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 phase1 それぞれの時間
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■病室
 最後の使徒を倒してから、七日が過ぎようとしていた。
 葛城ミサトが303病室のドアに手をかけると、中から微かに笑い声が聞こえてきた。
 惣流・アスカ・ラングレーの病室には、洞木ヒカリが見舞いに来ていた。ベッドの背を起こし腰掛けているアスカと、おしゃべりに興じていたようだ。ミサトはベッドのそばまで来ると笑顔でヒカリ話しかけた。
「ペンペン元気にしてる?」
「ええ。とっても」

 ミサトの飼う温泉ペンギン・ペンペンは、いまだに洞木家に預けられたままだった。
 エヴァ零号機の自爆に伴う市街中央部の水没により、第3新東京市は、都市としての機能を果たせなくなってしまった。水没を免れた都市周辺部は、ライフラインこそ、辛うじて維持してはいたが、もはやその役目の大半を失ったのは明らかだった。そのため、ネルフ本部関係者を除く、ほとんどの住民は疎開を余儀なくされた。無論、このことは、第3新東京市立第壱中学校の生徒たちにおいても、例外ではなかった。

 だが、洞木ヒカリだけは違っていた。

 ヒカリの家は、都市周辺部に位置していたため、幸い難を逃れた。しかし、ここがもはや生活に適さなくなったことは、洞木家においても同様であった。そのため、当初は、三姉妹も疎開することを考えていた。

 だが、それを踏み止まらせたのが、葛城ミサトであった。

 ミサトは、自信を喪失してしまったアスカを少しでも回復させるために、アスカの親友である洞木ヒカリに協力を求めたのである。
 幸い、ヒカリの父はネルフ本部関連施設に勤務していることもあり、結局、親子揃ってこの地に残ろうということに話がまとまり、以来、洞木ヒカリは、こうしてアスカの病室を訪ねるようになったのである。
 そして、無理を言った償いといっては何だが、ミサトは、ペンペンを洞木家に預けることにしたのである。

「……だからノゾミ、いつもペンペンにバカにされてるの」
「アハハハハ」
 病室の中は、穏やかな空気に包まれていた。今ではアスカの体力も回復し、笑顔さえ取り戻していた。しかし、その表情は以前とはまるで異なり、とても穏やかなものだった。ヒカリのかける言葉に、素直にうなずくアスカは、まるでヒカリの妹でもあるかのようにさえ見えた。

 アスカの回復をもたらしたもの。それは、皮肉にも最後の使徒の死であった。
 アスカにとっては、エヴァのエースパイロットとして使徒と戦うことがすべてであり、その結果として、身も心もボロボロになってしまった。
 だが今や、使徒はすべて倒され、エヴァに乗って戦う必要自体が失われてしまったのである。皮肉にも、アスカにとっては、使徒の存在こそが自分の存在意義であり、それを失った今、アスカの心は放逐され、ポッカリと大きな穴が空いていた。
「これから…、どうしたらいい?」
「アスカは何でも出来るんだから…、これからゆっくり考えればいいよ」
「うん……」
アスカは、ヒカリの言葉に、素直にうなずいた。

 エヴァを操縦できるかどうかはともかく、心身ともに回復していくアスカの姿は、ミサトを十分満足させた。
「じゃあ、私はそろそろ退散するわ。ヒカリちゃん、ゆっくりしてってね」

 ミサトが立ちあがると、洞木ヒカリは、何かを思い出し、あわててカバンから1通の手紙を取り出してミサトにさし出した。
「あの……、これ、碇くんに渡していただけますか?」
それは、鈴原トウジから碇シンジにあてての手紙だった。
「ホントは、直接本人に手渡してくれって頼まれたんだけど…、碇君になかなか会えないから……」
「いいわよ。持ってったげる」
ミサトは、手紙を受け取ると、病室を後にした。
「きっと……今もあそこね……」
ミサトは、エヴァ初号機の眠る第7ケージへと向かった。

