ラッチマンとの別れにあたり
1997年11月7日に宝塚大劇場で初日を迎え、帝国劇場公演を経て全国ツアーの演目にも選ばれた星組公演『ダル・レークの恋』は1998年5月12日、とうとう本当の千秋楽を迎えました。
実に半年強もの間、『ダル・レークの恋』とおつきあいしてきた私としましては、とうとう千秋楽というか、ようやく千秋楽というか、複雑な心境です。
私が半年間追い続けてきた大好きだった麻路さき演じるラッチマンとの別れにあたり、私のまとめの感想を書かせていただきます。
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宝塚大劇場での初日、いつも思う事ですが、初めて見る芝居にワクワクと胸が踊りました。
『ダル・レークの恋』は再演モノですが、38年振りという事で、子供の頃に観たことがあるとおっしゃる方も記憶は不確かな状態。でも春日野八千代さんが大事にされてきた作品だけにプレッシャーもあるし、それだけに期待できる作品でもありました。
☆ 初日の感激 ☆
そうして迎えた初日、そこには現代の日本に生きる私には、想像でしかなかった昔のインドの王族の世界が広がっていました。
いわゆるコスチューム物と言われる中でもかなり異色なコスチューム物。セットも衣装もゴージャスでエキゾチック、幕開きこそマントに燕尾服ではありましたが、最初から最後までほとんどターバン姿の主人公。
その、マリコさんのラッチマンは格好良くて、凛々しくて、どっしりと存在感があってカマラが子供に見える位大人かと思うと、パリではスマートにキザでお茶目でやっぱり格好良くて、なんだかいろいろなマリコさんの男役姿を一作品で見せてもらえたみたいで嬉しかったです。
待ち焦がれていた濃厚ラブシーンもさすがに上品に見せてくれて、ピンクのベッドに花びらヒラヒラには驚きましたが、恋愛は絡むものの別に主題がある作品の多かったマリコさんとしてはようやくの超恋愛劇に感激しました。マリコさんと言えば、相手役さんとラブラブな場面が一押しな方なので、やはりどっぷり恋愛劇が見たかったのです。
唯一ラッチマンがターバンを取るのもこの場面。ターバンが取られると長い髪がハラリと落ち、その髪を少しかきあげる仕草のかぐわしい色気にクラクラ来たのもはっきりと覚えています。
ラストはカマラに別れを告げて去ってしまうのですが、別れるのも愛ゆえというのは私好みで満足でした。
そして迎えたフィナーレ。ダレン・リー氏を迎えて作られた「踊り曼陀羅」は、振付・装置・衣装が全てセンスが良く。最近の星組のショー場面の中でも一、二を争う程に格好イイ!場面で、スピード感のある展開の中、いちいち「うわぁ〜☆」「きゃ〜☆」「格好イイ!!!」とドキドキ・ワクワしていま
した。久しぶりのアクロバティックなリフトにも感激!
