神戸新聞(夕刊)2002年1月12日(土)付け おふたいむ 感性都市21 より




花になり空になった
神戸の舞姫・蓮美ちゃん

猛練習と減量…耐えた天使
審査員も涙こらえ
藤田佳代舞踊研究所から巣立ち

 ハスミちゃんのことをカヨ先生はよく「わたしの天使」といいます。ダンスの仲間たちはみんな「ハスミちゃん」と呼ぶのですが、先生にはそう呼ぶ特別な理由があるようです。そうそう、ハスミちゃんは本名は安田蓮美。神戸のダンス・スタジオの生徒です。カヨ先生というのはそのスタジオの親分で、名は藤田佳代。そのカヨ先生はこう言います。「ハスミちゃんはダウン症のハンディキャップをもってますけど。一生懸命踊りに取り組んでいるんです。ハスミちゃんが一つ課題をクリアするごと稽古(けいこ)場のみんながとてもうれしい気持ちになるんです。みんなが大きな勇気をもらうんです。本当は神さまではないかと思うこともあるんですが、ハスミちゃんがきれいに踊っている姿は、やっぱり天使なんですよ」。さて去年の夏のこと、全国のいろんな街の天使たちが北九州市に集まってダンスのコンクールが開かれました。むろん神戸からはハスミちゃんが出場しました。そして最高の賞を取ったのです。

●北九州&アジア洋舞コンクールバリアフリー部門優勝

・・・ドキドキ・・・

 第六回北九州&アジア全国洋舞コンクールは北九州市の厚生年金会館で開かれました。神戸のハスミちゃんが出場したのはそのバリアフリー部門です。地元福岡から六人(組)、神奈川から二人(組)、そして神戸からは私たちの天使一人。車イスでダンスをしたり、健常者と手をつないで踊ったり、形はいろいろでしたが、私たちの天使さんはだれの助けもなく独りであの大きなステージに立ちました。ソロダンスというスタイルです。踊りの題は「天使が花の上で」。稽古場のみんなで考えた題なのです。
 出場者は舞台の裏で出番を待ちます。私たちの天使は自信に満ちて、堂々と落ち着いていましたが、神戸からつきそっていたカヨ先生やインストラクターのミツコ先生ら教室の仲間たちはドキドキ、ドキドキ、ドキドキ、ドキドキ…、です。天使さんのママ(花仙さん)なんか、今から舞台で踊るのはまるで自分であるかのように、ほとんど顔面ソーハクの状態です。  でも、こういうときにいちばん弱いのは男ですね。パパ殿(健次さん)は、なにやかやと理由をつけて早くも九日前に神戸を出発。いったん宮崎まで行ってしまって、それからゆっくりと心を整えながら北上、当日に厚生年金会館に着くようにしたのです。
 ところが、なんてこと!
 肝心カナメのその天使さんの出演にパパは遅れてしまいました。一週間以上も心の準備をしておいて、それで見られなかったというわけです。でも本当は遅れたんではないんです。ちゃんと時間には着いていました。けれどハスミちゃんがこんな大きなホールで独りで踊るのかと思うと、思っただけでもう怖くなって中に入れなかったというわけです。外でウロウロしていました。

・・・カチンコ・・・

 音楽はショスタコービッチの「リリカル・ワルツ」が使われました。天使はぱあっと明るいライトの中へ、元気に飛び出していきました。「私の時間」の始まりです。みんなの注目を一身に浴びるのです。この私の踊りを見て下さい!
 ソデ幕の陰では、カヨ先生が天使の踊りを凝視したまま、カチンと固まったままになっていました。だれが声をかけても返事もしません。息もしていないようでした。
 みんなが凍えているなかで、けれどハスミちゃんひとりは思いっきり踊りました。踊ること、その踊りをみんなに見てもらうことが大好きです。体も心も生きていることを感じます。花になりました。チョウになりました。鳥になりました。とうとう空になりました。
 コンクールの会場なものですから、踊りに万雷の拍手が来るというわけではありません。いかめしい審査員の顔がずらりと並んで、その後ろに舞踊学校の先生たちや生徒たちがパラパラといるだけです。でも、千人の観衆の大拍手よりもっと不思議なことが起こりました。コワそうな審査員の先生たちが顔を妙にゆがめたり、ポケットにハンカチを捜したり、目を押さえたりしはじめました。どうしようもなくあふれる涙を、みんなで必死にこらえようとしていたのです。

・・・ジャンプ!

