仮想心中
 

−1−

「先週亡くなったユーザーのことで、話を聞かせてもらえないかな」
その女は、帰宅しようと会社を出た俺の前に躍り出た。一瞬、俺はこの女が何を言っているのか、わからなかった。
くすんだ色のナイロンジャケットに濃紺のデニム。どう見ても機能性重視の格好だ。頭にはマリナーズのキャップを深々と被り、遠目なら昼間でも男に見間違えるだろう。街灯の薄明かりで、顔はよく見えないが、歳は俺よりかなり若そうだ。差し出されたシンプルな名刺には、フリーライター・夏霧冴子とある。
「ナツキリ…」
「ナツキ。ナツキ・サエコ。今、ゲームの世界にのめり込んだあげく自分を傷付けてしまう子供たちについて取材してるの」
「ああ…、それなら広報にでも聞いた方がいい。それに生憎、俺はホシイの人間じゃない。派遣社員なんだ」
俺はスーツの内ポケットから名刺を取り出し、彼女に手渡した。名刺を出されると名刺で答えてしまうのは、サラリーマンの悪い癖かもしれない。
「えーと…、フユカワ・マスミさん?」
「トウガって読むんだ。冬河真澄。ネットワーク管理者で、ここのシステム管理を任されてる」
「ゲームのシステム? それなら内容にも詳しいのよね」
いきなり彼女は俺のコートの両袖を掴むと、うれしそうに訊ねた。
「そりゃ…仕事だから…。でも守秘義務があるし、内部のことは話せないよ」
「よかった! あたし、アル何とかってゲームのこと全然知らないから、詳しい人に教えて欲しかったのよ」
「アルトゥハン。パソコン持ってないの?」
彼女は急に、困った笑みを浮かべた。
「アハハ…。ゲームって、結構高いから…」
「まあ、CDなんかに比べりゃ安くは無いな」
確かに、彼女のいで立ちでは、余裕があるとも思えない。フリーライターといえば聞こえはいいが、楽な商売では無いのだろう。よく見ると、ジーンズのあちこちに付いた枯れ葉が震えている。春まだ遠い星空の下、植え込みの陰で取材相手を待っていたんだろう。伊達や酔狂で出来るもんじゃない。
「OK…。試せる場所に案内しましょ」
「ありがとう。助かるわ」
彼女は、植え込みの中からショルダーボストンを取り出すと左肩に掛け、俺の隣に立った。俺は彼女を、駅近くのマンガ喫茶に案内した。
 
「…ここは?」
「インターネットの使えるパソコンを十台ほど置いててね。会社にも近いんで、アルトゥハンもホシイで提供した物がフルセット置いてある」
ふと振り返ると、彼女が財布とにらめっこしていた。
「大丈夫。ここなら安いよ」
「アハハハハ…」
彼女は弱々しく笑った。
 
「満席?」
「何しろ金曜の夜だからね〜。空き待ちも入ってるし、今夜は無理だと思うよ。お宅んとこのアルトゥハン、人気だからさ〜」
店内を覗くと、どの客もホシイで提供したヘッドマウント・ディスプレイを被っている。マンガ喫茶の店長は、すまなそうに答えた。
「さてと、弱ったな。他にうちのゲームが出来る場所なんて…。会社の環境は使うわけにいかないしなあ。俺の部屋なら出来るけど、そんなわけにも」
「あ、あたし、それでもいいです。取材さえ出来れば」
「って、オイ?!」
「お願いっ! 協力して!」
彼女は、両手を合わせ深々と頭を下げている。まあ、このまま無下に放り出す訳にもいかないか。
俺はあきらめて彼女を自分の部屋へ案内することにした。
 

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