しかし限りなく深く、強い愛を確認している様子が、柔らかな恥じらいから、しだいに愛の炎となってもつれ合い、急激に恋が芽生えていく様が、なんと美しく、清らかにそして狂おしく舞われることであろう。
何も知らない少女が突然大人になって、情念という恐ろしいまでの一途な心を自分の中に確認していく。そして、それを受けて立つロミオの愛情のエネルギーのすさまじさ。 それを見事に演じきっている。
しかもその情念は決して、下品なものではなく、独立した人間同士の尊厳と、育ちの良さを表わす威厳すら兼ね備えている。二人がもつれ、離れつつ舞う様は、幼いピンクの産着から薔薇の真紅に色を染め替えていくのがわかる。
人というものは、恋にうたれ、 愛に彩られるとこうも美しく見事に変身するものだということが、この舞台でわかる。しかし、恋の美しさ、華やかさだけではなく、そこには情念という人にはどうすることも出来ない不条理なものが隠されていることまで、二人の抱擁は暗示している。
とにかく、表現力が違う。シェークスピアの世界に入っていってしまう。
ボリショイ劇場の時代考証、そして衣装の素晴らしさ、シェークスピアに対する理解の深さがこの1幕だけでも十分に表わされる。
アナニアシビリという今、脂の乗りきったダンサーの素晴らしさ。美しさ。
世界のアナニアシビリといわれるだけあると思う。


二幕目は3つのシーンに分かれている。ベローナの町の休日の騒々しさと人々の楽しむ様子、その中をジュリエットの乳母が手紙を持ってロミオを探している。その中にはジュリエットがロミオとの結婚を決意したことが書いてある。
シーン2は、神父のいる部屋にはテーブルの上に頭蓋骨と白い花が置いてある。それはこの世の儚さを象徴している。彼はロミオとジュリエットの秘密の結婚式をここで行う。 同じころ、広場ではお祭りがあり、マリア像が運ばれていく。
シーン3、このお祭りの広場でロミオの友達とジュリエットのいとこが闘っている。そこでロミオは仲裁に入るが、二人は止めようとせず、とうとうロミオの友達が殺されてしまう。そこでロミオはいとこと闘い、刺し殺してしまう。ジュリエットの母は、甥の死を嘆き悲しむ。


舞台の一番上段後ろに連れて行かれるむくろと共に、母の悲しみの様子がこのような嘆き方、感情の吐露の方法があるのか・・・と、思われるほどの迫真の演技であった。
骸骨と白い花の対照がいかにも二人の未来と純粋な愛情を表わしているようで、憐れでさえある。
その上、この世の深い悲しみと愛を知ったロミオとジュリエットの成長したところを表現する演技が光る。


3幕目、5つのシーンに分かれている。
シーン1は、次の朝、ベローナの町から追放されるロミオとの別れ。それを惜しむ二人のアダージョ。ロメオは、夜明けの町に出て行く。
その後、ジュリエットの両親がパリスと入ってくる。ジュリエットに熱烈に結婚を申し込むパリス。それを頑なに拒絶するジュリエット。とうとう、両親は激怒して幕間に帰っていく。
シーン2、ジュリエットは悲しい心を抱え、神父の前にひざまずく。ロミオと結ばれないのなら、彼女は自殺をしようとさえ決意している。そこで神父ロレンツォは、あたかも死んだようにみせる薬を彼女に渡し、両親への反省を促すことを薦める。
シーン3、ジュリエットは、両親の勧める結婚を承諾したように一旦は装ったが、明くる朝、死んだように見える薬のため、深い眠りに入っている。ジュリエットの友達が入ってきて、パリスとの結婚を祝おうとするが、ベッドのカーテンを開けてびっくりする。
シーン4、ジュリエットの死のニュースは、ベローナの町を駆け巡った。ロミオに対する神父ロレンツォからの知らせ(ジュリエットは薬を飲んで死んだように眠っているだけだ ということ)を受け取る前にそのニュースを聞いて嘆き悲しむ。
シーン5、地下の埋葬室に寝かされたジュリエットに、全ての人が去った後、ロミオが会いにやってくる。そこで美しいジュリエットから目を離すことなく、ロミオは毒を飲み干す。
深い眠りから覚めたジュリエットは、横で最愛の人が死んで横たわっているのを見て、自分も彼の後を追うことを決意し、短剣で胸を刺して死ぬ。

エピローグ、ジュリエットとロミオを失ったモンターグとカプレットは、お互いに手を握り合い、長年の敵対関係を解き、和解する。大きな代償を払った後の和解であった。


ジュリエットとロミオの別離の朝、二人のアダージョの中で、ウバーロフはアナニアシビリを高くさし掲げる。まるで崇拝を伴った崇高な愛を二人で確認するかのようである。その形が、この世のものとも思えないほど美しく完成されている。
また、パリスの愛を拒絶するジュリエットの静かだが、頑なな拒否は乙女のやるせなさを、物語り、おもわず知らないうちにジュリエットへの同情と感じてしまう。心が純粋なゆえに脆さを併せ持った彼女の行く末をハラハラしながら見守っている自分を見出しびっくりした。
気がつくと、せりふ一つない、バレエの中でこのような細やかな感情表現と厚みを持った人間味を見せ付けてくれる物語に引きづり込まれてしまっていた。
ジュリエットのお葬式の場面の母親の悲しみの表現は、静かだが深い。
甥の死の時と対照的で、すべての力がジュリエットの死によって吸い取られてしまったかのような哀しさは、閑と心に忍び込んでくる。
そして、有名なロミオとジュリエットの悲しみのクライマックス。
もう、何も言うまい。ご想像にお任せしたい。いかにいかに人間存在とは哀しく、儚いものであるかを見せてくれる舞踏家たちの芸術を・・・。


今回見たのはラヴロフスキーが振り付けたオリジナル版、1995年にゴルジェーエフが復元したものである。3幕の中のそれぞれのシーンが、舞台を変えて表現され、物語りに厚みを加えている。
日本で売られているボリショイのロミオとジュリエットはグリゴローヴィッチの演出によるものであるが、ヴィデオで見ているということを差っぴいても、解釈やバレエそのものによる説得力の違いを感じる。
また、生で聞くプロコフィエフの音楽はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を意識し、大きな筋は厚みのあるオーケストレーションで物語り、さらに20世紀音楽の技法を組み込んだ一流の芸術と言える。

何といっても当代随一のプリマドンナ、アナニアシビリとその相手役のウヴァーロフには、シェークスピア戯曲の一つの頂点を見せてもらったようだ。素晴らしい!!



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