■イニシアチブ
「いつまでこうしていれば、いいのかしら…」
何の異常も示さないモニター画面を見つめながら、発令所の定位置についている伊吹マヤがつぶやいた。
第17使徒を倒して以来、ネルフ本部は第1種警戒体制をとりつづけていた。
独り言ともとれる伊吹マヤの問いかけに、青葉シゲルが軽く振り向いた。
「…やっぱり、まだ使徒がいるからじゃないのかな」
「でも、死海文書には、使徒は17番目までだって、書いてあるんでしょ?」
「それだって、怪しいもんじゃないのか? だいたい、実際のところ、俺達だって、その死海文書自体を読んでるわけじゃないんだぜ」
「でも、少なくとも、これまでのところは、私たちが聞かされた死海文書の内容と合ってるのよ。それに、得体の知れないもののために、ネルフを作ったわけじゃないでしょ?」
「……やはり、警戒しているのは、使徒じゃないんじゃないかな」
日向マコトが、二人の会話に加わってきた。
「もし、使徒がまだいるなら、なにも特別に警戒体制をとり続ける必要はないだろう。それに、少なくともネルフ内部で秘密にしなきゃならない理由がないよ。使徒がいるなら、戦わなきゃならないんだぜ?」
「じゃあ、いったい何だっていうんだ?」
「あれがまだなんじゃないのか? 例の人類補完計画……」
日向マコトは、シートを回してマヤの方を向いた。
「こいつは、俺達よりマヤちゃんの方が詳しいだろ?」
「わからないわ。私が関わってるのは、断片的な部分だけだから…。先輩でさえ、計画の全容を知っているわけではないというし…。多分、この本部で補完計画のすべてを知ってるのは、司令と副司令だけだと思うわ」
「案外、ここ自体のせいかもしれないぜ。ここにはエヴァを始め人類最高の技術が詰まってるんだ。その価値を考えれば、仮に戦争が起きたって不思議じゃないだろ?」
「まさか……」
その時、発令所に冬月が入ってきた。
「状況に変化はないか?」
3人は、慌ててコンソールへ向き直り、モニターの映し出すデータをチェックした。
「異常ありません」
「本部周辺で、何か変わった動きは?」
「問題無しです。強いて挙げれば、新横須賀にかなりの数の艦艇が集結しています」
「明日から予定されている国連軍と戦略自衛隊の合同演習に参加する部隊ですね」
日向は主モニターに、参加艦艇リストと新横須賀の映像を映した。演習には、上陸訓練も含まれるためか、リストには大型の揚陸艦艇が目立った。
「そうか。…ところで、葛城くんは、どうした?」
冬月はあたりを見回した。
「葛城三佐は、交代の時間なので、先程、休息に入りました。今、第7ケージを出たところです」
「第7ケージ?」
「子供たちの様子を見ていたようです。アスカとシンジくんの…」
「呼びましょうか?」
「いや、いい。……」
冬月は、あの南極から保護されたころの葛城ミサトを、思いだしていた。
『……15年前のあの日、南極に立った葛城くんが、今こうしてチルドレンの世話をしている……。これは、運命と呼ぶべきなのかな……。それとも宿命と言うべきか……』
「……あのう、副司令」
冬月は、伊吹の問いかけでわれに帰った。
「この警戒体制……、いつまで続ければよろしいのですか?」
日向は、あわててフォローを入れた。
「僕たちはかまいませんが、現場の者たちの士気が若干下がり始めています。このままでは、十分な効果が期待できるとも思えません」
その目的もわからぬままの、1週間に渡る警戒体制配備である。士気の低下は避けられなかった。だが、もうすぐゼーレとの最後の会見が始まる。そして、ゼーレの侵攻も……。
『もしや、ゼーレはこれを狙ったのだろうか……。いや、ばかな。そんな事のために貴重な時間を浪費するわけが無いな』
「少なくとも、今日1日は現状維持だ。現場への徹底を図ってくれ」
冬月は、3人に指示した。
『問題は、むしろ彼らか。…おそらくゼーレは、後顧の憂いを絶つためにも、本部職員全員の抹殺を司令してくるはずだ。だが、そうなった時、彼らは我々に従ってくれるだろうか…』
最後の審判の時は近い。冬月たちは、すべての駒を擁し、その時を待つばかりであった。
だが、赤木博士によるダミーシステムプラントの破壊、第17使徒・渚カヲルの投入、そして、未だ見えぬゼーレの真意…。
冬月には、未だ、主導権がゼーレにあるように思えてならなかった。
■友達
ミサトが去ってから、シンジは、しばし、ためらった後、トウジからの手紙を開けた。
1枚目の便せんには、シンジを気遣う言葉と、疎開先での近況が記されていた。シンジは、それを読み、別れたときの事を思い出した。
* * *
疎開前日の夕方、トウジ、シンジ、ケンスケの3人は、水没した都市のほとりに腰をおろしていた。
「わしらも明日、発つわ。ここでがんばるシンジを残してくんは、申し訳ない思うとる…」
