険しい山の中腹、そこには麓に暮らす人間達さえも滅多に近寄らない、いや、近寄れない
程、深く暗い森が広がっていた。
その森の奥深く、樹々に隠れるようにして、古びた一軒家がポツンと建っている。
一見、廃屋と見まごうほどだが、実はひっそりと棲みついている者たちがいるのである。
◆
そろそろ日付も変わろうかという時刻、家の中でかすかに灯りが動いた。
小さな灯りが映し出したのは、緩いウェーブを描いた金色の髪と、少しキツそうな
紫暗の瞳――。
その家の住人であり、麓の人間達からは『名も知らぬ魔女』と噂されているエマが、
手燭を頼りに養い子の部屋へと向かっているところだった。
キイィィィ……。
辺りが静まり返っているだけに、少し軋んだ扉の音がよく響く。
「エマ」
気配を察したエマの養い子――ラルフは、部屋の入口に向かって小声で呼びかけた。
エマと暮らし始めてちょうど十年、まだあどけなさの残る少年である。
ラルフは既にベッドに潜り込んでいたが、どうやら目は冴えている様子で、翡翠の色を
映した大きな瞳を輝かせていた。
「いやだ、まだ起きてたの? ラルフったら」
パタン……。
扉を閉め、ベッドのすぐ傍に立ったエマは、コトリ……とサイドテーブルに手燭を置いた。
「何だか眠れないんだ……」
ぽそりとラルフが呟く。
「ねぇ、何かお話ししてよ」
「話し?」
トサッ……。ベッドの端に腰掛けながら、エマが応える。
「うん。聞かせてくれたら眠るからさ」
「本当?」
少しばかり疑わしそうに養い子の顔を覗き込むエマ。
軽く眉根を寄せたその表情は、まだ『少女』と形容しても通用するだろう。
「うん!」
ラルフは邪気のない笑顔で肯いた。
仕方ないわね、などと呟きながらもエマは、何を話そうか、と既に考えを巡らせている。
(あぁ、そうだ……そろそろ話しておいても良い頃合いかもね……)
「それじゃ――昔話よ……」
おもむろにそう語り始めたエマの瞳は、どこか遠くに想いを馳せている様子だった。
――もう何十年前になるかしら。
ある人と旅をしていた時、この山を通りかかってね。
その時に出会ったのよ。この山の《主》に――
...to be continued → 宵闇綺譚・2