かじのり子の門出を見る      山野博大


 藤田佳代門下のかじのり子が兵庫県民小劇場の≪くすのきステージ≫に登場し、モダンダンスリサイタルvol.1を行いました。これは彼女にとっては、自分の名前を冠した初のリサイタル。先生の藤田佳代をはじめ、同門のダンサーたちの全面的な応援を得ての会ですが、一本立ちの舞踊家としての記念すべき第一歩というわけです。その晴れの門出を祝う観客で小劇場は満員となりました。
 プログラムは自作の小品4本と藤田佳代作舞の「無非有歌」で組まれていました。この会のために用意した新作の「領域」は、最近の人類の動向についてのかじのり子の意見とでも言うべき内容の舞踊となりました。舞台奥には、両サイドから三角形の白い衝立がセンターに向けてなだらかな下降線を見せています。その二つの衝立がしだいに双方から近付いて、その中央にあいた間隔を埋め、それでも移動をやめないで、ついには二つの三角形が完全に合わさってしまうところまで来てしまいます。この衝立の移動に作者の創作意図を読み取ることができます。つまり、はじまりの三角形が離れて中央にスペースのある状態を、人類と自然の共存する調和のとれた姿と見るわけです。ところが人類の止まるところを知らない技術の進歩が、その調和を破壊し、生態系のバランスをこわして行くのです。三角形の間隔がしだいにせばまるところが、人間という生きものがこの地球を自分かってに変えて行く「進歩」の表現というわけでしょう。
 ソロを踊るかじは、その人類の愚行を眺める「良心」とでも考えられる立場をとり、他のダンサーたちによる群舞が人類の盛衰を表しています。赤、青、白とチョッキを替えたところは、人類の華麗な進歩の状態を示したもののようです。そうこうするうちに二つの衝立が移動して、とうとう中央に二等辺三角形が出来上がります。この段階で作品は終わっているのですが、この結末をどう理解するかは、観客ひとりひとりに委ねられているのかもしれません。中央に二等辺三角形という状態は、これはこれでひとつの調和だと考えれば、人類の将来に希望が持てますし、それを悲観的に見ることもできると思います。
 そこで私の意見なのですが、二つの三角形の移動をそこで止めてしまわないで、さらに進めて行く、つまり中央にふたたび間隔があき、最後には三角形が舞台ソデに隠れてしまうところまでやったらどうかと思うのです。こうすると、人類の盛衰について、また別の見方が出来るのではありませんか。モダンダンスは、自分でいろんなことを考えながら見て、場合によっては自分独自の発想を加えてみてもよいのです。そこにモダンダンスを見る最大の楽しみがあります。そして、こういう見る楽しみを与えてくれる作品がよい作品ということになるのです。
 はじめの一本でずいぶん長く書いてしまいましたので、以下の「春を待つ間」「水に映す木」「水色の空と空色の海」については、どれも自然の美しさをみごとに表現したものとだけ申し上げておきましょう。そして最後の藤田佳代作舞の「無非有歌」は、特別出演のジャズ・ヴォーカル・グループ≪Jack in the Box≫との競演という華やかな舞台となりました。そのフィナーレにかじのり子が中央に立つのですが、ちょっととまどいも見える初々しさの中に、一本立ち第一歩の決意も感じられ、その将来に大きな期待を持つことができました。
 会が終わった後のロビーでは、たくさんのお客さまがいろいろと語り合い、なかなかお帰りにならない状態が続いていました。私は終演後のロビーがいつまでも空にならないような会は、お客さまが満足した印という経験則を持っているのですが、≪かじのり子モダンダンスリサイタル≫はまさにそういう会のひとつでした。(1998年5月30日、兵庫県民小劇場)


山野博大 (1950年代より舞踊批評を書きはじめ、現在は週刊オン★ステージ新聞、音楽之友社発行のバレエ、新書館発行のダンスマガジン、季刊ダンサート、インターネットの東京ダンス・スクエア等に執筆している。藤田佳代先生とは古くからの友人であり、良き理解者のひとり)



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