そこは険しい山の中腹に位置し、鬱蒼と茂る樹々を抜けた先にある、少し開けた場所
だった。丁度山の西側にあたり、眼下に広がる森が夕陽に彩られて、美しい風景を描き
出していた。古びた一軒家からは道一本で、小半刻ほどの道のりである。
その場所から夕陽を眺めている人影があった。
草地に腰を下ろし、長い黒髪が地面を這うのにも構わずに、ぼんやりと陽の沈む方向を
眺めているのはサーリア――かつて、この山の《主》に命を救われた少女である。
サーリアの目の前に突然、スッと杯が差し出された。
「明日からまた、旅に出るんでしょ?」
頭上からそう声を掛けてきたのは、サーリアの同居人であり、麓の住人達からは『魔女』と
称されている少女だった。
闇色の衣装をまとい、鮮やかな金髪とドレス風のスカートの裾を風になびかせて立って
いる。手には果実酒のビンと杯が二つ。サーリアに差し出されたのは、その杯のひとつ
だった。
「エマ……」
サーリアは促されるままに杯を受け取り、同居人を見上げた。
エマは風に乱された髪を掻きあげながら、
「ホラ、飲も飲も!」などと軽い調子で果実酒を差し出している。
コポコポコポ……と小気味良い音を立てて果実酒が杯に注がれ、各々の手に収まった。
「何考え込んでたのよ、こんな所で」
サーリアのすぐ傍らに座り込み、早速グラスを口に運びながらエマは心配気に尋ねる。
黒髪の少女は、手にしたグラスをじっと見つめていた。
「ねぇ エマ」
「?」
「わたくし達が出会ってから、一体何年経つのか覚えている?」
突然の問い掛けに、エマは記憶を反芻した。
特に、この友人と出会った頃のことを。
「ん……と…63年!」
声に出した後で、予想外に時間が経っていることに気が付き、二人は顔を見合わせた。
「永いものね」
サーリアは瞳を伏せ、しみじみと呟いた。
「ま、人間の一生分よね、この辺りの平均寿命からすると」
エマの言葉通り、この山の近在では、50〜55歳というのが普通だった。
もっとも、人間が多く栄えた街へ出たとしても、60歳を越えた人間なぞ滅多に居る
ものではなかったのだが。
それを考えると、麓の人間達よりもはるかに長命で、かつ、この薄気味の悪い山に
平気で棲みついているエマ達が、魔女・魔物などと恐れられてしまうのは無理もないこと
かもしれない。
「63年間、わたくしは何をしてきたのかしら……」
消え入りそうな声で、サーリアは自問した。
「?」
「あの方を……ギリアムを救けたくて、いろんな人を訪ねたわ。世界中を渡り歩いて、
ずいぶんと危険な目にも遭ってきた。なのに――」
うつむいたサーリアの瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出た。
この山の頂上に留め置かれた恋人の身体……それを思うたび、身を引き裂かれそうな
感覚に襲われる。
「なのに、まだわたくしは、ひとつとしてその道を見出せないでいる!!
――そう思うと虚しくなって……わたくしのしていることは無駄なのか、と。
どうせならいっそ、あの時、あなたたちに見捨てられていれば良かったと、そんなことさえ
考えてしまうの……」
深く首をうなだれたサーリアは、右手で目頭を押さえ、そのまま、顔に落ちかかる黒髪を
くしゃり、と掴んだ。
決して手を抜いている訳ではなかった。
いや寧ろ、手がかりとなりそうなことならば、どれほど些細な噂話であっても細大漏らさず
訪ね歩き、できる限りの手段を講じてきたつもりだった。
それでもふと今日のように立ち止まり、人間の一生分に相当する年月を費やしてもなお、
何の成果も得られていないことに気付いてしまうと、こうして自問自答を繰り返しては、
深みに落ちてゆくのだった。
まるで、心の中にぽっかりと空白が訪れるかのように――。
...to be continued → 想い・2