子育て中にとてもお世話になる永遠の育児書『育児の百科』の著者松田道雄先生が、6月1日午前1時50分ご自宅で永眠されました。
6月4日、新聞を読んで、胸から突き上げてくるものがありました。
先生にはあびとが赤ちゃんのころ たいへんお世話になったからです。
1989年12月あびとはモスクワで生まれました。生まれたその日、モスクワの産院で’ひまわりオイル’で沐浴をした後、ひどく反応して顔が腫れ上がり、かゆさのためか、気持ち悪さゆえかとにかくよく泣き叫んでいました。
大学の寮に帰ってからも、湿疹が小さな身体中をおおい、とても可哀相な状態でした。その頃の私たちはステロイドという特効薬も、ヒスタミン軟膏も何も知りませんでした。
ママのおっぱいは、たくさん出るほうではありません。なつめの時もそうだったのですが、なつめはミルクが大好きで助かりました。ところがあびとはミルクをちっとも飲まないのです。もらい乳をしても、すぐにママのおっぱいじゃあないとわかってしまって、プイとそっぽを向いてしまうのです。
あびとはなかなか大きくなりませんでした。
ママは心配で心配でたまりません。モスクワでお医者へ行っても、あびともママも食べちゃいけないものをたくさん教えてもらえるだけでした。
公園にいるおばあちゃんたちがいいと言う草の干したのを煎じてつけたり、民間薬をつくる皮膚科のお医者様に診てもらったり・・・。薬も医者もいない時代だったのです。
一度は モスクワの医者に神経系統に問題があると言われ、アトピーの湿疹のひどさにたまりかねて 日本に帰国、入院しました。
モスクワに戻ってみて、日本でもらったお薬(ステロイド軟膏)があまりに霊験あらたかすぎてこわいようでした。その薬をつけるのもつけないのも私たちは迷いました。
ミルクを飲まないあびとは、小さくて力がなくておくれがめだつような気がしました。
ある日、思い余って私たちのバイブルの著者、松田道雄先生にモスクワから、手紙を書きました。
すると、先生から直筆のお手紙が届きました。
ここにその心のこもったお手紙を掲載したいと思います。この手紙を読んで、きっと勇気づけられるおかあさんがまた増えると思うからです。
わたしたちだけの宝物にしておくのは、もったいなさすぎます。
「お手紙なんども読み返しています。異国で子どもにわずらわれ、それで長期にわたるということは、どんなに心細いことでしょう。よくお耐えになっています。
だが、ご心配になっていることは長い人生からみると、ほんの小さなエピソードで、いずれ忘れてしまわれるでしょう。
歩き出すのが2歳になるというのは、めずらしいことではりません。知恵づきがことばでわかるように正常なのですから脳性のまひではないでしょう。社会主義ではほんのわずかの反射異常(わたしはそれを異常でなく発育のテンポのおくれと思います。)も脳性まひと考えて早期にマッサージをすればまひは治ると信じています。然しそれは治ったのでなく、おくれたのが自然に追いついたので、もともとまひでなかったと 私は考えます。ですから、もう立って歩けるのですから マッサージはしないほうがいいと思います。
あびとちゃん あるくおもしろさがわかったら すすんであるきますからマッサージなどよりはるかにききめがあります。
湿疹は長くかかりますが、人生と平和共存できるものです。げんにあなたがたご夫婦は そうなさっているではありませんか。
リンデロンは フッ素がはいっていますが、かなり長期に使ってもひふの萎縮はおこらないというのが 小児科サイドの考えです。顔は他の部分より抵抗が弱いようですから、いま 使っていらっしゃるよりふやさないほうがいいでしょう。
リンデロンよりもフッ素のない 副腎皮質ホルモンのプレドニン軟膏ももっていらっしゃるほうがいいと思います。どこで 強いのをつけ、どうなったら弱くするか という「作曲」は 毎日毎時みている母親にしかできません。つけるな といわれても かゆがって 夜もねられないときは 眠れるほうを 優先せざるをえません。いままで そうやって いらっしゃって 特別の支障がなかったのは あなたの「作曲」がよかったということです。自信をおもちなさい。
湿疹のできる子は ぜんそく性のせきをよくします。しかしこれも子どもの成長と共にかるくなって 気にならなくなります。帰っていらっしゃったら 診てほしいとのことですが、 もう20年以上も診療はしていません。道具もありません。医者としておあいすることは できませんが、長く生きた人間として 昔話をすることはできるでしょう。夫君と一緒にお子さんをつれて いらっしゃい。
夫君から私のほうがいろいろ教えていただけるでしょう。帰国されたらはがきを下さい。あう日をきめます。ソ連の混乱がこの手紙をじゃましてくれないように。5月28日 (1991年)
松田道雄吉田良子様
以上が、いただいたお手紙の全文です。
子どもがアトピーで泣いて夜も眠れず困った時、発育のテンポの遅れが気になってしかたがなかった時、なんどこの手紙を読み返して、勇気づけられたかわかりません。
先生からの大切な手紙をつつんだ封筒はボロボロになりました。
便せんのおりめのところも ところどころ薄くなってしまっています。
だけど、先生がここでわたしたちに教えてくださった知恵とやさしさ、あたたかさは今も私たちの中にしっかりと残り、大きくなってきています。
なつめもご心配をおかけしたあびとも大きくなりました。
先生の家へうかがったとき、先生のお嬢様が作ってくださったバターのたっぷり入ったクッキー、あびとは生まれてはじめて、バタークッキーを食べたのでした。
あまりきびしい食事制限をできるだけしないでおこうと思っていたわたしたちでしたが、バターの入ったおかしやミルクで作られたものなどは
ほとんどあげたことがありませんでした。
先生の前で、わたしたちは心配せずに、こころゆくまであびとにクッキーをあげられたのです。
おいしいおかしをあびとは夢中でほおばりました。先生は優しくほほえんでいらっしゃいました。
「そろそろおなかは いっぱいかな。」
おしまいのごあいさつでした。
わたしたちはおなかもいっぱい、心もいっぱいに満たされました。
松田先生、本当にありがとうございました。
先生のご冥福を心よりお祈りいたします。
1998年6月6日
ドゥニャンとヘンヘン
モスクワどたばた劇場へ行く
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