そして、「グラン・エスカリエ」ではマリコさんがトップになって以来初めてのトップ3(トップ男役・トップ娘役・2番手男役)のダンス場面、しかも白いお衣装!を見せて貰えて大満足。「男役の足が透ける衣装」という前評判は今ひとつ「透けてないよぉ〜(/_;)」(←何故か泣く(^^;))でしたが、それもご愛敬という感じでした。(ちなみに全国ツアーでは結構透けて見えておりましたぁ〜(*^_^*))
一応トップコンビとしてはお披露目となるユリちゃんとの息ぴったりのデュエットダンス、久しぶりに組んだとは思えない息のあいかたにトロトロになりながら、あぁもう幸せ☆という3時間を過ごさせていただきました。
☆ 良い意味で成長する舞台 ☆
宝塚と言えば良くも悪くも「成長する舞台」とよく言いますが、近頃は初日にすでに役作りが出来上がっている事の多いマリコさんです。ラッチマンもやはり役作りはほぼ出来上がっていたと思います。ただ、思い返せば、ターバンから髪を少し出している姿がうーむゅ(--;)なところが多くそれがなぁ〜(^^;)と思っていましたらあれよあれよと言う間にほとんどなくなり、唯一残った所も髪の量が増えてお似合いになって行ったのでした。ここらへん、ファンの感想に耳を傾けた結果かと思われます。
大まかな役作りが出来上がっていたとはいえ、ラッチマンは日を追う毎に役がどんどん掘り下げられていき、帝劇では更にノッた演技になっていたと思います。全国ツアーはもう〜。(*^_^*)
☆ 祭りの場面の演出変更 ☆
全く同じ脚本のまま掘り下げられていくだけではなく、大劇場と帝劇とでは、祭りの場面に大きな演出の変更がありました。後で聞けばマリコさんの意見を酒井先生が取り上げてくださったからだという事でしたが、大劇場版の脚本ではラッチマンとカマラの気持ちの切り替えに説明がつかないような部分があって、観ている方もかなり想像を膨らませないとついていけなかったのですが、その変更によってすんなり分かるようになりました。実は、やっているマリコさん、多分ユリちゃんもだと思いますが、役者側も掘り下げていけばいくほどその部分がやりにくくなっていったのだそうで、それこそ1998年の『ダル・レークの恋』が作り上げられたのかと思います。
大劇場版では「愛のバレエ」の場面の前ではカマラに罰を与える気になったラッチマンは、結局は愛するがゆえに一夜を共にし、夜が明けると「昨日は昨日で支払ってもらって、今日の祭りに参加するのも支払いの一部」と結構冷たくカマラを突き放し、その割には踊っているうちに楽しくなってきてまたもや愛していることを思い出す…みたいに私には見えたこともあって、ラッチマンはちょっと理解しがたいところがあるなぁ。いやまぁそれはそれで神秘的なオトコだわ。(*^_^*)などと思っていた訳です。
ところが帝劇版では一夜を共にして夜が明けると「カマラ…愛している、今日はいい朝だなぁ〜」みたいに出てきたラッチマンはもうカマラが愛しくてたまらなくて…という風で、それゆえその後に一瞬二人の世界になって(「愛の誓い…」を歌うところ(^^;))盛り上がってしまうのも分かるし、カマラがハッと自分の立場を思いだし、ラッチマンとはやはり一緒になれないと逃げてしまったときのカマラのつらさ、ラッチマンのつらさがより浮き彫りになって
いたと思います。
もしかしたら帝劇からかもしれませんが、私は三好公演で初めて気が付きましたが、カマラがその場から走り去ろうとして立ち止まりラッチマンを振り返ったとき、ラッチマンが少し離れたところでカマラに手を差し出すんですよ。「カマラ、さぁ、一緒に行こう…。」と目が言っているのですが、カマラは泣きながら頭を横に振り、去ってしまいます。その後のラッチマンの「すべて終わったな…」という表情が今でも心に残っています。このときの暗転が早すぎるとこのラッチマンの表情がよく見えないんですよね。毎回、ここをしっかり見ることが出来ると「あぁ、今日もラッチマンをしっかり見た。」という
気がしたものです。
☆ 二人の別れのセリフ変更 ☆