 蓮美ちゃんがモダンダンスを始めたのは、大震災の年でした。十五歳になっていました。
 本当は華やかな舞台化粧にあこがれたのです。パパとママに宝塚大劇場へ連れていってもらったのがきっかけで、あんなにきれいなお化粧ができるんなら踊りがしたい、そう思うようになったのです。でも天使を入れてくれるレッスン場はなかなか見つかりませんでした。
 なにごとも出会いですね。カヨ先生がJR住吉駅前に開いている藤田佳代舞踊研究所は、障害者の教室を設けてもう十六年になるのです。研究所が神戸文化ホールで催した発表会で、自閉症の少年が船長さんになって出演しているのを見たひと(養護学校教師)が、こういう稽古場がありますよ、とママに教えてくれました。
 カヨ先生はちょっと妙な先生です。私たちはどうかすると障害を持つひとたちに不自然に優しくしたり作り笑いをしたりして、そういう自分が後でとても恥ずかしくなりますが、カヨ先生ははじめからどうも、そういう心の中の変なバリアーがないようです、障害を持つひとにも、みんなとまったく同じ接し方なんです。そのかわり、稽古を大目にみたり、猫なで声を出したりすることもありません。
 ふつうダウン症のひとは首が弱いので逆立ちなどはムリだといわれているそうですが、カヨ先生は励ましたりしかったりを繰り返して、おかげで今の蓮美ちゃんは逆立ちなんかへっちゃらです。ブリッジも得意ですし、ジャンプも相当なものなのです。
 秋の発表会では先生たちがつくる作品(創作)にほかのメンバーと同じ責任を分かちもって出るのです。研究所では舞踊手の一人としてしっかり位置づけられているのです。

・・・心が踊る!

 北九州市のコンクールにバリアフリー部門が設けられ今回が二回目です。カヨ先生はその開催を知って、そこへ出られたら蓮美ちゃんはうれしいだろうな、と思いました。けれどご両親に相談するまでに、本当はだんぶん悩みました。世間ではいろんな受け取られ方がありますから、心に思ったそのままをご両親にちゃんと伝えられるか、まるで自信がなかったのです。それである日、ママと電話で別件を話したついでに、ほんのちょっとそのことを言ってみました。  すると、電話の向こうでママの踊るような声が上がっていました。
 「そんなすばらしいお話! 今からすぐそちらへうかがいます。詳しいことを教えてください」
 ママは蓮美ちゃんのことをカヨ先生のように天使とは呼びません。その代わりにこう言います。
 「私は蓮美のお母さんになるように選ばれたんです」
 言葉ってすごいですね。心の形がまるごとそこに現れることがあるんです。
 ママの心が躍り、カヨ先生の心も前にもまして躍りました。蓮美ちゃんの心も躍り、そしていよいよ、蓮美ちゃんがこんどは本当に「踊る」番になりました。あの、あこがれの舞台化粧で。
 でも、稽古は、決してナマやさしいものではありません。
 先生とマン・ツー・マンで、いえレディー・ツー・レディーで、月水金の週三回、延べ十時間のレッスンです。お稽古ばかりでなく、ダンサーはチョコレートをかじるのも二分の一とか三分の一とか日々、減量に気をつかいますが、むろん蓮美ちゃんもそれにならわないといけないわけです。
 しかし、カヨ先生のメニューをどんどんクリアしていきます。おととしには六十八`もあった体重が、コンクールのときにはなんと五十三`になっていました。

・・・ポタポタ・・・

 蓮美ちゃんがもらったバリアフリー部門の最高賞は、正式には「チャレンジャー賞」といいます。よく挑戦されましたという意味です。でも天使さんには賞はどちらでもよかったようです。カヨ先生はうれしくて、審査員のみなさんにペコペコお辞儀をして回りましたが、われらが天使は、よきにはからえといわんばかりにカヨ先生の横で威張っていました。代わりに審査員の先生がここでも涙をポロポロポロポロこぼしました。どちらが授賞者でどちらが受賞者なのかどうも分からない光景でした。
 天使は自分が幸福になると、周りのひとをその四倍も五倍も幸福にするようです。もともとそれが天使の仕事なのかもしれません。
 さてコンクールでの蓮美ちゃんの最高の幸せは何だったと思います? これは推測ではありませんよ。蓮美ちゃんが自ら語ったことですから。
 「二回も踊った。よかった」
 各部門の最高賞のダンサーは、審査が終わってからもう一回、晴れのエキシビション・ステージに立つのです。クラシックバレエやモダンダンスの優勝者たちのトップを切り、そして客席からも舞台のすそからもみんなの祝福の拍手を浴びて、蓮美ちゃんはのびのびと踊りました。
 神戸の天使はなんと輝きながら踊り遂げたことでしょう。
 「わたしの天使はすごい」とカヨ先生はまだ緊張が解けない青い顔で、ちょっとふるえながら言いました。
 …けど、しばらくしてほとんど独り言のようにまた言いました。
 「でも、もっとすごいのは、蓮美ちゃんのママやなあ」
 そう言って、すこしゆったりと笑いました。 (山本忠勝)

来月23日神戸公演

 安田蓮美さんは2月23日午後6時半から神戸市中央区の兵庫県民小劇場で開かれる藤田佳代舞踊研究所モダンダンス公演「創作実験劇場」にもソロ出演する予定です。コンクールに出品した「天使が花の上で」にさらに「雲と花の間で」「雪の中で」の2章を加え、作品のボリュームも膨らみます。作舞・藤田佳代。連絡先は同研究所 078・822・2066



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