はじめに パフォーマンスをはじめた訳、、、
・・・この先どこへゆくのだろう・・・

元々、学生時代には真似事ながら演劇を経験し社会人となってからは保育士として働き、
子ども達の前で保育や行事などを通し『見せる』ということを日常的に行い
地域子育て支援センター配属時にはその対象が親子となり『見せる』ということの必要性がピークに達する。
元々得意であったギターを使った手遊びや歌遊び、手品などを使いやってるが
自分自身の『見せる』というスキルを付け焼き刃的な技術だけでなくではなく、
さらに磨きをかけ『見せ方』を追求したいという思いは常に持っていた。
しかし、日々の忙しさにかまけてなかなか取り組めず悶々とする日々が続いていた。。。

2002年、30歳を目前に迎えた大晦日の晩
「このままではダメだ。何か新たなネタに取り組んでみなくては!!。」と
思い立ち以前に出会った、パフォーマーじっきぃ氏の影響もあり
以前にも取り組まったく出来る気配がなかった“3つボールのお手玉”を元旦からはじめることにした。
人間あんがい真剣になるとナントカナルもので、はじめて1時間後くらいには
10回出来るか出来ないかくらいではあるが3つのボールを使ったカスケードが形になってくる。
そして、数ヶ月ボールで色々な技をマスターしてくるとディアボロ(中国ゴマ)や
シガーボックス、デビルスティックetcなど様々な道具の練習を開始する。
埼玉にある志木ららぽーと前で週末に開催されている『わくわく大道芸』や上野、横浜など
様々な場所に足を運ぶようになり見て楽しむと同時に『あっ、これ出来そうだぞ!』などと一人ごち
見てきた技をさらに練習に取り入れていく。
・・・結果的には、この時の様々なパフォーマーの姿を見た経験が
後の“見せ方”を意識したときに役立つようになってくる。


“それなりに”出来るようになってくると人に
見せたくなるもので本業の子育て支援センターにて
小ネタの発表!?をしてみると
これがまた、意外と評判が良く気分を良くし
その年のGWには以前から少し触ったことのある
バルーンなども織り交ぜ
地元の大きな公園でのパフォーマンスを開始する。
公園での大道芸では数十人から
時には100名以上の人だかりが出来、
拍手喝采を浴びることが出来たが、
公園での大道芸では
『鳴り物(ラジカセ)』の使用が禁じられているらしく
人が多く集まってくるようになってくると
管理人からがやってきて注意を受けるようになり、
やむなく撤退せざる得ない日々が続く
元々、人から否定されたり禁じられることが
好きではないのと公園でのパフォーマンスも
ほぼ毎週実施していたが、夏の暑さが
厳しくなってきたのに合わせて
だんだんと公園には足を運ばなくなってくる。


この頃からジャグリングなどの「たんに技術を見せる』ということから特にその組み立てや
表現や動作、口上などの『演じ方』の部分を楽しんでもらう『パフォーマンス』へ意識的に変化させていく。

また、98年にロビンウィリアムスが主演し実話を元に映画化されたパッチアダムスなどで
日本でも少しずつ知られるようになってきたが福祉の進んだ欧米諸国では
クラウンケアに代表されるようなパフォーマンスによる「心のケア=癒し」があること、
そしてその頃の大道芸を通し、笑顔で感想を語ってくれた人々を通し実体験の中から実感する。


そしてそこで
『自分が自由に活動できる場所』を
求めはじめる。。。
日々報道されている
若年者の目を覆いたくなる事件など
心の蝕まれてきた日本の社会に憂いを
感じて来ていたことと『クラウンケア』の
精神に感銘を受けたこともあり
友人や知人などの口コミを通し
保育園や幼稚園、児童館、福祉施設、
病院など非営利目的の行事やイベントに
慰問しナチュラルメイクの
キャラクターやオーグストメイクの
道化師(クラウン・ピエロ)
としてのパフォーマンスを開始する。
続ければ続ける程、奥の深みにどっぷりつかり
自分自身の独学では限界を感じ
パフォーマーじっきぃ氏の主催する
パントマイム教室にてパントマイムや即興・演劇表現・
クラウニング等の基礎を学ぶ。

慰問した公演の先々でも好評を得ることができ、
さらなる口コミの輪が広がり公演依頼が続々と
入ってくるようになってきたが
『見せ方』を追求しはじまった長い旅は
まだまだ、自分自身が限界を見極めたい野心と
さらに質の高いパフォーマンスによる
笑いを通した『心のケア・癒し』を探求するため
現在も続いている・・・

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