1999年10月29日(日)
指揮:パーヴェル・サローキン
演出:グリゴローヴィチ(コラッリ、ペッロ、プチパ版)
一幕目前半、ジゼルを踊るグラチョーヴァは村娘に扮するには個性が強すぎた。若い娘のみがもつ初々しさ、素朴さ、あどけなさ、そして世間知らずの心など、グラチョーヴァは表現しようとしているのはわかるが、一旦踊りはじめると、まぎれもないバレエになってしまう。が、アルベルトの真の姿を知って気がふれるところから、前半における欠点がそのまま逆に長所になり、見せ所となる。気が狂い、苦悩する場面をバレエで表現するのがとてもうまい。これはベテランだからこそできるもの。
二幕、墓場の情景。ここは青く暗い照明の中、ヴィリー(妖精)の群舞がみどころ。でも今回はグラチョーヴァの踊りのみが印象に残った。演目によっては「彼女のバレエ」のみが全面にでて、役にはまれない場合もある(たとえばシルフィーダがそうだった)。今回も一幕などそれに近かった。が、二幕のヴィリーとなったジゼルの役では、なにげなく見えながらかなり力量が必要とされる踊りがたくさんあるが、そのどれもを、悲しみの感情をこめながらきれいにおどりきっていて、何回もうなってしまった。
アルベルトをやったイヴァーノフは、グラチョーヴァの相手役として十分。今回はミルタや群舞がものたりなかった。
今回みたのは、現在ボリショイ劇場で見ることのできる数少ないグリゴローヴィチ演出のもの。両者の違いはそれほどない。グレゴローヴィッチ版だと一幕半ばの収穫祭の場面では主役二人は裏にまわり、他の二人によるバドドゥがみどころとなる。それでこの場面は時間稼ぎ的に感じられる。ヴァシーリエフ版だと数人の男女による踊りが中心となり、収穫祭の雰囲気がよくでている。
二幕ではガンス(ヒラリオン)が踊り疲れるほど踊らずにあっけなく死んでしまう。ヴァシーリエフ版の方が、ヒラリオン(ガンス)もアルベルトもヴィリーたちに踊り殺される様が強調される。
舞台装置や衣装などはヴァシーリエフ版の方がジヴァンシーの協力を得ていることもあり、豪華。
なお、ヴァシーリエフ版にはルニキナ、ヴォロチコヴァ、アナニアシヴィリなど「可憐さ」のバレリーナ、グリゴローヴィチ版はグラチョーヴァ、ピャトキナ、セミゾーロヴァなどベテランを出演させているようである。
グリゴローヴィチ版のジゼルは、舞台や衣装など素朴さが売りで、それがジゼルなのだと思っていた。でも色の濃い表現が売りのグラチョーヴァが意外にもジゼルにはまっていたことを発見し、というかそれ以前に「グラチョーヴァのバレエ」を堪能していると、それがそのままジゼルの世界なっている、という一夜であった。さすがである。
サローキン指揮するオーケストラは、繊細さと力強さをともに表現しており、グラチョーヴァのジゼルの雰囲気によく合っていた。劇場付きのオケとしてはかなり高い水準にある。
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