もう一つ、帝劇版で変更になった場面に、ラッチマンがカマラに別れを告げる場面があります。自分の前から立ち去ろうとするラッチマンにカマラが「あなたはそれで幸せなの?」と聞くと、大劇場版では「あなたに人間とは愛とは何かを教えてあげられたから。」と答えていたラッチマンが、帝劇版では「私の心から愛する人が…何が大切か分かってくれたのなら」と答えるように変更になりました。この部分、こうして字面で見ると、少しの変化に思えるかもしれませんが、実際に舞台でやりとりを見ていると、ニュアンスが大きく違って聞こえます。大劇場版ではとってつけたような格好つけた台詞にすら聞こえかねなかったのですが、帝劇版ではカマラを思いやってのセリフにとれるようになりました。この変更で、ラッチマンがカマラを愛しながらも別れることがより分かるようになったと思います。
☆ ラッチマンはラジエンドラ!?の場面 ☆
日を追う毎に良くなっていった場面に、ラッチマンがラジエンドラだと周りに信じ込まれ、今までのつきあいを吹聴してくれるなと言われる場面があります。何も知らずただ呼ばれてきたラッチマン。自分がラジエンドラだとジャスビルに言われ一笑に付しますが、ラジア一家が自分を信じていない事を知ると、更にカマラすら信じていないことを知りショックを受けます。ここから、クリスナの言葉、ジャスビルの言葉、インディラの言葉、カマラの態度それぞれについて、口にはださねどラッチマンの心の内が観るものに痛いほどに分かります。特に、インディラに交換条件として「カマラを忘れ二度と姿を現さない。」と言われたときの動揺。カマラを忘れることなど出来そうにない自分の本当の気持ちと先ほどまでの怒りとの間で揺れ動く心のまま、天をあおぎ、救いを求めるかのようにカマラを見つめます。しかし、カマラの冷たい態度に更に深く傷つき…やがて、決心したかのようにインディラの申し入れを承諾します。そのときの自嘲したような笑み…。
そして、自分からの交換条件を告げるときの一転して落ち着いた態度。ふてぶてしいまでの表情。私はこの場面が今作品で一番おもしろいように思っていました。いつも楽しみというかマリコさんの演技に期待して見ていました。
☆ そんなラッチマンだったからこそ ☆
そんなラッチマンを見続けて来たら、いわゆるマリコさんの思うところの「男役の理想像」というものは一つの完成をみたのかもな…、と退団発表があった後、全国ツアーを何回か見る内に思うようになりました。
マリコさんも納得されたから、それで退団を決意されたのかな…と。もちろん、現在の宝塚の状況など、他にも様々な要因があってのご決断だと思いますが、もしもラッチマンがマリコさんにとって不満足な出来であったのならばあの退団発表の日のすっきりとした笑顔はなかったんじゃないかと。 そう思うと、「あぁラッチマンが満足な出来じゃなかったら、男役の追求をこれからもされたのかしら…。」とよからぬ事を考えたりもしますが、今まで長々と書いてきたように私もラッチマンには十分に満足させてもらってしまったので(^^;)これも致し方ないのかな…とあきらめの境地だったりもします。
そんな風に全国ツアーでは、ノリにノッたラッチマンに惚れ直しながらもそれゆえの退団発表なんじゃないかと寂しくもなり、非常に複雑な気持ちでの観劇三昧の日々を過ごしてきました。
三好での私の全国ツアー初日では、マリコさんはラッチマンそのものにしか見えずそんなに感傷的にはならなかったというのに…、高松の楽では「もう二度とお目にかかる事はないでしょう…。」と言われ(たまたまその目線の先に座っていたからですが…。)「そんな事言わないでマリコさん(T^T)」と涙し、浜松の楽ではパレードで一際大きく見えたマリコさんの姿に「あぁ、もうすぐ見ることが出来なくなってしまうなんて…(T^T)」と涙してしまったのはラッチマンの出来が良すぎたゆえ…と今は心にぽっかり穴が空いてしまっています。
次回大劇場公演『皇帝/ヘミングウェイ・レビュー』では、本当に最後となる麻路さきの「男役の理想像の集大成」を心に刻みたいと思います。
その前に半年間惚れ込んでしまったラッチマンへの想いを、思いっきり書かせていただき、自分の中に一つの区切りを付けることができたように思います。
尚、マリコさんが退団を決意された理由については、私が個人的に思っているだけであり、マリコさんのお言葉ではありませんので、その点誤解なきように、よろしくお願いいたします。
マリコさんの真意については、各メディアから流れてくるマリコさんのお言葉からみなさまお一人お一人が感じ取ってください。
★Nifty-serveより転載★
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