トウジは、シンジの事は、まったく怨んでなどいない。あれだけの事故に会いながらも、シンジとトウジの友情に水をさすような事は、まったく無かった。
「あと1度なんやろ? 気張りや、シンジ。わいはこんなやし、手伝う事もでけへんけど、いつでも応援しとるで」
「…うん」
「だけどな、シンジ。無茶はせんでもええ。たとえ、最後の敵を倒せず、サードインパクトが起きたかて、シンジを責めたりせん。シンジは、自分に出来る事だけやったらええ。シンジの納得行くようやったらええんや。ええな」
「…ありがとう」
「まったく、二人がうらやましいよ。結局、僕はエヴァのパイロットにはなれなかったんだもんな」
あきらめ顔で笑みを浮かべながら、ケンスケが言った。
「だから、シンジ。すべてが終わったら、いつか、この戦いのこと、いろいろ教えてくれよな」
「………そうやな。全部終わったら…。平和になったら………。また…、会おうな」
「ケンスケ…、トウジ…」
「必ずやぞ」
「また、三人で」
「うん」
* * *
『……そうだ。僕には、まだ、帰れるところがあるんだ。…こんなにうれしい事はない』
シンジは、勇気付けられていく自分を感じた。
シンジは、あらためて、手紙の続きを読み進めた。
が、不意に、シンジは緊張で全身をこわばらせた。
「な!!? これは!」
■バトル・イン・ザ・サード
確かに、鈴原トウジの生還は奇跡といってよかった。
あの事件、米国ネルフ第1支部より空輸されたエヴァ参号機が、第13使徒バルディエルに寄生された事件で、トウジは左脚を失った。だがそれは、ダミープラグ制御下のエヴァ初号機が、トウジの乗るエントリープラグを握り潰した時に生じた怪我であり、使徒による侵食の影響でも、戦闘時のフィードバックによるものでもなかった。
救助されたとき、トウジは参号機の中での出来事を、まったく覚えていなかった。だが、その事を除けば、トウジは、事件の最大の当事者でありながら、第13使徒の影響をまったく受けていなかったのである。使徒は、零号機への侵食さえ起こし、綾波レイまでもその影響を受けたにもかかわらずである。
後日、シンジがあらためてトウジを見舞ったときにも、ミサトや赤木博士は、トウジには、参号機はもちろん、使徒による侵食や精神汚染などの痕跡が一切認められない事を、安堵しつつも不思議がっていたのだった。
だが、その謎を解く鍵が、手紙には記されていた。
* * *
事の起こりは、トウジの妹の悪夢だった。
トウジの妹は、エヴァ参号機の松代到着の頃から、昏睡状態に陥っていた。そして、第13使徒が倒された頃に意識を回復。以後、順調に回復し、トウジと共に退院。共に疎開していったのである。
トウジの妹は、来る日も来る日も、同じ夢に苛まれていた。
夢の中、彼女は、得体の知れない何者かたちに体中を侵食され、自由を奪われていた。
それはとても苦しく、気持ちの悪い感触だった。夢の中で妹は、何故か母と共にいた。いや、母と重なっている感覚だった。そして、母もまた、侵食する者たちに苦しみ、あえいでいた。そして、そばに、兄トウジの姿が見えた。妹=母は、侵食している者たちがトウジへと触手を伸ばそうとするのを必死に押し止めた。妹は夢の中で兄の名を叫びながらも、兄を必死に守っていた。
そして、どこからか、黒い新たな影が現われ、母=妹=侵食者たちの首を閉めあげた。母=妹=侵食者たちは、断末魔をあげ、そこで妹は夢から覚めるのだった。
始め、トウジは、悪夢にうなされる妹を気遣うだけだったが、その夢の内容を聞かされ、何か引っ掛かる物を感じていた。そして今、それが自分も体験している事であることに気が付いたのである。
松代で、参号機の起動実験に望んだ直後からの欠落した記憶。それこそが、妹の悪夢と共有する感覚であったのだ。
トウジの意識は、あの時、確かに、母と妹を感じていた。そして、二人を苦しめる何かと、助けを求めながらも、トウジを遠ざける母と妹。そして、妹たちを抹殺しようとする気配…。
* * *
手紙の中、トウジは、その体験を半信半疑で語っていた。だが、母と妹を感じた事だけは確かだと綴られていた。
トウジの手紙は、同じエヴァパイロットとして、シンジに同様の経験が無いかどうか尋ね、妹のために助言を乞うものだった。
無論、シンジには覚えが有る。第12使徒レリエル戦など、シンジは度々、初号機の中に母を感じていた。そして、今こうして初号機の側にたたずむことも、エヴァに母を重ねているからにほかならない。
シンジは、あらためて初号機を見上げた。
「………エヴァって…何なんだ?」
シンジは、意を決した表情で、手紙を握り絞めると、アスカの病室へと走り出した。そこには、絶望に打ちひしがれたシンジの姿は、既に無かった。
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