■ゼーレの影
 ネルフ総司令官公務室。その広い部屋の中央に、碇ゲンドウと冬月コウゾウがいた。
「弐号機の修理が完了したよ。明日、ケージのほうに移す予定だ」
「ああ」
冬月の報告に、碇ゲンドウは、相変わらず淡々と答えている。
冬月は、詰め将棋をさしながら、くすぶっている疑問をゲンドウにぶつけてみた。
「例の渚カヲルの一件、……どう思うね?」
ゲンドウは何も答えないが、冬月はかまわず続けた。
「死海文書(禁典)の記述によれば、15の使徒に勝利した後、最後の審判が訪れる。だが、ゼーレのシナリオ(裏死海文書)では、最後の審判は、エヴァ初号機とエヴァシリーズによって迎えねばならん。残り9体のエヴァに、ダミーシステムを搭載してな」
冬月は、詰め将棋の手を進めながら続けた。
「エヴァシリーズをゼーレの意のままに操るには、ダミープラグは絶対条件だ。そして、そのダミープラグは、リリスからしか作れない」
「だが、赤木博士の協力が得られない今、我々が今から9つのダミープラグを用意する事は、まず不可能だし、仮に出来たとしても、ゼーレの老人たちが我らのそれを用いるはずも無い」
冬月は、ゲンドウのほうを見た。

「我々のシナリオにとっては、ダミープラグは絶対条件ではない」
ゲンドウは、そのままの姿勢で、つぶやくように答えた。
「アダム、リリス、エヴァ初号機……。すべてが我々の手中にある。老人たちに残された手は、一つしかあるまい」
「……やはり、ここの直接占拠か」
冬月は、詰め将棋の手を止めた。将棋盤上に、詰みの形が出来あがっていた。
「すると、ゼーレは、審判のその日を割り出したという事だな。赤木博士にダミーシステムを破壊させることで我々のシナリオを妨害し、そして、ここの占拠のための準備と、我々の動きを牽制するために、第17使徒を送り込んだ……」
「あとは、ここを占拠し、改めてゼーレの望むダミープラグを作り、残り9体のエヴァを動かす。…エヴァ初号機による最後の審判を迎えるために」

 碇ゲンドウは、冬月の方を向き、告げた。
「そろそろ時間だ。これがゼーレとの最後の会見となる。冬月…、あとの指揮を頼む」
「宣戦布告か。最後の戦いが人間同士とは…、やりきれんな」
冬月は、立ちあがると、総司令官公務室を後にした。

『だが、ゼーレは何故すぐに攻めてこなかったのだ?』
結局、冬月は、まとわり付く不快感を拭い去る事はできなかった。

■袋小路
『やっぱり、ここか』
 ミサトが第7ケージに入ると、アンビリカルブリッジの中央・エヴァ初号機の顔の正面に、碇シンジが膝を抱えうずくまっていた。
 渚カヲルを失った今、シンジにとって唯一安らげる場所、心を許せるものは、エヴァ初号機だけだった。
 カヲルを殺した後、シンジは一日中エントリープラグの中にこもるようになってしまった。そのため、ミサトは、シンジが勝手に初号機に乗ることを禁じ、プラグをロックしたのである。以来、シンジはこうして、日がな一日、初号機のそばにいるのだった。
「シンジくん……」
ミサトの呼びかけに反応する事無く、ただボーッとうずくまるシンジの姿に、ミサトは、かける言葉が見つからなかった。
『こんなことなら、鈴原くんたちも、引き止めておくんだったわね…』
 ミサトは、ため息をつくと、預かった手紙をシンジに差し出した。
「あなたに手紙よ。鈴原くんから」
「トウジから?」
シンジは、軽い戸惑いの表情をミサトに向けた。
「……私はいつだって、シンジくんの味方だからね。……じゃぁ」
ミサトは、手紙を渡すと、その場を後にした。

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