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道すがら、彼女はこれまでの取材の話をしてくれた。
「どんなにリアルでも、ゲームと現実の区別の付かない若者なんていないわ。これだけ情報のあふれてる時代だもの。子供だって現実なんてお見通し。理屈じゃなくね」
彼女は、自分の取材した若者達の代弁をするように熱く語った。
「でも、ゲームで得る感覚を、よりリアルにしたいと思う人達はいるの。時には依存症のように。時には他の物に置き換えて…。格闘ゲームって知ってる?」
「ああ、知ってるよ。昔ほどの勢いは無いが、未だにファンは多い」
「じゃあ、その格闘を自分たちでやってるっていうのは?」
「あぁ?」
俺は思わず隣を歩く彼女を見た。彼女はまっすぐ前を向いたまま話を続けた。
「数はそう多い訳じゃない…。でも、いるの。一時期の格闘ブームのせいで、今ではいろんな格闘技の情報があふれてるのよ。雑誌やビデオ、身体の鍛錬法や技の連続写真をまとめた本。中国の武術教練テキストの翻訳本まで出てる。それに、ホームページもね。格闘ゲームに陶酔した若者の中には、そういった情報を集めてまねごとをする者もいるの。チョットした遊び感覚から、中には、実際に道場に入門して本格的に始める子まで。勿論、身体を鍛えること自体はいいことだけど…。問題は、それを試そうとする事なのよ。バトルとか言って」
「まさか。マンガじゃあるまいし」
俺は一笑に付そうとしたが、彼女がキッパリと遮った。
「もう何人も会ったの。ほどんどが数人のグループで、ふざけあってる程度だけど。それでも実際に殴れば、いつかは遊びじゃ済まなくなる。結果、打撲や骨折、中には片目を失った子もいたわ。非道いケースじゃ、技を試すとか言ってホームレスの人達を襲った例もある。…結局のところ、どの子も、乾きを癒すようにのめり込んでしまうんだけど…」
「リアリティーか?」
「そういう事。今回、死亡事故のあったあなたのところのゲームでも」
「ああ、確かにアルトゥハンは、リアリティーが売り物のネットワークゲームさ。ファンタジー系の通信ロールプレイングゲームでありながら格闘ゲーム的な要素もあるし、専用コントローラを使えば、振動や痛みさえ体感できる。よりリアルにするために、コントローラーの改造キットが出回ってるって話も知ってるよ。今回亡くなったユーザーも、改造コントローラーによる感電死だっていう話だ。改造による事故が多いんで、会社でも、ユーザーに使用禁止を呼びかけてる。まあ…、効果は怪しいけどね」
そうこう話すうちに、俺達は古びたビルの前に着いた。路地に建てちまったかのような薄っぺらな雑居ビルだ。
「ここに住んでるの?」
「ああ。以前は管理人が使ってた部屋なんだ。ちょっと目には住人がいるようには見えないから、新聞の勧誘もこないし。階段が難点だけど、結構気に入っててね」
最上階のドアの前に着いた。
「ちょっとここで待ってて」
「あ、あたし、散らかってても平気。大抵の物は気にしないから」
「着替えるんだ」
俺はコートの襟を摘んで見せ、中へ入った。
「ったく、風俗じゃあるまいし。初対面の男の部屋にズカズカ上がり込もうなんて、どういう女なんだか…」
俺はエアコンを急速暖房にすると、着替えながら散らかった物をそこそこに片付けた。
「お待ちど…う」
俺は、ドアの向こうにいた女性が、一瞬誰だかわからなかった。ゆったりとウェーブのかかった栗色の髪が、ウエストの辺りまで伸びている。黒目の大きいクリッとした目は長めの睫毛で飾られ、スラッとした、それでいて高過ぎない鼻と、厚すぎない品のいい唇が、細面の顔を彩っている。廊下を煌々と灯す蛍光灯は、彼女のキリッとした、それでいてどこか甘い顔立ちをはっきりと映し出していた。顔にイタズラっぽくかかる前髪を細い指で揃えながら、笑顔でこっちに歩いてくる。
「おじゃましまーす」
確かに見覚えのある服装だ。手には、さっきまで被っていた帽子を握っている。
「ワー。ステキなお部屋ね」
彼女は部屋の中央に立つと、その場でゆっくりと回り、部屋の様子を見渡しながらセージグリーンのナイロンジャケットのファスナーを下ろしていった。中から、桜色の毛糸で緩やかに絞められた豊かな曲線が現れた。
「随分広いワンルームね。十畳…十二畳ぐらい? ………どうしたの?」
「……え? あ、ああ、いや……。その辺に掛けて」
俺は彼女にソファーベッドを示すと、飲み物を取るため冷蔵庫を開けた。
『どうなってんだよ、一体…』
コーラを一缶彼女に手渡し、俺はテーブルを挟んで向かい側の床に座った。目の前、少し見上げる位置に、彼女が静かに座っている。俺はふと視線を逸らすと、ぶっきらぼうに切り出した。
「さてと…。何から話せばいい?」
「グ------」
彼女が、お腹を押さえ、ばつが悪そうに笑った。そう言えば、飯がまだだ。時計は八時を回っていた。
「とりあえず、何か取るか…」
「ご馳走してくれるの? …あ」
今度は、口を押さえている。
「バイト、首になっちゃって…。今月、チョット苦しいのよね…」
上目遣いにこっちを見ている。すまなそうにしながらも同情を求める目だ。俺は自分が思ったより意志が弱いことを知った。
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